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2014.02.19 Wed 島津亜矢とビートルズと肋骨レコード

島津亜矢「SINGER2」

 先日、友人の結婚を祝う小さな会でBGMを何にするか迷った末、ビートルズを流すことにしました。最近ほとんど聴くことがなく、ずいぶん久しぶりにビートルズを聴くと、なつかしく思う間もなく心は19歳の日々にもどってしまいました。誰もが経験されることでしょうが、音楽のすごいところは、ほんの短いメロディーや歌詞がそのみずみずしさをそのままによみがえることです。
 ましてや、1960年代という激動の時代に音楽のジャンルにとどまらず、世界の若者たちに文化的にも社会的にも政治的にも圧倒的な影響を与えたビートルズの音楽なら、世界中のちがった場所で時をこえて無数の人々の心を染めてくれることでしょう。
 ビートルズがメジャーデビューした1962年、北大阪の小さな町で母と兄と3人で心細く暮らしていたわたしには、その頃巷に流れていた日本の歌謡曲しか聴くことも歌うこともありませんでした。大阪市内の高校に入り、同級生たちの間でビートルズが爆発的に流行っても、わたしは奇しくも同じ1962年にデビューした畠山みどりが大好きになり、ビートルズに対抗して、同級生たちに星野哲郎の歌詞から人生論を吹っ掛ける、今から思えばほんとうに嫌味な奴として高校時代を過ごしました。そんなわたしでしたが高校を卒業してすぐ、極度の対人恐怖症のわたしをはげましてくれた数少ない友人たちによるビートルズ包囲網に囲まれ、3年遅れでビートルズのファンになっていました。
 
 「ラブ・ミー・ドゥ」から「ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード」まで、BGMに使うために録音しながら聴いていて、今の音楽はほんとうに変わってしまったのだとあらためて思いました。
 音楽はいつの時代も現在と未来にむかって開かれていて、過去を振り返るなどは少なくとも「ロック」とは言えないことは承知しているのですが、その上で1960年代の音楽が持っていたあの「むなさわぎ」はどこに行ってしまったのだろうと考えてしまうのです。
 もちろん、それは私自身の問題で、あるひとはゲバ棒で、あるひとはギターで、あるひとはカメラで、あるひとはハプニング芸術で、そしてわたしのようにただただ身をかがませて激動の時代の風をくぐりぬけたひとびとがその後の半世紀をどう生きてきたのかと自問すれば、言葉をなくしてしまうこともあるでしょう。そして今、団塊の世代といわれるわたしたちの世代が社会の厄介者やクレーマー扱いをされるようになりつつあることも承知しています。
 それでもなお、単なる懐メロと言い捨てることができない「過去の歌」には、演歌であってもポップスであっても、常識や感覚から自由になれば若いひとたちの心にも届く時代の物語があると思います。1960年代、世界に目を向ければ政治的抑圧、民族的迫害、性的差別など、今もって解決していない数々の問題が突出した時代でした。そんな嵐の季節に生まれた音楽はジャンルを問わず、その時代の暗闇も希望も光も絶望も内包せざるをえなかったこともまた真実だと思うのです。
 もちろん、今次々と生まれる音楽もまた時代の壁をこえて次の時代に伝わって行くことはまちがいのないことですが、最近の音楽はバーチャルな脳内空間に直接ひびく音楽やメッセージが垂れ流し(ダウンロード)され、ひとと出会うための音楽、ひとと語り合い、歌いあう音楽といえばカラオケボックスの小さな空間にしかないのが現実です。以前にも書きましたが、一言でいえば音楽が巷に流れなくなっただけでなく、巷を必要としなくなった時代をわたしたちは生きていて、今の音楽が時を越えて伝わったとしもそこにあるのは圧倒的な孤独感で、モノローグの脳内空間をふるわせるだけのような気がするは年寄りの偏見や懐古趣味のせいだけでしょうか。
 それはまるで村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる頭骸骨を所蔵する図書館のようです。 
 
