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2013.12.04 Wed 映画「ハンナ・アーレント」1 その前に「鉛の時代」

アンナ ハーレント

 マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の映画「ハンナ・アーレント」を観ました。

 映画にしろ、演劇にしろ、文学にしろ、音楽にしろ、わたしは何事につけても集中し、「究める」ことが苦手で、幅広い芸術の地平を歩いたり、きちんとていねいにひとりの作家や芸術家の作品群を追いかけることはできない人間でした。(もっとも最近は島津亜矢や村上春樹、唐十郎、小島良喜といった人たちにはなんとかついていくようにしていますが…。)
 そんなお断りをしたうえで、わたしは映画が好きで、若いころは映画マニアのように、一日に2本も3本も映画を観たりしていました。人それぞれの好みがあるのは当たり前ですが、わたしはハリウッド映画などの商業映画はほとんど観たことがなく、もっぱら小さな映画館にかかる映画を観てきました。このように言うと、小難しい映画ばかりを観る偏った映画マニアと思われて当然ですが、わたしにとっては日活ロマンポルノ以前の大蔵映画、若松幸二や足立正夫のピンク映画からATG映画や岩波映画のような難解で前衛的な芸術映画といわれるものまで、小さな映画館で観る映画こそがささやかな娯楽映画だったのでした。
 子どものころ、わたしの住む大阪府摂津市千里丘(当時は大阪府三島郡三島町千里丘)にはじめて映画館ができました。母は府道高槻線のそばの畑地を年2回のお届けものだけで貸してもらい、一膳飯屋をして生計を立て、兄とわたしを育ててくれました。日本全体が貧乏だった時代、母子家庭の親子3人がその日のごはんにありつけるのは飯屋の残り物だと母は考えたのでした。
ある日、映画のポスターを持ったおじさんがやってきました。「駅前に映画館ができたのですが、ポスターをお店の前に張らしてほしい。お礼に映画の券を4枚進呈します」。
わたしがはじめて観た映画はそのタダ券で観た「ターザン」と嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」でした。その小さな映画館は冬には客席の後方にストーブがあり、映画の最中にストーブにコークスをガラガラと入れるという無茶苦茶なことをしていましたし、映写室は客席の後ろにあるのですが客席との高低差がなく、時にはお客さんの頭が邪魔をすることもありました。そして、映写機のジリジリとなる音がはっきりと聴こえていました。
そんなひどい環境なのに、わたしはその映画館で映画を観る楽しみを教えてもらいました。正直のところ、わたしたち家族の貧乏は映画館の入場券を買うことなど許しませんでしたし、テレビもなかった頃でしたから、思いがけずささやかな娯楽をその映画館はわたしたちにもたらし、わたしを映画好きにしてくれたのでした。その映画館「千里丘弥生シネマ」はわたしの「ニュー・シネマ・パラダイス」そのものだったのです。
そんな事情から、わたしは大きな映画館より小さな映画館を好み、その結果あまり知られない映画ばかりを観ることが多くなってしまいました。そして、小さい映画館にかかる映画は、その映画を必要とする人たちに届けるために「撮らなければならない映画」として制作され、その映画を上映しなければならないと思う小さな映画館に届けられ、「観てもいい映画」でもなく「観たい映画」でもなく、「観なければならない映画」を観るためにやってきたひとびとが集まってくるのだとわかりました。

そんなわたしにとって、映画「ハンナ・アーレント」はまさしく「観なければならない映画」でした。
 監督のマルガレーテ・フォン・トロッタの映画をはじめて観たのは遠い昔、1981年の映画「鉛の時代」でした。わたしはこの映画をその当時、豊中市職員組合の女性部の主催で豊中市民会館の会議室で自主上映されたのを観ました。
「鉛の時代」は1977年に過激派の一人として逮捕され獄中死した実在の女性闘士グードルーン・エンスリンとその姉で雑誌『エンマ』の記者であるクリスチーネ・エンスリンをモデルに、社会変革の方法論も女性としての生き方も対照的でありながら深い愛情で結ばれた姉妹二人のそれぞれの内面を描く映画でした。
この映画もそうですが、トロッタ監督は過激派や革命家・ローザルクセンブルク、そして今回の映画の哲学者・アーレントと、実在の人物と実在するドキュメントフイルムなどを交えながら時代の悲鳴を描き、血塗られた歴史の真っただ中で暮らし、恋愛し、遠くかすかな希望を信じて生きた女性たちの壮絶ながらいとおしい人生を映画フイルムに収めてきたといえるでしょう。普通なら過激派の映画と聞いただけで敬遠してしまいがちな、時としては反社会的とみられてしまうテーマを、ひとりの女性の生活の地平でとらえるこの監督の映画に、わたしは心を奪われてしまいました。
大人になってから生きる道も主義主張もちがってしまった姉・ユリアンヌと妹・マリアンヌでしたが、ドイツ赤軍の活動家となった妹が誘拐殺人の容疑で逮捕され、姉が獄中の妹と面会を重ねることでお互いをもう一度理解するようになります。
その妹が獄中で死に、自殺という当局の発表に疑問を抱いた姉は、平穏な恋人との生活を拾て、死因を究明し始めます。数年後、妹の死が自殺ではなく、当局の理不尽な暴力によるものであったことを確信しますが、「鉛の時代」の過激派の死に世の中の関心はなく、反対に妹の息子が「テロリストの子」といじめられ、火を放たれて全身やけどを負ってしまいます。
映画はたしか、妹の息子に尋ねられ、彼のおかあさんがどんなひとだったのか、何を夢みて何を願い、何をしてきたのかを話し始める所で終わったように記憶しています。
たしかに社会を変革しようとひとりよがりの行動で人をきずつけ、自分自身もきずついてしまう武力闘争は決して認められないものの、妹がなぜそこまで突き進んでいったのかをまっすぐにとらえ、検証してきた姉が、時代の闇を覆い隠さず、妹の息子に次代の希望をたくすように語り始めるシーンに心が震えました。
それからの時代、ドイツにおいても日本においても、その希望はどんな運命をたどったのでしょうか。
そういえばこの映画会は会議室の後ろの方に映写機が設置されていて、子ども時代に慣れ親しんだあの音、ジリジリジリとフイルムが回る映写機の音が聴こえていました。

「ハンナ・アーレント」にたどりつけないまま、すでに紙面がなくなりました。この後は、実は今日観てきた「ローザ・ルクセンブルク」から書き始め、その後に「ハンナ・アーレント」のことを書こうと思います。

鉛の時代

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