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2014.06.19 Thu ふたたび能勢の新学校建設を憂う

 久しぶりに朝の散歩に出ました。春から日に日に緑が深くなった能勢の里山を毎日見ているのですが、鶯などいろいろな鳥たちの歌を聴きながら田畑の間を縫うようにつづく道を歩くと、心が洗われるようです。能勢に移り住んで3年になりますが、短いようでもあり長いようでもあるこの3年という月日は、わたしと妻と妻の母の3人の人生が少しずつ変わるために必要な時間だったのだと思います。
 妻の母、おかあさんの心には今でも長年住んだ服部緑地の植物園そばの自分のお家しかありません。わたしたち夫婦がずっとその家に住めばよかったのですが、それができない事情もありました。おかあさんはもうずいぶん前から認知症で、その上だんだんと体が動かなくなり、妻の介護なしでは暮らせなくなっていましたので、わたしたち夫婦と一緒に能勢に引っ越すしかなかったのでした。
 わたしたち夫婦は能勢に来て、ほんとうによかったと思っています。妻は里山の近くに住みたいという夢がかない、おかあさんの介護をしながら家の庭を利用して野菜づくりをしたり、古着のはぎれを使って能勢の里山の風景を描く貼り絵を製作したりしています。
 わたしは能勢をとても気に入ってはいるのですが、このブログを書く以外に芸がなく、畑仕事もぜんぜんわからなくて、仕事をやめたらテレビばかり見てるんじゃないかと自分でも心配しています。
 引っ越してきてしばらくは能勢の里山や妙見さんなど、いろいろなところを歩き回り、このブログでも「能勢暮らし」というカテゴリーに書いてきました。
 けれどもそのうちに、ただ里山がきれいと思うだけではだめだと気づくようになりました。このすばらしい里山の自然を残していくためには、能勢町の住民の暮らしが未来にわたって成り立たなければなりません。仕事はよその町でも、若い人がこの町で住み続けたいと思うような子育て支援や交通アクセス、さらにはよその町から移り住みたいと思う人のための住宅の確保、農業をはじめとする起業支援による働く場の確保など、町行政と町民コミュニティが助け合って行動しなければならないと思います。

 しかしながら、町行政も町議会の過半数の議員の方々がすすめている方向は、まったく反対の道のように思えてなりません。その最たる施策が新学校建設で、現在小学校6校、中学校2校あるのをすべて廃止し、小学校と中学校ひとつずつの能勢新学校を建設する計画です。わたしが能勢町に引っ越してくる前に、前町長のもとで立案された学校建設は町議会でも過半数で可決されたことで、町民の賛成をすでに得たこととして進められています。
 その間に町長選挙があり、現町長が少なくとも小学校2つと中学校ひとつを公約とし、十全たるものではなくても少しはブレーキがかかることを期待してわたしも現町長に投票しました。ところが町長は議会の多数派の圧力もあって公約をやぶり、いまでは当初案よりもさらにひどい、ほぼ小中一貫校に近い形で進めています。
 一方で議会の多数派は現在の学校の耐震化工事を、そのほとんどは国からお金が出るにも関わらず、また再三国から指示があったにもかかわらず、耐震化に向けての診断費の予算に反対しました。その理由は、「そしたらこんなに安くできるやないかと、国のほとんどの補助、ほとんど町の負担がなしでできると、そしたら(耐震化を)やりましょうとやってしまったらね、そしたらもう耐震化できたやがなと、別になんにも統廃合する必要ないのやと、そういうふうに流れていく恐れがあるとわたしはちょっと懸念しますね」と推進派の議員の町議会での質問にあるように、まったく危機管理も教育理念もない理由で、あきれるよりも悲しくなってしまいます。
 新学校建設と耐震化は別の問題であるはずが、この議員の発言は新学校建設の根拠に耐震化問題を利用しています。もし現在の学校の耐震化ができたら新学校建設が不要とされるかも知れないならば、現在の学校の耐震化の方が能勢町の費用は少なくて済むこともわかってきた以上、近い将来財政破たんが確実にやってくると予想される中、財政調整金というなけなしの貯金を切り崩し、借金(町債の発行)をしてまで新学校をつくる必要がまったくないことを逆説的にこの議員の発言が証明していることにもなります。
 「すばらしい学校をつくっていくんや」と発言されているこの議員とその賛同議員の教育の理想は、現在の学校の耐震化によってゆらいでしまうぐらいの軽い理想なのだとしたら、そこには高度経済成長時代のままの「箱もの」への幻想にしかすぎず、教育の理想とは程遠いと言わざるを得ません。
 2つ以上のクラスが必要だとか、子どもたちが競い合う教育環境をつくることで学力を伸ばすという考え方もまた、経済成長の幻想に依存した教育といわざるをえません。
 水野和夫がいうゼロ成長で豊かな新しい社会像に見合う新しい教育を、専門家も専門家でない人も、大人もこどももいっしょに発見していく時代が来ているのではないでしょうか。世界保健機構が全校100人以内の学校を提唱しているように、世界の流れはむしろ小規模学校にあるのは事実なのです。
 小さい学校だと人間関係が煮詰まり、いじめがおきやすいとか逃げ場がないという意見がありますが、反対に人数が多いためにいじめがわかりにくく、逃げ場に逃げ込んでしまった子どもの居場所がわからないという問題があります。

