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2013.12.15 Sun 曽我部恵一と島津亜矢とピッコロと

 今日はNHK「のど自慢」に島津亜矢が出演し、新曲の「かあちゃん」を歌うようで、落ち着かない心境でこの記事を書いています。
 「かあちゃん」は大阪府箕面市のミュージックショップ「ピッコロ」に注文し、来週のはじめに取りに行こうと思っています。大阪府の北の端・能勢に住んでいるわたしは、アマゾンなどインターネットで注文する方が簡単なのですが、豊能障害者労働センターに在職時に何かとお世話になった縁で、「ピッコロ」で買うことに決めています。
 CDを買うよりもインターネットによるダウンロードで楽曲を購入することが多くなった今の音楽事情から、CDショップはどことも運営が難しいと聞きます。しかしながら、わたしはLPがCDに代わる時にも抵抗感があった記憶があり、ダウンロードで「歌」を買うことにはどうしてもなじめません。
 何年か前、箕面市の健康福祉部長のOさんと話をしていたら、「いま、CDショップがどんどんなくなってしまって、近辺の街の高齢者が「ピッコロ」にカラオケ用のカセットやCDを買いに来ていて、お店を頼りにしているお客さんのために続けている」と聞きました。若いころから生まれ育った箕面という町が大好きで、素人バンドのドラムスをたたいていた(もうひとりの)Oさんが経営する「ピッコロ」は福祉の町・人権の町、箕面と近隣に住む高齢者にとって大切なお店で、いわば大衆文化の交差点でもあります。
 さて今回、島津亜矢の「かあちゃん」と一緒に、曽我部恵一の新曲アルバム「超越的漫画」を注文しました。よく友人から「島津亜矢から曽我部恵一まで、幅広いというか支離滅裂すぎる」と指摘されます。
 このブログでも島津亜矢のファンの方からも曽我部恵一のファンの方からもひんしゅくを買うことは間違いないでしょうが、「相棒」の杉下右京の口癖ではありませんが、「それがわたしの悪い癖」で、実際わたしにとって島津亜矢と曽我部恵一はひとつの糸でつながっていて、どちらも心躍り、心ふるわせる人なのです。
 と書いたところで、後2時間で「のど自慢」が始まります。まだCDを聴いていないわたしはこの放送ではじめて聴くことになる島津亜矢の「かあちゃん」についてはまた後日に書くことにして、つい先日に京都の「十得」でのライブで聴いてきたこともあり、曽我部恵一について書こうと思います。

 今年の5月、「春一番」コンサートではじめて彼の音楽を聞いた衝撃については以前のブログに書いています。フルバンドの騒然とした演奏の余韻と歓声がどよめく中で現れたジンーズ姿の曾我部恵一がギターの弦をたたいた瞬間、大阪服部緑地の野外音楽堂の超満員の会場のお祭りムードだった空気が凍りついた瞬間を、今でも覚えています。それが彼の音楽との出会いでした。
 わたしは保守的な人間で、それは音楽に関してもそうで、わたし自身が新しい音楽を発掘したり発見したりすることはほとんどありません。というか、そういう環境に身を置くほどの音楽グルービーではなく、インディーズにしてもメジャーにしても、わたしが関心を持った段階でその音楽はすでに一部のひとたちに熱烈に支持され、どこからともなくその音楽の情報が流れていることがほとんどです。古くは中森明菜、最近ではいきものがかりやモンゴル800など(このラインアップからして支離滅裂に思われるでしょうね)がそうですし、もちろん、島津亜矢との出会いも今は亡き旧友のKさんがきっかけでした。
 ところが、曽我部恵一はほんとうに何も前情報がなく、いろいろなバンドが出演する「春一番」にあの日行かなければまったく知らないままだったと思います。
 そのため、その音楽を聴いた時の衝撃はすごいもので、わたしは数曲の歌を彼が歌うたびに60代半ばという年齢もわすれ、「ウォーッ、ウォーッ」と叫んでしまいました。
 いまではそれらの曲が「キラキラ!」や「恋人たちのロック」など、彼のファンにとっておなじみの曲だったことを知りましたが、その時はとにかくはじめて聴く歌で、出会い頭で頭をぶつけ、目の前の暗闇に痛い星がキラキラするのに耐えながら、彼の音楽に酔いしれてしまいました。
 ああ、きっと若い人たちが音楽と出会う瞬間というのはこの感じなんだろうなと思った時、そうだ、自分の若かった時、そんな衝撃を受け、その後のわたしの人生に大きな影響を与えてしまったひとがいることを思い出しました。三上寛でした。
 そうでした。それは三上寛の音楽に触った時以来の、やけどにも似た心のほてりでした。

