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2014.07.16 Wed 能勢の新学校建設の賛否を問う条例を求める署名

 大阪府能勢町の新学校建設について何度か書いてきましたが、「能勢を財政破綻から守る会」による学校建設の賛否を問う住民投票条例制定を請求する署名数が343と、有効数を越えました。
 2011年にも署名活動があり、有効数の10倍の署名があつまり、また昨年6月には町内の教職員のほぼ全ての約105人が計画凍結を求める要望書に署名するなど、計画の見直しを求める住民の声も少なくない中、新学校建設に突き進む現町長、町議会は、今回の署名も玄関払いをするのでしょうか。
 とくに町議会は11人のうち建設推進派は6人で、かろうじて過半数を保っている状態で、そのあたりの事情からかグループをつくり、結束を強めています。
 能勢町は新学校建設などに伴い、財政健全化を目指す「行財政改革プログラム」を策定し、その中で人口減少による財政規模の縮小などから将来、財政再生団体に陥る恐れもあると指摘し、「危機的な状況と判断せざるを得ない」としています。
 破綻を避けるため、中学生以下が対象の「子ども医療費助成」(今年度1500万円)の見直しや町内の診療所の統合なども検討して歳出を減らす方針ですが、町の貯金である「財政調整金」を新学校と葬祭場の建設で使い果たし、夕張市やアメリカのシカゴ市のような財政破たんの可能性を自ら指摘しています。
 「能勢を財政破綻から守る会」ではかねてより新学校建設による財政破たんの危険性を訴えてきましたが、今回は能勢町自らがそれを認めながら、それでも新学校建設をすすめようとしているのを考え直してほしいと、新学校建設に関する住民投票条例の制定を求める署名を町民に求めたのでした。
 わたしは町行政がいま真にやるべきことは何なのかほんとうはわかっていても、頑強な新学校建設推進派の議員が過半数を占める議会に押し切られ、すでに動き出した歯車を止めることを自分ではできないのではないか。町民の反対運動や見直し運動を「キキバネ」に議会に圧力をかけ、最後の最後、見直し論議を揺り起こすために新学校建設によって破たんする可能性が高い「行財政改革プログラム」をあえて策定し、発表したのではないかと、切なくもうがった見方をしたいと思います。それがたとえ、絶望的であったとしても…。
 人口減少が避けられない中、国もまた高度経済成長以後の経済システムや社会のビジョンが定まらず、アベノミクスに象徴される「かつての栄光」を取り戻すカンフル注射を打ち続けている現状です。その中で能勢町のような里山を中心にした農業を支える人も減り、交通アクセスもよくないために住宅地としても絶望的な町は全国に散在しています。人口減と税収減による財政困難は特別能勢町だけのことではないのはだれもがわかっていることでしょう。
 わたしは経済成長による社会の豊かさをもう一度とりもどそうとする「アベノミクス」には疑問があります。以前に紹介しました水野和夫の「資本主義の終わりを認め、資本主義でも共産主義でもないゼロ成長の社会」がどんな社会なのか、わたし自身、高度経済成長の「分け前」をそんなに多くは受け取って来なかったものの、それでも戦後の経済成長と銃による覇権ではなく「お金」による覇権を周辺地域に求め、実行してきた日本社会の恩恵をうけてきたこともたしかなことです。
 ですから、わたしの人生の行く末にもこれからの日本社会の未来にも、とても不安で心配ですが、それでも「経済成長」の栄光と悲惨から解放された「新しい社会」で生きていきたいと思っています。

