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2014.04.13 Sun 映画「アデル、ブルーは熱い色」

アデル、ブルーは熱い色

 映画「アデル、ブルーは熱い色」を観ました。
 この映画は「身をかわして」、「クスクス粒の秘密」などで注目を集めたアブデラティフ・ケシシュ監督作品で、2013年のカンヌ国際映画祭でみごとパルムドール(グランプリ)に輝いた女性同士の愛を描いた映画です。フランスの人気コミックを原作に、青い髪の美大生・エマと高校生のアデルが電撃的に出会い、愛し、別れるまでの約10年間の情熱的な愛の人生を描いた作品ですが、作品のテーマとともにその赤裸々な性愛描写が物議を醸しました。
 カンヌ映画祭では、審査員長を務めたスティーブン・スピルバーグの計らいによって、ケシシュ監督とともに、エマ役のレア・セドゥーとアデル役のアデル・エグザルコプロスに対してもパルムドールが授与され、カンヌ史上初めて俳優がパルムドールを手にしたことでも話題になっています。
 映画は、フランスのどこにでもあるような郊外の町、普通の両親と普通の高校生・アデルの日常から始まります。朝のバスに乗り遅れたり、学校の友だちと男の子のことなど他愛のないおしゃべりや、少し退屈な文学の授業。アデルの部屋は壁に「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のポスターが貼ってあったりしますが殺風景な部屋で、ベッドに寝そべりながらチョコ菓子を食べ、本を読み、マスタべーションをしたりと、アデルは幼さを残しながらも、あるかもしれない別の人生への幻想と怠惰な日常へのいら立ちを併せ持っています。
 そして父親が作るボロネーゼスパゲティがこの家族のゆるがない絆となっています。まだあどけないアデルですが、スパゲッティを食べる彼女の唇も食べるしぐさもとてもエロチックです。しばしば映画は登場人物が食べるシーンを幾度となく描いてきましたが、この映画も食べるシーンがとても多く、その口元、唇、舌、時にはのどの奥まで写そうとカメラは異様に接近しています。そして、スパゲッティの赤はそれまでのアデルの日常を象徴しているように思います。
 ある日、アデルは男の子とのデートへ向かう途中、街中ですれ違った青い髪の女性エマに心を奪われます。その後、偶然入ったレズビアンバーでエマと再会します。エマは美大生で、アデルは彼女が持つ独特の感性や大人っぽい雰囲気、知性の高さに惹かれていきます。わたしの人生ではこんなに衝撃的な出会いはありませんでしたが、テレビなどで信じられない出会いと恋愛を経験した実話が氾濫していますし、フランス映画のイメージ(わたしの偏見?)からはそんなに違和感がありませんでした。
 それよりも、エマの青い髪がスパゲッティの赤と対置していて、これからはじまる2人の女性の激しくも切ない愛とセックスの非日常性を象徴しているような緊張感が見ているわたしにも伝わってきました。
 エマがサルトルの実存主義を語るのに対して、アデルは「ボブ・マーリーと同じね」と言います。この年代の女性がサルトルやボブ・マーリーを持ち出すのはとても珍しく思いました。わたしもまた若いころにサルトルの「人間は自由なのではない、自由に呪われているのだ」という言葉にはげまされたように、「自分の人生は自分で選ぶ」ことをエマはアデルに伝えたかったのでしょう。それに対しておそらく「ノー・ウーマン・ノー・クライ」などの歌をイメージして、エマの言うアンガジュマン(社会参加)というサルトルの思想をボブ・マーリーは歌っていることを、アデルはエマに伝えたかったのでしょう。
 アデルはサルトルを知らず、エマはボブ・マーリーを知らないというこの会話は、その時は小さなことのように思えたのですが、やがてそれは2人の間の大きな亀裂となっていくことを暗示していたように思います。

 2人が衝撃的な出会いから心だけでなく肉体も激しく求め合うようになるのに、そんなに時間は必要ではありませんでした。
 そのセックスシーンは衝撃的で、世間に氾濫しているポルノ映像が絶対にかなわないものでした。いわゆるポルノ映像はあらかじめ約束された性的な到達点のようなものがあり、観る者もまたあらかじめ知らされているその到達点に向かって興奮を高めるのですが、この映画のセックスシーンはその到達点を拒否していて、2つの裸体が区別がつかないほど絡み合い、その隙間を埋め尽くそうすればするほどすり抜けてしまう心の渇きと、取り残された肉体の孤独がスクリーンいっぱいに広がるのでした。
 話題となっているこの映画のセックスシーンについて監督自身も話しているようですが、彫像的とか絵画的とか芸術的とか、その美しさを評価する声が多いのですが、わたしは性的表現を芸術とわいせつで区別することには反対で、その意味ではこの映画のセックスシーンはどんなポルノ映像よりも刺激的でエロチックで、カメラの異常接近によって観客自身が映画の中に入り込み、美しい裸体に触ってしまいそうな危険な触覚がいつまでも心に残っています。食べるシーンでもそうでしたが、セックスシーンにおいてもカメラは彼女たちのすぐそばにまで接近していて、まるでドキュメンタリーのような臨場感にあふれていました。
 ここまで、映画はかつてならフイルムが焼けてしまうほどの激しい愛とめくるめく肉欲をさらけ出すアデルとエマを追いかけ、観ているわたしも彼女たちの絶頂への切ない爆走を追いかけ、その官能性に火傷しそうでした。
 しかしながら、そこから2人は、とくにアデルは愛の痛みに鞭打たれ、修正しようとしてもどうにもできない愛の冥府をさまようことになります。

 映画について書くと、「ネタバレ」の問題があり、とくに上映中の映画の場合は配慮を必要とすることはわかっているのですが、どうしても気になるシーンのことなどを書いてしまうことになってしまいます。もし、この映画を観ようと思われる方はぜひ観に行かれることをお勧めします。
 その後に、この記事を読んでいただければ幸いです。
 あと2回ほどの記事になります。できるだけ「ネタバレ」をあまりしないように書こうと思います。

映画『アデル、ブルーは熱い色』公式サイト
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