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2013.12.08 Sun 映画「ローザ・ルクセンブルク」

映画「ローザ・ルクセンブルク」

 1984年11月4日、わたしは大学祭でにぎわう大阪大学豊中キャンパスの隅の古い講堂に立っていました。その日、その会場で当時一世を風靡した「ヒカシュー」と「ローザ・ルクセンブルク」のコンサートがあったのです。
 「ローザ・ルクセンブルク」は1983年に結成され、結成して1年のこの年にNHKのコンテスト『YOUNG MUSIC FESTIVAL』に出場し、「在中国的少年」が審査員の矢野顕子・細野晴臣らに絶賛され金賞を受賞、注目を浴びていました。
 もっとも、そんなことはつい最近知ったことです。わたしは当時豊中に住んでいて、どこかのお店の店員にすすめられたのか、その名も「げんこつコンサート」という、ガリ版すりのポスターがとても印象的でしたが、なによりも「ローザ・ルクセンブルク」というバンド名にひかれて、このバンドの音楽を聴いてみたくなったのでした。

 わたしはその頃、ふとしたきっかけで隣町の箕面市で活動をはじめた豊能障害者労働センターと知りあい、それまで関心はあってもきっかけを持てずにいた社会的な活動への小さな一歩を踏んだところでした。
 そこで障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」の編集長で、被災障害者支援「ゆめ風基金」の副代表で、当時は豊能障害者労働センターの代表でもあった河野秀忠さんからドイツの革命家、ローザ・ルクセンブルク(1871年3月5日 - 1919年1月15日)を教えてもらい、彼にすすめられたマルクス主義の入門書として知られる「経済学入門」を読んだりしていました。
 わたしはマルクスの「資本論」は難しくて読んでいないのですが、ローザのこの本はどこまでがマルクスでどこからがローザ自身の思想なのかはわからないけれども、この類の本で感動したり興奮したのは、若い時のサルトル以来でした。
 その中でも後に「資本蓄積論」で詳しく論じることになるのですが、資本主義が膨張していくためにその外側の地域からの土地、資本、資源、労働力などを収奪し、一方でその地域を市場としてとりこむことを繰り返すという植民地主義への指摘は、あまり思想書などを読んだこともなく、読解力が足りないわたしでもそれこそ目の鱗がおちるようで、世界を観る目がぱっと広がったようでした。
 中でもイギリスの産業革命による綿織物産業がアメリカ南部の綿花栽培に支えられ、その綿花栽培は1000万人以上といわれるアフリカからの黒人奴隷によって支えられたことなどローザ・ルクセンブルクの本で知りました。そして、黒人奴隷たちによってアメリカのブルーズが誕生し、その後のR&B、ロックンロール、レゲエ、ジャズなど、世界のポピュラー音楽のルーツとなったその底流に、悲しみや怒りや、それでもかすかな希望を抱いて生きぬき、死んでいった何万何十万何百万人の人々の熱い涙が今も流れ続けていることを知りました。
 ローザ・ルクセンブルクは「血のローザ」とも呼ばれ、わたしも過激な革命家で武装闘争をしていたように勘違いをしていましたが、彼女の年賦や業績を知り、演説集や書簡集を読むとまったく正反対で、彼女はラジカル(根源的)ではありましたが決して武装闘争を望まず、まわりの同志が次々と第一次世界大戦に突き進むドイツの政治に加担していくのを徹底的に批判し、戦争へと突き進むことを阻止しようとして投獄され、解放されてはまた演説し、「民衆を扇動した罪」でまた投獄されるといった人生でした。
 ロシア革命の過程ではドイツやイギリスやフランスなど先進国ではなく、その周辺地域のロシア革命を認めない友人に対して、「革命は大衆から生まれる」といい、ロシア革命こそが大衆による革命なのだと論じ、ロシア革命成立後のレーニン率いる一国社会主義国・ロシアにおける「前衛党」による一党独裁を批判し、のちのスターリニズムを予言しました。
 「自由とはつねに、思想を異にする者のための自由である」という有名な言葉どおり、出版、結社、集会、言論の自由を保障すべきとする考えから武力闘争ではなく、言論による大衆革命、そして国家の枠を超えた労働者による革命を目指し、戦争へとつきすすむ国家主義に立ち向かい、最後は同志により惨殺されたローザ・ルクセンブルクこそ、ほんとうの革命家でもあり、反戦平和運動家でもあり、また人権闘争の先駆者でもあったと思います。

