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2014.04.06 Sun 島津亜矢とカラオケマシーン

 以前にも少し書きましたが、最近のバラエティ番組の一つに、関ジャニの番組でカラオケマシーンを審査員にしてプロの歌手とアマチュアが競う番組が人気です。この番組ではプロの歌手が自分の持ち歌を歌ってもカラオケマシーンの採点が低く、対戦相手に負けてしまうことも多々あります。声量や音程、リズムなど基礎的なものがカラオケマシーンの採点基準で、崩して歌うなど独特の歌い方をすると点が取れないということのようです。
 この番組に出場するプロの歌手のスタンスはおおむね2通りあります。ひとつは確信犯で点数が低いことをわかりながら番組を盛り上げるため(?)に出場しているタイプです。曲がりなりにも音楽の基礎に基づいて採点するカラオケマシーンをほんとうに無視できるのかは別にして、よくも悪くも「お遊び」として出演している感があります。
 もうひとつは、プロアマ問わずこの番組をきっかけに自分の歌唱力を広く知らせたいと思っていて、おもにJポップスの名曲を音程、リズム、表現力などカラオケマシーンの採点基準にあわせて見事に歌い上げます。
 1980年代に登場したカラオケはよくも悪くも音楽の世界を変えてしまいましたが、その中でもアマチュアの「歌うま」がカラオケボックスから飛び出て、プロと同じステージで歌を競うテレビ番組がつくられ、これらの番組からプロの歌手への道が開かれるところまで来てしまいました。昔あった「スター誕生」や「全日本歌謡選手権」などのオーディション番組を思い出しますが、現代のオーディション番組の審査員はもはや人間ではなく、機械になってしまったということでしょうか。(もちろん、それはごく一部の現象だと思いますが。)
 カラオケマシーンから厳しい点数を言い渡される「個性的な歌手」は別にして、プロの歌手が機械を相手にグラフを見ながら歌うことに、わたしはとても危険なものを感じます。やはり歌は機械で測れるものではないはずです。カラオケマシーンのグラフを気にしながら、いわゆる名曲といわれるバラードを熱唱し、高得点を競いあう時、そこには歌にとってもっとも大切な「聴き手」を喪失してしまいます。

 心がどうしようもない時、心がこわれそうな時、おおきな悲しみが涙を連れ去ってしまう時、心がかわいた海面のようにかすかすになってしまった時、どこからともなく流れる歌が少しずつ心の隙間にしみ込んでくる。立ち止まった時がおずおずと歩き始め、ふとふりかえるとたたまれていた記憶が春の風にゆれ、もつれていた心のひもがゆっくりとほぐれる。その時、大きな悲しみは明日を生きる希望に変わり、枯れきったはずの心の泉からうれし涙がとめどなくあふれる。「ああ、それでもわたしは生きている」と、歌がわたしをはげましてくれる…。
 60才の時、歌に助けられたわたしは、歌を「人生の親友」と思うようになったのでした。
歌を必要とする心、夢をむさぼり、愛を激しく求める心にとって、歌とは熱い心で歌を叫び、歌をだきしめ、歌を愛することを宿命としたひとによってこそ届けられる…。歌はおよそ人間の長い歴史が発見した最高の宝物であり、もし歌の女神がいるとすれば、歌の女神からもらった最高のプレゼントにちがいありません。
 ここまで書き進むと、わたしが島津亜矢を聴きながらこの文章を書いていることがわかってしまうかも知れません。正直なことをいえば、60才のときにわたしを救ってくれた歌はモンゴル800で、彼女ではありませんでした。わたしは不明にもそれまで、彼女のことをまったく知りませんでした。
 それから2年後、逝ってしまった旧友のKさんから、島津亜矢を教えてもらいました。長く海外で過ごした彼が衛星放送を通じて島津亜矢の「大器晩成」を聴いていたことを知ったのも、彼の頼みで島津亜矢のCDを病床に届けたことも、すでに遠い思い出となりました。
 彼がわたしに教えてくれたものは島津亜矢という単なる演歌歌手だけではなく、遠い地から海を渡り、山を越え、風の行方を追いつづけた果てに、世界に散在するKさんをはじめとするたくさんのいとおしい心をひとつ残らずこの日本の大地に戻してくれる、島津亜矢の歌心そのものでした。
 それから何度か、つい先日も落ち込んでしまった時、なぜか「大器晩成」を聴いているうちにいつのまにか心が修繕され、つきものがとれたように朝の光やうぐいすの啼く声や里山にふんわりと舞う天女の衣のような山桜にやさしく抱かれているわたしがいました。
 歌が歌であるためには一人のだれかが一人のだれかに歌うだけでよく、そこにはプロとしての基礎も表現力も個性も必要ありません。どんなに音程が外れていても、リズムがむゃくちゃでも構わないし、また他人がつくった歌である必要もなく、即興で自分の思いを誰かに伝える心さえあればいいのだと思います。「すき」というたった2つの言葉が愛の告白に充分であるように…。
 しかしながら、歌もまた人間の社会のありようそのままに、そのふたりの前にもうひとり、3人目のだれかにも伝えたいと思うところから、より広くより深く、より広くより遠く届けるための音楽の基礎が必要になってくるのでしょう。
 そう考えると、カラオケマシーンの採点基準を無視する「個性」は個性でもなんでもなく、音楽の基本的な要素をチェックするカラオケマシーンの審査はあなどれないと思います。
 むしろ、より広くより深く、より広くより遠く歌が届くための必要条件のひとつであることは間違いなく、問題はそこからほんとうの個性や表現力、天性の声、そして機械では絶対に測れない「歌を読む力」が歌手には求められるのではないかと思います。
 島津亜矢がもしこの番組に出たとしたら(絶対に出てほしくありませんが)、きっとかなりの高得点で、「圧倒的な歌唱力ですが、教科書どおりの歌ですね、もう少し表現力を」とか言われるかもしれません。それほど彼女の音楽的な基本はカラオケマシーンを凌辱するはずですが、この番組で最高の得点を叩き出す人たちよりも点数が低いような気がします。なぜなら、機械もまた恋をする(くせがある)からで、その機械の性格を読み、機械に愛されるためだけに歌うひとに恋をするからです。
 島津亜矢は決してそんなことはしないでしょう。彼女のライブに行けばわかるように、あたりまえのことですが彼女は人間の心の琴線にふれることしかできない歌手なのですから…。

