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2014.03.18 Tue 島津亜矢・神戸のコンサート2

 神戸国際会館は大きなホールで、わたしは2階の座席だったのですが、下を見下ろすと音響の操作卓のところ以外は満席で、1800人のお客さんだったようです。いままで新歌舞伎座は2階席でも意外にステージが近い感じがしたのですが、今回は少し遠く感じました。もっともわたしはかぶりつきでなくてもいい方ですし、第2部の会場まわりの時は上から見下ろすとかえって新鮮で楽しめました。
 さて、バックバンドの演奏が始まり、緞帳が上がるといつものように島津亜矢の姿がありました。今回は少しあっさりしたはじまりで、オープニング曲の「流れて津軽」を歌いました。(曲名、曲順がまちがっていたらごめんなさい。)
 いつものあいさつの後、「愛染かつらをもう一度」、「夜桜挽歌」の2曲と、トークをはさんで「出世坂」を歌いました。「出世坂」は個人的には第一部の中でも特筆ものだったと思います。それは多分、昨年のNHKのBSの番組で鳥羽一郎と共演した時に、デビュー当時のCDの収録とはまったくちがう歌になっていて、それまで苦手だったこの歌が大好きになったという個人的な事情があります。
 しかしながらそれ以上に、島津亜矢の歌がまたひとつ大きくなったと思いました。
 ここ数年、島津亜矢の進化については、わたしだけでなく数多くの方が証言しています。ひとつは低音がよく通り、耳から聴こえるだけでなく、骨が共振するように響き、今まで以上に歌の奥行きが広く、深くなったように思います。
 次に、聴く者を圧倒する声量と、透明で硬く、どこまでも伸びる高音だけでなく、静かに染み渡るようにやわらかく、半透明でみずみずしい高音が加わったように思います。
 そして、最後に歌そのものを読み取る想像力と、どんな歌に対しても真摯に向き合い、その歌の誕生と、その歌がたどってきた物語を全身でいとおしく受け止める歌手魂。(わたしの独断と偏見による印象ですので、専門的なものではありません。)
 それらのひとつひとつはなかなか獲得できないものだと思うのですが、彼女はここ数年の間にそれらの獲得のための試行錯誤をしてきたのではないかと想像します。
 「BS日本のうた7」で新しく録音された「函館山から」、「SINGER2」に収録された「かもめ」、「わかってください」とつながる流れも、さらには自分一人の才能や頑張りでは成り立たない芝居も、島津亜矢の新しい可能性を探るものだったとわたしは思います。
 「かあちゃん」という新曲にその努力と天賦の才がほんの一部かも知れませんが結実した一方で、「出世坂」、「大器晩成」など、彼女のホームグラウンドともいえる「演歌」の歌唱がよりドラマティックになったように思います。
振り返ると「イヨマンテの夜」や「黒百合の花」、さらには「なみだ船」や「川」など、圧倒的な声量とスバ抜けた歌唱力で聴く者を圧倒し、完璧だった若いころの歌に満足せず、島津亜矢は本来の声量を保ちながら、より豊かな表現力で「歌よりも歌らしく」(阿久悠「想い出よありがとう」)歌うための不断の努力と試行錯誤を繰り返したことでしょう。
そしてジャンルを問わずあらゆる歌にチャレンジした長い年月をへて、それらのすべての努力と冒険と出会いが実をむすび、新しい島津亜矢が生まれたのでした。
 そこには若いころの怖いもの知らずの完璧な歌唱よりもさらに豊かに表現された歌があり、シンプルでいて複雑な、豪快でありながら繊細な、明快でありながらあいまいな、そんなさまざまなひとの心のごつごつした肌合いやかげりやほとりまでも大きな愛で包み込む歌があります。
 その新しい島津亜矢を感じるのは生で聴くのがいちばんで、今回のコンサートの最大の感動は、個々の歌のすばらしさはもちろんでしたが、新しい島津亜矢の魅力に触れることができたことでした。実際のところ、コンサートのよさはその雰囲気にあるのではなく、マイクと音響を通してであっても生身の体から発せられる波動が、耳や目からだけでなく、体全体に伝わることにあります。
 今回のコンサートで、デビューから30年近くたった今、新しい島津亜矢による新しい「出世坂」を聴き、彼女の進化を目の当たりに実感できてとてもうれしくなりました。
 第一部では他に「温故知新」、「大器晩成」、「娘に」、「帰らんちゃよか」、そして注目の「かあちゃん」を歌いました。この歌については第2部のフルコーラスが圧巻でしたので、後から書くことにします。
 その後、白いドレスに着替えて、アルバム「SINGER2」に収録されている「一本の鉛筆」と「メリー・ジェーン」を歌ってくれました。
 この2曲については、「SINGER2」で他に書ききれていない歌と一緒にまたの機会にさせていただきます。