 島津亜矢の「SINGER2」に収録されている「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」を聴いていてハッとさせられるのは、1960年代のリズム&ブルースのヒットナンバーであるこの歌を島津亜矢が歌うと、夜がまだ忘れ物をさがしている間に朝が夜の気配を消していく黒土の巷が一瞬にしてよみがえることです。
 もちろん、いろいろなポップスの歌手が歌ってもこの歌が持っている1960年代はよみがえることでしょうが、彼女の場合はこじんまりとしたジャンルの中ではなく、「海鳴りの詩」や「兄弟仁義」といった「ド演歌」といわれる場所から、馬糞のこぼれる道々にまだ切ない自由とすこしは近代化した貧困がないまぜになっていた1962年の日本の、わたしの住んでいた町の路地裏にまでその歌が届いてしまうのでした。
 わたしは以前から「道南夫婦船」や「海で一生終わりたかった」などのオリジナルや「無法松の一生(度胸千両入り)」などの数々のカバー曲を聴いていて、このひとは日本のいまはなくなってしまった巷や路地裏にたどりつける数少ない歌手のひとりで、だからこそリズム&ブルースを歌えるでしょうし、ぜひ歌ってほしいと願っていました。
 いままでも「アンチェインドメロディー」や「I Will Always Love You」などを歌い、演歌以外のジャンルで高い評価を得ている彼女ですが、わたしはまだこれらの歌にはどこかお手本があり、そのお手本もまたカバー曲であるがゆえに少し物足りないと感じていました。そして、「演歌」を歌う場所からいくつもの海といくつもの大地を越えて、リズム&ブルースやジャズ、ブルース、ソウルミュージックの源流へとさかのぼっていく島津亜矢を夢みてきました。
 ちなみに、わたしの妻はおそらくわたしよりもう少し演歌が好きでないようですが、島津亜矢にはビリー・ホリデイの「奇妙な果実」なんかを歌ってほしいとよく言います。わたしもまた、ビリー・ホリデイやアレサ・フランクリンなどに挑戦してほしいと思っていて彼女たちのディープな領域にたどり着いた時、はじめて島津亜矢の演歌がほんとうに花開くのではないかと思っています。
 1966年のパーシー・スレッジのデビュー曲「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」は、その意味でも彼女の大きな転機になる一曲だと思います。わたしが大阪の心斎橋筋をナンパするわけでもなくぶらぶらしていた時にレコード店から聴こえてきたり、仕事が終わると大きな紙袋をさげ、公衆トイレでスーツからグレーのよれよれのコートと綿のパンツに着替え、大阪曽根崎通りのすこしいかがわしいお店に入り浸っていた時にボブディラン、ビートルズなどと一緒に、この歌がよく流れていたことをつい昨日のように思い出します。島津亜矢がパーシー・スレッジを聴いたのか、もしかすると1991年のマイケル・ボルトンのカバーを聴いたのかはわかりませんが、どちらにしてもブルース、ジャズ、リズム&ブルース、ソウルミュージックの荒野に大きくまた一歩踏み入れたのではないでしょうか。

 わたしは不明にもビートルズが解散してから後に、彼らの音楽のルーツがエルビス・プレスリー、チャック・ベリーなどアメリカ大陸にあったことを知りました。音楽にくわしいひとなら大西洋にわたる前に太平洋を渡ってアメリカの音楽が押し寄せ、その中でも虐げられてきた人々の悲鳴や叫びがロックンロールへとたどりつく歴史もご存じのことでしょう。
 その意味でビートルズはわたしにとって、音楽の重い扉を開いてくれた最初の人たちで、彼らの音楽の向こうにあるいろいろなことを教えてくれた人たちでありました。
 かつてビートルズのラブソング「ヘイ・ジュード」がチェコの歌手マルタ・クビショバによって祖国への思いを込めた革命のシンボルとなったことや、旧ソ連の若者たちがいらなくなったレントゲン写真フイルムにジャズやロックなど西側の音楽を非合法に録音し、聴いていた歴史的事実があります。彼女たち彼たちの行動はなにも西側の音楽にたいするあこがれだけから来るのではなく、それらの音楽そのものにアメリカ大陸のアフリカンをはじめ、抑圧され虐げられた人々の悲鳴に似たメッセージが隠されていて、時として音楽がひとびとの人生だけでなく国家や社会の抑圧にあらがうよりどころになることを教えてくれます。
 わたしは日本の演歌をそのルーツに持つ島津亜矢が、かつてのチェコや旧ソ連の若者たちが命を危険にさらしてまでも音楽を求めたように、今もまた日本の世界の路地や巷、時には戦火にけむる路上のうごめくひとたちが強烈に求め、必要とする歌、島津亜矢の「新しい歌」を歌う時がやってくると固く信じています。
 島津亜矢の「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」は、その予感を感じさせるとても刺激的な歌唱だと思います。

 明日はまた「木8」に島津亜矢が出演します。テレビで一曲歌うだけで彼女の魅力が伝わるかはわかりませんが、はじめて聴いたひとたちの中から確実にひとりふたりと、彼女の歌に魅入られてしまう人が増えていくことでしょう。かつてのわたしがそうであったように…。

パーシー・スレッジ「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」(1966年)
島津亜矢の歌唱は視聴でさわりだけが聴けます。
「SINGER2」はほんとうにおすすめのアルバムです。ぜひ聴いてみてください。

マイケル・ボルトン「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」
こちらの方が多くの方がご存知かもしれません。

The Beatles「The Long And Winding Road」(1970年)
解散を前にした最後の録音の一つだと思うのですが、「長く曲がりくねった道は 君のもとに向かう道」とはじまるこの曲はポールの寂しさもにじみ出ていて、後期の作品の中でもっとも好きな曲です。
しかしながら、デビュー当時、1962年から65年までの歌は怖いもの知らずな感じで、演奏も決して上手とは言えないですが(今の若い人たちの演奏技術は彼らよりはるかにうまいと思います)、聴く者の心を奮い立たせるというかわくわくどきどきさせます。
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