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2014.09.11 Thu 坂田明・音楽の狩人

 センターにサックスの坂田明、左にベースの藤原清登、右にパーカッションのアンドレア・センタッツオが、まるで3人の画家がまだお互いの居場所を知らないまま、見えない巨大なキャンバスに色を塗りはじめるように演奏が始まりました。それぞれの音をたしかめながら、ほんとうに静かな始まりでした。9月8日、大阪のロイヤルホースでの一夜でした。
 わたしが週に3日働いている被災障害者支援「ゆめ風基金」の活動が来年で20年を迎え、その記念イベントが来年の8月16日に開催されることになりました。そのファイナルに坂田明さん、林英哲さんと、ゆめ風基金の呼びかけ人代表である小室等さんのコンサートが実現し、また林英哲さんともども坂田明さんもゆめ風基金の呼びかけ人になっていただいたお礼とご挨拶をかねて、ライブに参加したのでした。

 坂田明といえば山下洋輔トリオでの活躍と、吹いて吹いて吹きまくるすさまじいサックスが印象にあります。わたしはジャズといえば1960年代に京都大の銀ヘルメットをかぶって学生運動をしていたという旧友に教わったジョン・コルトレーンしか知りませんでした。もっとも、実はほとんど音楽を知らないことを告白しなければならないわたしは、音楽のことをよく書いてはいますが、「音楽」という専門的な分野に興味があるわけではないのです。音楽がわたし個人の人生にどんな影響を与え、またわたしは数ある音楽の中でどんな音楽と出会ったのかをたどることでわたし自身の存在証明を試みているだけなのだと思います。ですから、どれだけの方がこのブログを読んでくださっているのかわかりませんが、こんな個人的なことを読んでくださる方々にいつも感謝しています。
 そんなわたしでしたが、初期の山下洋輔トリオがバリケードの中で演奏した「ダンシング古事記」を通信販売で買い、聴き始めたのがきっかけで、何枚かのアルバムを買ったぐらいの記憶しかありません。
 ソロになってからの坂田明は毎年の「春一番コンサート」での短時間のライブしか知らなかったのですが、たしかもう10年前になると思うのですが、坂田明と黒田京子のピアノ、鶴谷智生のドラムスというトリオの演奏を強烈に覚えています。
 坂田明の炸裂するサックスにひけを取らず、ピアノの黒田京子も強烈で、その上鶴谷智生のやんちゃなドラムスとあって、3人の演奏とは思えない迫力で胸に突き刺さった演奏でした。
 その前年に豊能障害者労働センターが「コジカナツル」(小島良喜、金澤英明、鶴谷智生)のライブを開催したこともあり鶴谷智生とは縁があったのですが、まさか坂田明と共演することは全く知らなかったので、正直びっくりしました。彼がにこにこしながら坂田明のサックスの渦中に割り込むように突っ込んでいくのがとても新鮮でした。
 
 さて、この日の演奏ですが、フリージャズというか即興音楽というか、実のところそういう音楽をきっちりと聴くのもはじめてで最初は少し面喰いましたが、聴き入るうちにじわじわと不思議な感動がやってきました。
 最初は冒頭に描いたような始まりでしたが、2曲目になると3人がひとつの空間をアクションペインティングのように激しく色づけしたかと思うと、次の瞬間にはしなやかに静かに細部をなぞるように演奏するのでした。そして約束事の多い演奏と違い、どの瞬間もそれぞれのひとつひとつの音を見逃さず、いつもまったなしで音と空間と時間と、そしてそれらを感じ取る心と体と向き合うので、聴く方も触発され自分の心のありかや動きと向き合わざるを得なくなるのでした。
 坂田明のサックスは単に吹きまくるのではなく、メロデイが決まりきった感情を呼び起こす前にそれを打消し、彼の周りにはそんなメロデイのかけらがいっぱい転がって行くように思いました。そして、それでも音はもう一つの音を求め、もう一つの音がさらに音を求めるようになると、メロディは空間に溶け込み、わたしの心にも溶け、その一方でリズムは限りなく空間を撃ち続けるのでした。
 NHKで、坂田明がモンゴルの遊牧民の暮らしと音楽を訪ねる番組がありました。その時のことだったのか、またそのいきさつをはっきりと憶えてはいないのですが、モンゴルの遊牧民を訪ねると歓迎の意をこめて音楽を演奏してくれたそうです。モンゴルの遊牧民の音楽は果てしない草原と風、草原の草花を育てる夜露、そして草原と共に生きるひとびとの暮しと切り離せないもので、馬頭琴の調べやホーミーは風が歌っているようです。
 そして、「サカタ、あなたも何か演奏してくれ」と言われ、ジャズを演奏すると、「あなたの故郷の音楽を聞かせてほしい」と言われたそうです。フリージャズの旗手としてその激しい演奏と音楽性で世界的な評価の高い坂田明ですが、この時彼は自分の音楽、自分の故郷の音楽とは何かと突き付けられたと言います。そのことが坂田明を「日本的なもの」に向けさせ、有名な「貝殻節」や「平家物語」などにつながるきっかけになったと聞きました。
 ほんとうは藤田清登の奥深く、センチメンタルでアナーキーな低音と空間をこすりつけるようなベースの音色と、たしかなリズムに支えられながら貪欲に音を求めるアンドレア・センタッツオのパーカッションと、坂田明のサックスという組み合わせはとても珍しく、冒険的な音の狩人であったのでしょう。 
 先の記事にも書きましたが、人間の誕生からいくつもの時代を越えて今のわたしたちへとつながる心の底から共振する肉声、血が飛び散るまでやめられない心の叫び…、そこからさまざまな音楽や歌が立ち上る瞬間にもっとも近い所に彼らの演奏があることに感激したのでした。
 最近は島津亜矢にほれ込んでいるわたしにとって、とても不思議な音楽的な体験であったことは間違いありませんが、この夜のアンコールで「赤とんぼ」を演奏するのを聴いていて、フリージャズのすぐそばに歌謡曲や童謡や民謡があることもまた事実で、そういえば島津亜矢の稀有な声はアルトサックスにとても似ていることに気づきました。

JAPZITALY - Centazzo. Fujiwara, Sakata

坂田明「早春賦」

過去の記事・「島津亜矢と坂田明とモンゴルの歌」2012年5月6日


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