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2014.06.22 Sun 島津亜矢とごきげん歌謡笑劇団と新歌舞伎座公演

 6月19日、NHK総合で「コロッケぱらだいす ごきげん歌謡笑劇団」が放送され、島津亜矢が出演しました。この番組はおおむね一か月に一回、夜8時からのゴールデンタイムに放送される43分の番組です。
 全国各地での公開録画放送で、コロッケを座長にその土地を題材にしたお芝居と、コロッケとさすらいの歌姫・瀬口侑希、アコーディオン男爵・山岡秀明がその土地の素敵な夫婦を訪ね、2人の出会いやなつかしい思い出話を聞き、懐かしの一曲をプレゼントする「愛のドレミファ3人組」、最後にゲストの歌手の歌という構成です。
 以前は綾小路きみまろが座長となり、弁士として進行する「ごきげん大芝居」をはじめ、さかなクンによる公開収録が行われる自治体をリポートするコーナー、女形の華麗なる舞、公開収録が行われる地域で募集した五七五を紹介するコーナー、綾小路きみまろの名調子で司会進行される歌謡ショーなど多彩な内容で、放送時間も1時間から1時間半の番組でした。2012年にリニューアルとなり、コロッケを中心にした現在の形になりました。

 わたしは実は綾小路きみまろの時の方が好きでした。彼の毒舌漫談には時々お腹いっぱいになっていましたが、さかなクンの自治体レポートは町の様子がわかり、この番組が全国各地で公開放送する意味がよくわかりました。
 特に前半の芝居は本格的なものではない「芝居もどき」の枠組みながら、綾小路きみまろが弁士となり、時には芝居の中に入り込むことで入れ子構造をもった複雑な芝居空間をつくり、芝居の内容も演ずるゲスト歌手たちの演技も熱がこもっていたように思います。またその頃人気となった早乙女太一などの大衆演劇のスターが毎回登場し、華麗な舞を披露するなど、放送時間が長かった分、バラエティに富んだものでした。
 時間が短縮されたこともあるのですが、コロッケが座長になってからはよくもわるくもコロッケが前面に出てしまうようになりました。特に芝居のグレードはかなり落ちてしまったように思います。綾小路きみまろの時は弁士で時々芝居空間をかき混ぜることがかえって新鮮だったのですが、コロッケは主演として舞台に出ずっぱりとなり、芸達者のコロッケに頼る演出になってしまいました。
 もちろん、この番組での芝居は本格的なものではなく、「学芸会」のよさを前面にした芝居もどき、素人芝居のへたうま、そして、ボケもツッコミもごった煮の笑いを売り物にしているのは承知していますが、それにしても少々雑な展開とめりはりのなさが目立ち、孤軍奮闘するコロッケが気の毒に感じます。

 今回の放送では、そのあたりのことがとくに目立っていたように思いました。
 北海道の恵庭市での公開録画で、林業の盛んなこの町らしく「きこり」の物語でした。
 氷川きよしが演じる息子が3年ぶりに家に帰って来るのですが、頑固な父はひ弱な息子が「きこり」には向かないと、秘めた親心で勘当同然にしていたのでした。
 息子は実はこの3年間、「伝説のきこり」のもとで修業し、たくましく成長していました。
物語は、コロッケふんする仲間や「伝説のきこり」、母のとりなしなどにより、息子が大きな木を切る姿を見て父親も息子の成長を認め、これからは親子で助け合っていこうというところで終わります。
 今回の放送では、氷川きよしを目立たせようとする演出が、かえって氷川きよしの魅力をそいでいたように感じました。氷川きよしも芝居をしていますからそんなに素人というわけではないのでしょうが、どこかちぐはぐなめだち方で、芝居からは浮いていたように思います。結局はコロッケとはまた違う意味で、氷川きよしの人気に頼るような演出で、これからもベテランの役者や歌手や人気の歌手などがゲストになった時に、同じような芝居になるような気がして、それはかえって逆効果になるとわたしは思います。