ひとりぼっちにはなれやしない
だからといって強くも優しくもなれそうにない
だれも正しくはない だれも間違っていない (曽我部恵一「満員電車は走る」)

震災があって、日本で生活する人たちの心はボロボロになってしまった。
でも、ぼくはそんなことに屈しない魂を知っていた。もうずっと前から、しいたげられ、見捨てられ、でも叫び続けてきた魂たち。震災があったからこそ、ぼくはそんな魂を歌いたかった。 (曽我部恵一)

 震災後、たくさんの応援ソングや絆ソングが生まれ、歌い続けられていますが、わたしはそれらの歌に込められている願いやその歌を歌う人たちの純粋な心を否定するものではありませんが、果たしてそれらの歌が震災以前から虐げられ、見捨てられてきた魂への想像力を持っているかといえば疑問に思います。曽我部恵一は決して表立ったメッセージソングを歌う人ではないのですが、彼の歌の中に震災後の世界の姿と、その未来を担う魂のありようを受け取ることができます。
 わたしはそんなに音楽のことをくわしく知りませんが、その魂の叫びこそがロックンロールミュージックが歴史の底に隠し、つちかい、自ら鍛えてきた歌そのものだと信じてやみません。
 彼がこの歌をギター一本で歌う時、彼の叫びはバンド編成の時よりもパンクでせつなくて、わたしはどんなフルバンドのロックよりもロックそのものだと思うのです。
 その叫びはここで紹介するPVとは比較にならないもので、ライブでしか聴けません。

 さて、ここまで書いてきて、わたしがなぜ島津亜矢と曽我部恵一がひとつの糸でつながっているかを説明できたかと言えば心許なく、この2人についてはこれからも少しずつ書いていこうと思っています。
 ただ、いま伝えられることは、まったく違うジャンルでまったくちがう歌を歌っているように思えるこの二人は、どちらも「ほんとうに必要な歌」を歌い、「ほんとうに必要な歌とは何か」といつも問い続ける宿命をもった歌手で、歌が生まれる以前の「魂の叫び」を歌える歌手だということでしょうか。それを島津亜矢は「演歌」といい、曽我部恵一は「ロック」と呼んでいるのでしょう。
 京都「十得」でのライブの模様や、今年何度か彼の音楽に触れたことなどもまた、次の機会に書くことにして、いよいよ後20分ほどで「のど自慢」が始まります。
 なんとか放送までにこの記事を書き上げることができました。
 それでは、「のど自慢」がはじまるまでのあと少しの時間、心を落ち着かせ、心の準備をすることにします。

2013年5月11日 曽我部恵一「満員電車は走る」・「祝春一番2013」その2

曽我部恵一「6月の歌」

曽我部恵一BAND「満員電車は走る」

島津亜矢「想い出よありがとう」
この記事に合う歌はと考え、数ある熱唱の中でこの歌にしました。阿久悠の遺作詩を10曲の歌にしたアルバムの中の一曲で、新曲「かあちゃん」のカップリングにチョイスされました。

曽我部恵一オフィシャルサイト
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    箕面市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。 ケノーベル エージェント - 2013.12.16 09:23