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2014.02.23 Sun 島津亜矢「達者でナ」と280円のラジオ

 2月20日の「木曜8時のコンサート」に島津亜矢が出演し、「達者でナ」を歌いました。
 この歌は1960年に発表された三橋美智也の歌ですが、1950年代の戦後歌謡曲の黄金時代を代表する三橋美智也はわたしの母が大ファンで、大衆食堂をひとりで切り盛りしていた母でしたが、ラジオから三橋美智也の歌が流れてくるとその時だけは手をとめて、耳をラジオの方にかたむけて聴いていたことを思い出します。もともとお店の余りもので子どもたちのごはんをまかなえると考えて食堂をしていた母でしたから、不必要な娯楽に使えるお金があるはずもなかったのですが、ただひとつ中古のラジオだけがタンスの上に大切に置かれていました。
 そのラジオは中古品で、どぶ川の上にバラックを建て、電器製品の修理をしていた「どものおっちゃん」から280円で買ったものでした。当時はまだ中古の電器製品を買う家も多く、彼はどこからか手に入れてきたこわれたラジオなどの修理品を売ったり、またそれらの修理を引き受けて生計を立てていたのでした。
 実はわたしもどもりで、父親がいない不運などどうでもいいぐらい、どもることを悩んでいました。ですから、「どものおっちゃん」の話題がでると、自分のことを言われているみたいでとてもいやでした。
 そんなわたしでしたが、ラジオがこわれて、一度だけ母に頼まれて修理をしてもらいにおっちゃんの家に行ったことがあります。
 六畳あるかないかの一部屋だけの棚に真空管や小さな部品がつめこまれ、布団らしきものがどす黒く外の光にさらされていました。彼がどもりながら必死で故障の原因をしゃべってくれるのですが、わたしにはまったくわかりませんでした。
 「どものおっちゃん」と、どもりのわたしとの会話、そのときの切なさは逆光に浮かび上がるおっちゃんのシャツと短いズボン姿の輪郭とともに鮮明に覚えています。
 280円のラジオはそれから数年のちに中古のテレビがやってくるまでは、我が家の宝物でした。時々「キューイン」という風がふきすさぶような音に三橋美智也の歌は一瞬かき消されましたが、またどこからともなくやってきた雑音とともに聴こえてきました。
 時々、このラジオからジャズやブルースが流れることもありました。母はもちろん、わたしにもその音楽のよさを知るにはまだ何十年もの時が必要でした。
 どこか途方もない世界の果てからはるばる海をわたり空を駆け抜け、中古の真空管の回路をすりぬけてきた不思議な音楽は、一枚へだてた外の光が節穴を通して入り込むバラックの空間に居場所をみつけたように、なつかしくしみこんでいきました。
 実は「どものおっちゃん」はそれほどくわしい電気の知識がないアマチュアのラジオマニアで、本を読んだり電器屋の見よう見まねで電器製品を修理再生していたようです。
実際修理をたのんでもすぐにこわれ、「やっぱりあのおっちゃんにたのんでもあかん」と、よく大人たちは言っていました。それでも、町のひとたちはなぜか「これぐらいの修理やったら」と、「どものおっちゃん」のところにこわれたラジオなどを持っていきました。今思えば、そんな風にしてみんなが彼の生活を支えていたのだと思います。
 そのすぐ後にものすごいスピードでテレビ、洗濯機、冷蔵庫、いわゆる「三種の神器」が広まり、彼もテレビの修理をはじめたものの知識がともなわず、やがて町を去って行きました。

 島津亜矢の「達者でナ」を聴いていると、1950年代の日本の、そしてわたしの住んでいた町の、まだ戦争の傷跡ががれきとなって残っていた風景や「どものおっちゃん」の姿とともに、子ども心にわたしが感じていたよりもずっと貧しかったはずの日々を必死に生きた母のせつない思いを想像し、心が打ち震えるのを止めることができません。
 島津亜矢は以前より三橋美智也の「哀愁列車」をよく歌っていて、アルバムに収録されていますが、この歌は特に母が好きだった歌でした。今から思えばシングルマザーとしてわたしと兄を育てることだけに生きることを決心し、早朝から深夜まで働き続けた母のたったひとつの楽しみというだけではなく、この歌の中では母はいとおしいひとりの女性としての心情を重ねていたのかもしれません。
 島津亜矢は限りなくどんな歌でも自分の歌にしてしまうカバーの天才といわれますが、それは単に彼女が稀有の才能を持っているからだけではなく、歌の方が彼女を選び、彼女もまたその歌を読み、その歌を愛し、その歌の隠れた物語を一生懸命語るように歌うのでした。夜空に光る星が今を生きるわたしたちに届くために何億光年をくぐり抜けてきたように、およそ人間が歌うことを覚えた時から何億何十億何百億という歌たちが生まれては消えていった、その無数の歌たちが今も次に彼女に歌われることを待っているかのようです。
 ですから、彼女にとって何がオリジナルで何がカバーなのかは問題ではなく、彼女の前ではすべての歌が開かれているのだと思います。それはちょうどひとつの曲で数々の名演が繰り広げられるクラシックやジャズのように…。
 「達者でナ」は民謡歌手としても素晴らしい足跡を残した三橋美智也らしい異質な歌で、一方で戦前の中山晋平、一方でアメリカのカントリーやブルースをルーツとするワールドミュージックであることを、他ならぬ島津亜矢に教えてもらいました。わたしは前の記事で島津亜矢がリズム&ブルースの源流にたどりつける歌手であると書きましたが、なんのことはない、彼女は三橋美智也の歌を通して、リズム&ブルースのさらなる源流であるブルースに、それも世界に遍在するワールドミュージックのひとつである民謡を主軸とする日本のブルースにたどり着いていたことを知り、あらためて島津亜矢の才能の大きさと歌の対する真摯にくわえて、ひとつの歌が彼女の前にたどりつくまでの数々の物語をさかのぼる「歌を読む力」に感服しました。
 1986年デビューという「遅すぎた天才演歌歌手」ともいわれる島津亜矢ですが、わたしはむしろまだ時代が彼女に追いついていないと思っていて、現代演歌が確立されてしまう直前の三橋美智也が切り開いた道を引き継げる数少ない歌手として、日本の独自のブルースシンガーとしても花開く時があると思っています。
 その意味でも、島津亜矢には三橋美智也の歌をもっともっと歌ってくれることを願っています。

「三橋美智也の『達者でナ』で描かれる世界は圧倒的だ。明日可愛がっていた栗毛を町へ出す(販売!)。別れの言葉はさよならではない。『風邪ひくな ア〜♪カゼひくな』 です。ここにシビレなきゃ ブルースは理解できない。」(三上寛)

三橋美智也「達者でナ」

島津亜矢「哀愁列車」
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