 さらには、能勢の新学校建設によって現在の学校をすべて廃校にしてしまうという乱暴な計画は、単なる学校教育の問題だけではありません。とりわけ里山とともにつちかわれてきた能勢の懐深い生活文化は地域の学校に支えられ、こどもたちに受け継がれてきたことは、新参者のわたしでも理解できることなのです。
 その延長に、緊急時の避難所の役割が学校に与えられてきたはずです。新学校建設によって現在の学校がなくなってしまえば、それぞれの学校を中心につちかわれてきたコミュニティもまた、なくなっていかざるをえないでしょう。
 地域の防災力はその地域の日常のコミュニティによってつくられることはまちがいのないところで、能勢町の防災力はいままで以上に弱くなるのは必至です。全国の自治体が危機管理対策を作成している中で、さきほどの議員の発言は緊急時の避難所としての学校の役割をも放棄し、能勢町民のいのちを軽んじたゆゆしき発言だとわたしは思います。

 人口が減り、農業の大規模化ができない棚田農業の担い手が減り、雇用をささえる新しい産業も育ちにくい能勢の現状は、日本の縮図と言っていいでしょう。
 能勢に来て3年ばかりで、田畑も持たず、農業を担う知恵も経験もない都会からの移住者で、しかも町づくりの専門知識もアイデアも持たないわたしですから、何を言っても聞いていただけないことも承知していますが、新学校建設が能勢の未来を明るくするどころか、将来に禍根を残すことになるのではないかと、とても心配しています。
 新学校建設はもう進めてしまっていて、行政的にも町民にも後戻りできないという意見が多数なのかも知れませんが、町行政も議会も、最後の最後にもう一度考えていただきたいのです。執行途上の事業を停止することはとても困難なことはわかりますが、例がなかったわけではありません。また大阪府との厳しい交渉があるでしょうが、教育的な機能、たとえば自然教室や研修室、里山や農業にかかわる研究室やシンポジウム会場、宿泊施設などを併設した観光スポットへと計画を変更することも一案ではないでしょうか。
 以前にも書きましたが、「地域に開かれた学校」をわたしは求めますが、近年の社会情勢から言って、門を閉ざした閉鎖的な学校になることが目に見えている新学校建設は、こどもたちを隔離管理するだけではなく、能勢の観光資源を放棄し、わざわざ「限界集落」へと自滅していく道だと思います。
 一方で能勢の将来を憂い、新学校建設を考えなおそうとよびかける町民も少なからずおられることを知りました。その方々と連携し、わたしも何かしなければと思います。
 そういえば、府民牧場だった建設予定地は府民牧場だった時は能勢の数少ない観光地のひとつで桜の名所でもあり、観光客も大勢訪れていました。
今年も多くのひとびとを楽しませることもなく、桜が満開となり、散って行きました。

能勢町 学校統廃合を考える

能勢長谷棚田
関西では有名な観光スポットにもなっている長谷の棚田です。この美しさは、里山で農業を営んでこられた能勢のひとびとの苦難と努力によって成り立っていることに、敬意と感謝でいっぱいになります。
写真は6月11日の早朝に撮影しました。
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