 ほんとうは「スイート・メモリーズ」と「シルエット・ロマンス」について書こうと思ったのが、まったくちがった記事になってしまいました。関ジャニの番組や、歌の特集番組で島津亜矢がカバーしている歌をオリジナルの歌手が歌ったり、カバーしたりしているのを聴いていると、率直に島津亜矢はほんとうに上手いなと思ってしまうのです。たとえば、ミーシャの「逢いたくていま」など、わたしはミーシャの音楽性については最高だと思っていますが、いわゆる名曲というものが少し苦手なこともあるのですが、この歌をカバーするのはかなり難しいと思います。
 というのは、この歌には実はミーシャの特異な個性が全編に隠れているため、バラードの名曲ととらえて歌うとこの歌の「悪魔性」と呼べるようなものが抜け落ちてしまいます。
 わたしは島津亜矢がこの歌をどう歌っているのかと思いながらアルバムを聴いたのですが、びっくりしてしまいました。彼女はこの歌に隠れている「悪魔性」を見事に読み取った上で、純粋な悲恋とよぶには残酷な心の叫びを肉厚でセクシーな声で歌っているではありませんか。
 彼女の歌を聴けば、ミーシャのオリジナルは別にして、他の歌手のカバーは聴けなくなってしまいます。(ここまで書いてはいけないのですが、ごめんなさい。)
 そして、最近のカラオケマシーンの採点に振り回されてこれらのJポップスの名曲と言われるものが歌われる限り、演歌とはまたちがう意味でJポップスの未来も決して明るくないと思ったのでした。

 つい先日、妻の母親がまた川西市民病院に入院し、仕事の方も忙しいもので更新がなかなかできません。なんとか時間を作って更新していきますので、よろしくお願いします。

島津亜矢「大器晩成」
この歌はわたしにとっては名曲の一つです。これぞ星野哲郎という歌詞に、島津亜矢に託した彼の切なくも熱い想いがあふれていると思います。北島三郎が素晴らしいソングライターになっていたことも、この歌で知りました。

島津亜矢「I Will always Love You 」(ラジオ放送)
島津亜矢がこの歌を歌った当時、演歌の世界だけではなく他の分野で話題になりました。彼女はホイットニーを手本にしていると思うのですが、ホイットニーもまたカバーで、カバーの仕方にホイットニーの生真面目さが表れていて、今聴くと彼女の悲しい死と重ね合わせて切なくなります。島津亜矢の英語力についてはわたしはよくわからないのですが、彼女が歌う外国の歌は独特の歌唱力で、わたしはもっと本格的なリズム&ブルースを歌ってほしいと思っていたら、「SINGER2」で歌っていて、とてもうれしく思っています。今、へーベルハウスの宣伝のバックにかかっている「ニューヨーク・ニューヨーク」は島津亜矢が歌っていますが、「歌・島津亜矢」とテロップを入れてほしいです。
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S.N : URL カラオケマシーンで高得点を出す歌手

2014.04.07 Mon 01:33

tenehiko 様

昨年の12/11にNHK第一ラジオの番組で島津亜矢さんが『かあちゃん』を歌った時にハワイ生まれでカラオケマシーンの番組で高得点を出すという歌手が自信満々で歌っていましたがそれほどでもない歌唱力でした。何の感動もない長いだけの歌でした。彼女は、スタジオのお客さんに対しても不遜な発言をしていました。みんながチヤホヤするのでかなり自信があったのかもしれません。ところが島津亜矢さんが最後に歌った『かあちゃん』を聞いた後は、全く言葉(自信)を失っていたように思いました。たぶん、日本の歌謡界を軽く見ていたと思います。tunehiko 様の意見に共感するあまり、少し過激な表現になったことをお許し下さい。私も島津亜矢さんには、そのような番組に出て欲しくないと思っていますし、出る必要がないことは12/11の放送でよくわかりました。

tunehiko : URL ありがとうございます。

Edit  2014.04.07 Mon 09:36

S.N様
いつもうれしいコメントをいただき、感謝です。
カラオケマシーンというのは悩ましいですね。みんなで歌を楽しむということでは画期的な事件なんですよね。
以前、山田太一のドラマで一人カラオケが出てきましたが、あれはあれで私も一度やってみたいと思ったものです。
ずっと以前に、三浦友和さんがトーク番組で、家族みんなでカラオケに行って、山口百恵さんが歌っても、ほかの家族は次に自分の歌う歌を探していて、みなさんがカラオケに行かれた時と変わらないですよ、と話されていましたが、そうなんですよね。みんなひとの歌を聴いていないことが多いです。
カラオケマシーンの採点サービスは、そんな状態から一歩踏み出して、自分が歌うのは嫌だと思う人までカラオケに呼び込む、なかなか巧みな戦略なんだと思いました。

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