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2013.11.17 Sun 「唐版 滝の白糸」その1

唐版 滝の白糸

 11月15日、唐十郎作・蜷川幸雄演出による「唐版 滝の白糸」を観に行きました。前回観た「盲導犬」につぐ唐十郎と蜷川幸雄の「友情」というにはもっと深くラジカルなシンパシイーを感じる芝居です。
 わたしは幼いころに大阪府吹田市の芝居小屋で、「瞼の母」だったか「国定忠治」だったか、股旅物の大衆演劇を見た以外、歌舞伎、能、狂言、新派、新国劇、新劇など、ほとんど芝居を観に行くことがありませんでした。もちろん、テレビでは何度か見たことはあるのですが、テレビ画面で芝居のほんとうの魅力がわかるはずもありません。
 そんなわたしが、ただひとつ芝居のおもしろさを知ったのが唐十郎の芝居でした。その頃も今も、唐十郎や寺山修司の芝居を「アングラ」と呼び、最近の小劇場の芝居とは別のものとされているようですが、わたしにとっては子どもの頃に一度だけ観た芝居は別にして、唐十郎の芝居がわたしが思う芝居のすべてだったのでした。
 もともと芝居に興味がなかったわたしでしたが、大島渚の「新宿泥棒日記」の中で「由比正雪」の一場面が映されていて、それを観たときに突拍子もないフィクションが現実をゆがませ、その亀裂から「もうひとつの現実」が時空を超えて噴き出す恐怖と快感に心が震えました。
 それでも実際に唐十郎ひきいる状況劇場の紅テント小屋に入ったのはおそらく1974年、もうなくなってしまった大阪天王寺野外音楽堂で上演された「唐版 風の又三郎」が最初で、それ以後状況劇場が解散し、唐組が旗揚げして以来、年に一度の関西公演はほぼ観てきたと思います。
 それなのに、いまだに芝居のストーリーさえはっきりと覚えていないし、毎年観に行って「どんな芝居だった?」と聴かれてもまったく答えられず、情けなく思います。
 きっと、わたしは唐十郎の芝居を観たいのではなく、膨張し続ける唐十郎の脳内空間そのものといえる紅テントの闇の中をさまよいたいのだと思います。
 ただ、残念なのは麿赤児の退団後、根津甚八から小林薫が活躍した頃からしか観ておらず、状況劇場の黄金期の数々の名作、すでに伝説とも言える「腰巻お仙 振袖火事の巻」、「ジョン・シルバー」、「由比正雪」などの芝居は観ることができませんでした。たしかその頃は京都の鴨川の河原で上演されていた記憶がありますが、その頃のわたしはヒッピーまがいの暮らしから結婚、就職といった社会的な暮らしに適応するために悪戦苦闘していて、わたし自身の心も体も生活も、京都にまで芝居を観に行く余裕がありませんでした。
 今から思えば大阪から京都へは30分もあれば行けるのに、ほんとうに惜しいことをしたと後悔しています。
そんなこともあり、今回の蜷川幸雄演出による「盲導犬」と「唐版 滝の白糸」の連続再演はとても魅力的で、今まで商業劇場での演劇は観たことがなく、また経済的にかなり無理があるのを承知で観に行くことにしたのでした。
 「唐版 滝の白糸」は泉鏡花作「義血侠血」に想を得た芝居で、謎めいたセリフが行きかい、猥雑さと懐かしさにあふれた唐十郎の密室空間を、蜷川幸雄の大胆な演出により「演劇スペクタル」へと進化させた作品です。新派の芝居や映画で何度も取り上げられた原作とは一見似ても似つかぬ物語ですが、そこは唐十郎の特異な才能により、「唐版 風の又三郎」と同じく、原作のもっとも深いところでつながっているようにわたしは思います。
 といっても、先に書きましたように今回もまた何がなんやらわからないうちに終わってしまったのですが、それでも「盲導犬」を観たときにも思ったのですが、いつもは紅テントの小さな胎内空間を役者が駆け回り、セリフがとても近いところで行きかうのに比べ、はるかに大きな空間でセリフの行きかう距離が長く、テンポもゆっくりなのでかえってごまかしのきかない緊張感とリリシズムが劇場を覆い、何日たってもその張り詰めた演劇空間が残した皮膚感がわたしの心にへばりついて離れません。
 唐十郎の芝居に限らず、芝居を観るのが病みつきになってしまうのは筋書きにあるのでも意味探しにあるのでもなく、その芝居がつくりだす空間と時間と役者の肉体と、その肉体から絞り出されるセリフがわたしの日常を侵食する快感にあるのかも知れません。
 ともあれ、「盲導犬」、「唐版 滝の白糸」は蜷川幸雄によって唐十郎の戯曲が紅テントの暗闇から商業劇場という、いわば白日のもとにさらされことで唐十郎と蜷川幸雄のどちらもが試される冒険であったことでしょうし、その冒険に役者も観客もさらされた大事件だったにちがいありません。とくに「唐版 滝の白糸」は、後半のクレーンを使ったスペクタルにたどり着くまでは、紅テントならもっと頻繁にギャグやドタバタあるところを3人の役者の重くて長いセリフがつづきますので、役者さんにはとても厳しい芝居だと思いました。
 蜷川幸雄はもちろんのこと、この芝居の再演を企画実行された劇場関係者の方々、そしてなによりも出演された役者さん、とくに烏山昌孝は別にして「唐組一派」ではない役者さんたちに拍手を送りたいと思います。
 ほんとうに、観に行けてよかったと思います。
 次回の記事で、おそるおそるどんな芝居だったのか、あらすじもふくめて書いてみたいと思います。
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