 と、一生懸命番組づくりをされている方々に失礼なことを書いてしまったことを申し訳なく思いながら、一方で母親役の朝芽陽子、父親役の伊吹吾郎の演技はさすがだと思いました。この二人の場合は本格的な芝居ではない「芝居もどき」、「学芸会」というコンセプトに合わせた演技をしていて、やはり演劇人だなと感心しました。
 実は先日、「母をたずねて膝栗毛」という芝居を観に行ったのですが、市村萬次郎、奥田瑛二、中村獅童、水谷八重子という、歌舞伎から新派、映画俳優と、それぞれちがったジャンルの個性的な役者が時々突っ走ったり場違いな浮き方をしたりするのを、藤山直美という稀代の役者が親ゆずりの存在感でひとつのせりふ、ひとつのしぐさであっという間にひとつの舞台空間に引き寄せてしまうのに感動しました。今回の2人もややもすれば氷川きよしとコロッケだけが犠牲になってしまう舞台をみごとにひとつの芝居空間に引き寄せていました。
 そこまで書けば、わたしが今回の島津亜矢をどう思ったのか、わかっていただけるでしょうか。この芝居での島津亜矢は氷川きよし演じる息子が不在だった3年間、旅人だった彼女がこの家の仕事を手伝ってきました。彼女の見せ場は大きな材木をあっという間に切ったり、父親がもう帰ってこないと決めてつくった息子の墓をあっさりと持ち上げたりする場面で、いかにも彼女が持たれている印象どおりの役柄でした。
 この番組での短い芝居では意外性のある演技よりイメージ通りのわかりやすい演技が求められ、それはそれでよかったかなと思います。問題は島津亜矢のイメージがやや太めでたくましく力強いというところにあり、彼女の繊細さやひたむきさ、そして歌でも芝居でも物語を深く読む才能などはなかなか伝わらないものなのでしょう。
 それはともかく、与えられた演出の中で島津亜矢はとってもよくやっていてかわいらしいなと思いました。そして、この芝居の「笑い」にぴったりはまった演技だと思いました。
 正直なところ、3回目の座長公演をむかえる彼女が藤山直美のような役者としての存在感を獲得するのはかなりむずかしいと思います。そんなことが簡単にできるのなら、アルバイトをしながら何年も芝居をつづけているテント芝居や小劇場をふくめたほとんどの演劇人がもっと報われるはずです。
 しかしながら、単なる歌手の素人芝居ではない舞台をめざし、それに近付くためにひたむきに努力する島津亜矢にとって、芝居の経験はまず彼女の歌に大きな進化をもたらしたことはまちがいありません。歌のモノローグから芝居のダイアローグへと表現の地平を広げた彼女は、もしかすると今座長公演をしている分野の芝居よりも、ありえないですが唐十郎のテント芝居で思いがけないスターになるかも知れないと妄想してしまいます。
 唐組の芝居のエンディングで舞台が瓦礫と化し、解体された向こうで夜の町がその闇と隠微な光を垂れ流す中を逆行で照らされた島津亜矢の振り袖姿が風に舞い、「兄弟仁義」が流れるといった妄想が…。
 そんなことを考えながら、近づいてきた新歌舞伎座公演の「おしずの恋」の演出家・六車俊治が唐十郎に傾倒していたことを知り、わたしの妄想もまんざら根拠のないものでもなさそうで、映画やドラマで活躍する気鋭のディレクターが原石にうずもれた島津亜矢の役者としての才能をどのようにひきだすのか、とても楽しみになりました。

 映画をやりたいという思いで東京の大学に進学したのですが、唐十郎さんの舞台を観て「これは、なんなんだ!」と。そこでは『ジャガーの眼』を再演していたんですよ。ライブ感とぶっ飛んだところが田舎者からすると斬新だった。だから大学では映研ではなく劇研に入ってしまった。そしてそのうち劇研の活動だけでは物足りなくなって、自分たちで劇団を作ることになり、唐さんの真似をしてテントも立てました。やっぱりテントだろうって(笑)。幕は明治大学の実験劇場にあった、むかし唐さんが使っていたものを借りて。明治大学は唐さんの出身母体でしたし、だんだんと唐さんマニアになっていましたからね。がんばれば100人くらい入れる幕でした。イントレを2段に立てて、無茶やりました。(六車俊治)

2014島津亜矢新歌舞伎座公演

新歌舞伎座 島津亜矢特別公演

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