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2014.03.13 Thu 心が壊れそうな時・島津亜矢

 3月というのに能勢の春はまだ寒く、うぐいすのボイストレーニングと雪景色が同居しています。
 その日の朝、わたしはバスの座席に座り、窓の外をぼんやり眺めていました。能勢に引っ越してから週に3回、いつものように新大阪まで仕事に出る朝に見る里山は、そうは言っても春の準備にいそがしくなってきました。
 わたしはといえば、久しぶりに島津亜矢の「BS日本のうた7」を繰り返し聴きながら、涙がこぼれそうになっていました。その朝、わたしは仕事をやめる決心をして仕事場に向かっていたのでした。そして、そういえばいままでに何度か同じようなことがあったことを思い出していました。
 高校を卒業して就職した建築設計事務所を半年でやめた時、大阪の中之島公園の公衆トイレの壁にエッチな落書きや「人民蜂起、革命万歳」などと書かれた落書きの上に「ビートルズ フォー エバー」と赤くにじむ落書きを見ていました。そして、わたしは「ミスター ムーンライト」を歌っていました。その時わたしは若く、まだ書かれていないその後の人生にわくわくし、仕事をやめたことがまるで社会の束縛から解放されたような傲慢な勘違いをしていました。そういえばこの時代、世間ではドロップアウトという言葉が流行っていました。
 それから3年間働いた、大阪の本町にあった繊維会社のビルの清掃会社を辞める時、わたしの心に流れていた歌は三上寛の「夢は夜ひらく」でした。このひとの歌に、若かったわたしはずいぶん助けられました。
 それからの一年を大阪府豊中市の空港近くのアパートで友だち4人と、妙に勤勉なヒッピー暮らしをした後に20年も勤めた機械工場をやめた時、お別れ会で歌った歌は森進一の「おふくろさん」でした。
 それから16年間働いた豊能障害者労働センターをやめる時は、深夜にクイーンの「ウィー アー ザ チャンピオン」を川のほとりで歌っていました。
 そして、それから後3年働いた新大阪の障害者団体をやめる時、わたしは歌を聴くことも歌うことも忘れていました。それほど深刻ではなかったものの、わたしはうつ病になってしまったのでした。4月になってもこたつにもぐりこみ、あおむけに横たわると、わたしの頭上には広大な砂漠が広がり、心はかわいた海面のようにすかすかになっていました。そして、どんな歌も心にとどまることなく通り過ぎて行きました。
 それでもそんなある日、たまたまテレビを見ていると、モンゴル800の「小さな恋の歌」が聴こえてきました。いつのまにかほほを流れる涙に気づきました。何か月か行方不明の自分を探しつづけ、泣くことも笑うことも忘れていたわたしでしたが、その時、わたしにもまだ熱い涙が心にたまっていたことを知りました。わたしは泣いていました。
 67年も生きて来た今になっても社会性にとぼしく、なかなか仕事場でも上手に人間関係をつくれず、結局は何度も仕事をやめてきたわたしですが、その時々に、わたしの心のもっとも深くやわらかい場所で、とくにわたしを励ますわけでも勇気づけるわけでもなく、ただ寄り添うように歌はあり、歌はながれ、わたしの心をあたたかくしてくれたのでした。
 
 バスの中ではICレコーダーに録音した歌を聴くのが習慣になっていて、その日の朝日新聞に阿久悠の「京都から博多まで」のエピソードが書いてあったことから、無性にこの歌が収録されている島津亜矢のアルバム「BS日本のうた7」を聴きたくなりました。太宰治の「人間失格」ではないですが、わたしの悪いくせで自分を追い込んでしまい、仕事をやめる決心をしてバスに乗ったわたしの心に、島津亜矢の歌がゆっくりとしみこんでいきました。今まで不遜にも彼女の歌のすばらしさを書いてきましたが、結局はそんなことは戯言にしかすぎず(もっとも、これからもそんな駄文を書き続けることと思いますが)、弱くてたどたどしく、年甲斐もなく傷つきやすく、だだをこねるように心の押し入れに閉じこもってしまうわたしにとって今、寄り添うように流れてくる歌は島津亜矢の歌なのだと思いました。そのことがせつなくもうれしくもあり、肋骨に涙がこぼれ、しみこむようでした。
 このアルバムもまたわたしの大好きなアルバムで、前に書いた「函館山から」や「兄弟仁義」をはじめ、島津亜矢がすでに今のような奥行きと広さ、そして肉感的な声ととてもデリケートで複雑な心の風景を表現できる歌唱力を獲得していたことが、いまあらためてわかります。そのことが、心がどうしようもない今のわたしのかくれたくぼみや傷をやさしくつつんでくれるのでした。

心がどうしようもないとき
あなたの心が壊れてしまいそうなとき
音楽は流れているかい?
そのとき音楽は流れているかい?
ひとりぼっちにはなれやしない
だからといって強くも優しくもなれそうもない
だれもただしくはない
だれも間違っていない

 昨年の春から、島津亜矢とおなじくらいに大好きになってしまった曽我部恵一の「満員電車は走る」の歌詞の一節ですが、まさしくそんな心境の中で、島津亜矢の歌はわたしの心の友になったのでした。
 結局わたしは、仕事を辞めないまま家に帰ってきました。仲間に迷惑をかけてしまったことを心苦しく思っています。こんなことを書くのはある種の約束違反で、もし関係者が読めば悲しんだり怒ったりするだろうなと思います。
 それでも、わたしはそのことよりも、島津亜矢がわたしにとってとてもたいせつなひと(歌手)であることを切実に思ったことを書き留めておきたかったのでした。
 島津亜矢さん、ほんとうにありがとう。

島津亜矢「京都から博多まで」
かなり音がひずんでいますが、若かった島津亜矢のこの歌へのアプローチの深さを感じます。

島津亜矢「シクラメンのかほり」

曽我部恵一BAND「満員電車は走る」
「震災があって、日本で生活する人たちの心はボロボロになってしまった。いまもたぶん、みんなが暗いトンネルのような場所を手探りで歩いている。少しでも明かりのある場所を求めて。でも、ぼくはそんなことに屈しない魂を知っていた。もうずっと前から、しいたげられ、見捨てられ、でも叫び続けてきた魂たち。
震災があったからこそ、ぼくはそんな魂たちを歌いたかった。今、この瞬間にも、満員電車は走っている。ぼくたちみんなの魂を乗せて」(曽我部恵一)
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