雪に覆われた監獄の寒々とした情景に重なって、ローザの声が手紙を読み上げる。
なぜ、人間は人間を虐げるのか。人間が人間を支配するのは、人類の宿命なのか。悲惨な体験は避けられないのか。それはなぜなのか。
 そう問いかけた後、彼女は続ける。
「しかし、なぜと問うても意味ないことです。なぜ小鳥がいるのか、わたしにはわからない。でも獄房の壁ごしに遠い小鳥のさえずりが聞こえてくると、わたしは安らぎを覚えるのです。」 映画「ローザ・ルクセンブルク」
 1985年に制作されたマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の映画「ローザ・ルクセンブルク」は、この革命家が残した2500通にも及ぶ手紙を手掛かりに、革命家としてだけでなく、花を愛し、鳥を愛し、人間を愛す一人の魅力的な女性として描いた作品です。
 何度も投獄され、厳しい監禁生活に耐え、迫害を恐れず、民衆の蜂起と反戦・平和を根気強く、誇り高く訴えるローザ。解放されている間は激変し切迫する社会情勢の只中で革命家として行動し、収監されている間は自然を愛し、心細やかな手紙を親愛なる友人に書き残したひとりの女性の心をいとおしくフイルムに焼き付けたこの映画は、監督が当初「ローザの忍耐」という題名にすることを考えていたそうです。
 そして、その静と動の両方を描きながら、社会が戦争というひとつの方向に突き進むのを止めようと必死にもがくローザが、かつての同志でもあったひとたちと軍人によっていとも簡単に惨殺され、川に放り投げられるシーンであっけなく映画は終わります。
 暗闇の中、かすかな光のはらわたがゆれる夜の川…。その暗闇はやがてヒトラーとナチによるファシズムの足音と、ドイツにとどまらず殺戮のるつぼと化していくヨーロッパと世界の暗闇を暗示しているようでした。

「アンナ・ハーレント」の上映を記念して特別上映されているこの映画を、わたしは26年ぶりに観ました。平日の12時45分から一回だけの上映でしたが、けっこうお客さんが入っていました。わたしのように26年ぶりにもう一度見に来られた人もいたのではないでしょうか。
 新作「アンナ・ハーレント」といい、トロッタ監督の映画がこんなに人気があることはとてもうれしいことですが、この監督の映画は、ローザ・ルクセンブルクが言論、演説によってひとびとの心を奮い立たせたように(ローザ・ルクセンブルクが何度も投獄監禁されたのは、聴く人の心をわしづかみにする彼女の演説、言葉の力を時の権力が恐れたからです)、ローザを演じ、アンナを演じたパーバラ・ズーコヴァという俳優を映画の言葉として、映画を観ているわたしたちに対する痛烈なメッセージであることに気づかされます。
 昨日、あれほどの反対がある中で特定秘密保護法が成立してしまいました。日本の社会が少しずつかつてローザが生きた時代、日本の戦前の社会をたどっているのではないかと不安になります。一方で、ローザのように多くのひとびとが必死にそれを止めようとしていることもまた事実で、国会の外では何千人というひとびとが意思表明しています。
 わたしもまた、なにか行動しなければという思いに駆り立てられます。わたし以外にもそんな思いを持っている人々がたくさんいて、そのひとたちがこれらの映画を観に来られているように思うのです。
 ことしの流行語で語るのは軽薄かも知れませんが、林先生のように「いつやるの?今でしょ」とトロッタ監督に言われているような気がします。

 ところで、ローザ・ルクセンブルクというバンドはその名前の通り、とてもすばらしい音楽を聴かせてくれました。わたしは当時も今も音楽のことや、とくにジャンルのことはよくわからないのですが、心に届く音楽だったと記憶しています。というのも、わたしはこの時のライブ以外には彼らの音楽を聴く機会がなかったからですが、その後、このバンドのボーカルが「どんと」で、後のボ・ガンボスのボーカルでもあり、残念ながら2000年に亡くなってしまったことをずっと後に知りました。

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