 今回の新学校建設に突き進む町行政も町議会も、なにを夢みてどんな未来をビジョンとしてこの計画をすすめているのか、まったくわかりません。アベノミクスの立場から見ても、現在の6つの小学校と2つの中学校の耐震改修工事にかかる費用が50億円と言いながら実際は補助金により9億円負担で済むのに対し、新学校建設費40億円のうち補助金は8.5億円しか出ず、能勢町の西南の端にできる学校に通うスクールバスの運行費用もあり、どう考えても実際にかかる費用からもコストパフォーマンスからも無謀な計画としか言いようがありません。
 コストパフォーマンスといえば経済的な効果だけではなく、学校建設は未来を担う子どもたちにかかわる教育理念をすすめるための費用に対する教育的な効果の方が重要なことはもちろんのことです。しかしながら、財政破たんの可能性を覚悟してまで、わざわざ現在の町内のそれぞれの地域ではぐくまれてきた教育(「里山教育」)を捨て、西南の端の傾斜の多い府民牧場跡地に新学校を建設することが「少子化が進む中、豊かな自然環境にある新学校に子どもたちを集めて教育効果を高める」ためでしかないのなら、ほんとうに絶望的な計画です。
 少子化で子どもたちの人数が減るため、新学校に子どもたちを集めて高まる教育効果とはなんでしょう。、子どもたちを競争させることで学力を高め、複数学級を維持してクラブ活動や学級対抗の体育教育などを唱えるのならば、それは高度経済成長の亡霊にとりつかれた教育で、学校建設は「箱もの」行政そのものだと思うのです。
 今、グローバリゼーションのもと国際競争力に勝つための教育が叫ばれていますが、一方では企業はすでに「コストが低く能力の高い」労働力を周辺地域に求めていますし、「国際競争力に勝つ教育」を受けた日本の若者はもとより、中年の日本人もまた日本を脱出しようとしています。
 その結果非正規雇用が37パーセントに達し、少し数は減ったとはいえ毎年3万人近くの人が自殺する国になってしまいました。
 競争原理をかきたてることで子どもの向上心をあおる…、おそらく明治時代からはじまり、今にいたる教育は、たしかに高度な技術力で世界を席巻した時代もありましたが、これからの教育のすすむ方向は少し違うように思います。教育に限らず、軍隊を持たない平和憲法など、これまでいつも「甘い理想」は「賢明な現実(?)」によって軽んじられてきましたが、人間の長い歴史の中で、正義ともうひとつの正義が戦争を引き起こしてきたこと、またヒトラーに代表される独裁者や権力者が戦争を始めたのではなく、他者への恐怖や他者への無知、他者との競争からカリスマを求め、内なるヒトラーに依存するひとびとの理性が戦争を引き起こしてきたこともたしかなことではないでしょうか。
  「賢明な現実(?)」を積み重ねることよりも、「助け合うこと」や「友だちになること」や「ひとをすきになり、自分をすきになること」の方が、案外これからの時代を生きるために必要なのではないかと思います。向上心や努力が他者との引き算のためにあるのではなく、他者と共に生き、他者のためにそして自分のために足し算される、そんな未来をこそ子どもたちに用意する教育があってもいいのではないかと強く思うのです

 少し話がずれてしまいました。ただ、わたしが言いたかったのは、新学校建設を財政破たんだけの理由でやめてほしいと思っているのではないということです。
 もし財政破たんを覚悟してまで能勢町の新しい教育を望むのならば、わたしは今の6つの小学校と2つの中学校の耐震化をふくむ改修工事をして、20世紀の経済成長型の社会を基盤にした教育ではなく、長い歴史の中で培ってきた能勢のひとびとの生活から学び、自然豊かな里山を生かした町をめざした教育と、学校に併設した保育所などの子育て支援、移住してくる人たちへの生活支援、さらには町がすすめている第六次産業など雇用の場の創出などに社会投資すべきではないかと思います。
 新学校建設地は大阪府の府民牧場の跡地で、教育施設をつくる約束で能勢町が大阪府からもらったそうで、もし学校建設をやめると18億円の違約金を払わなければならないと町も推進派の議員も主張していますが、それこそ固い信念を持って大阪府と交渉し、この地にもっと夢のある拠点、たとえば社会教育、環境教育、里山を生かした自然教育、セミナー会場、農業などの起業支援、宿泊施設、観光スポットなど、今度は住民参加でゆっくりとつくっていくことを提案してほしいと思います。そして、スクールバスをコミュニティバスに変更して、町内の交通アクセスを充実させてほしいと思うのです。
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