 第2部は「八重~会津の花一輪~」で始まり、「縁」を歌い終えた後、「王将」、「チャンチキおけさ」、「釜山港へ帰れ」、「裏町酒場」、「帰り船」、「哀愁列車」、「船方さんよ」、「浪花節だよ人生は」まで、恒例の会場回りをしました。
 今回は2階から会場回りも全貌を見ることができたのですが、小走りで握手しながらリズムも音程もまったくはずさない島津亜矢も見事ですが、膝歩きで彼女をフォローするマネージャーの方でしたか、彼にいつも感動します。余程の体力と気力と、そして島津亜矢が好きでなければできないことで、バックバンドの方たちもそうですが、このチームの底力を感じます。
 舞台にもどり、問題の「かあちゃん」をフルコーラスで歌いました。2番の歌詞は、煮物ばかりで不満を言ったら、かあちゃんは何も言わず、あくる日にカレーライスをつくってくれたという話でした。戦後すぐの1947年に生まれたわたしと同世代の方々には、よく似た経験をお持ちではないでしょうか。
 わたしの場合は小学校3年生ぐらいまで、ほとんど毎日、菜っ葉の煮物と魚ばかりでした。ある日のこと、ちゃぶ台になんとクリームシチューとキャベツのサラダが並んでいて、ほんとうにびっくりしたことをはっきりと覚えています。母は食堂をしていましたから、それがそっくりメニューになりました。
 戦後10年が経ち、母と兄とわたしが住む長屋の路地にも、まだ戦後の占領政策の名残と戦後民主主義とともに、貧乏ながらも明日が見えるようになったことと、クリームシチューとサラダはつながっていたのだと思います。
 そんなことを思いだしたとたん、涙がどっとあふれ、号泣寸前になってしまいました。1997年にこの世を去った母が夏の朝、最後にわたしを見つめた青く透き通った瞳、子どもが言うのも変ですが、とてもきれいだった母でしたが、化粧もせず、いつも汚れたエプロン姿で必死に私と兄を育ててくれたこと、息を引き取る瞬間にすっと苦しみが消えたように、そんな若かったころのきれいな顔に戻ったことなど、涙とともに母との思い出があふれてきたのでした。
 わたしと兄のために母親としてのみ生きた母、彼女の人生はそれでよかったのか、そんな母の愛情に充分に応えることができなかったわたしを、母はどんな風に感じていたのか。ほんとうにかわいそうな母だったと思う反面、愛人との間に生まれた2人の子どもを育てるためにその愛人とも別れ、生きるために髪振り乱して食堂を切り盛りしていた母、日本全体が貧乏だった時代にわたしと兄をそれぞれ高校まで行かせてくれた、そんな生きざまを誇りとして生きぬいた母は、立派なひとでした。
 「かあちゃん」はそれを聴くひとそれぞれの人生のせつない物語をつづる、古くて新しい抒情詩だと思います。島津亜矢はそれをよくわかっているからこそ、CDにするだけでは物足りず、コンサートで2度も歌うという常識やぶりの構成でこのステージをつくり上げたのでしょう。
 CDバージョンのオリジナルも尊重しながら、この歌のフルコーラスを届けたいという彼女の並々ならぬ熱い想いが込められていて、ほんとうにすばらしい歌でした。
その後、「感謝状」を熱唱し、わたしはもう充分堪能しましたが、そうでした、このひとはもうすべてを出し切ったパフォーマンスの後に、この歌をまだ歌えるのです。「俵星玄蕃」…。
 そして、最後はマイクを両手で抱き、ひざまづいて深々と頭を下げる彼女の姿は、また涙でかすんで見えました。
 今回は全部を書ききれないまま、長い記事になってしまいました。ごめんなさい。

島津亜矢「かあちゃん」
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