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2013.10.10 Thu 「天神さんの古本まつり」

天神さんの古本まつり

 今年も、大阪天満宮で大阪古書研究会の「天神さんの古本まつり」が開かれ、豊能障害者労働センターも出店しています。
 1998年の第1回から、豊能障害者労働センターはこのお祭りに参加させていただいて、あれから15年の月日が流れ、振り返ると個人的にも感慨深いものがあります。
 
 15年前のある日、わたしたちはバザー用品回収で市民が提供してくださった古本を何冊か持って、大阪梅田・かっぱ横丁の古書店「梁山泊」に売りに行きました。
毎年、春に大きなバザーを開き、地域でもリサイクルショップを運営している豊能障害者労働センターでは、日常的にバザー用品の回収をしているのですが、本については充分な活用ができていませんでした。一度、古本屋さんもやってみたのですが、なかなか店舗を構えるまでには本の種類が少なく、といってバザーやリサイクルショップだけではさばききれません。
 また、どうしても障害者団体ということも関係するのか破格に安い値段で売ってしまうことになります。たしかにいただいたもので、わたしたちを通して市民から市民の手へと本が手渡されていくことに役立ってはいますが、一方で価値のある本をその価値を知らないまま10円20円で販売することになってしまいます。実際のところ、高価な本ほど一般的には関心が持たれず、保存状態の悪さから捨てざるを得ない場合もありました。
 そこで、値段の問題だけでなく、本もまたそれを必要とするひとに届けてこそ意味があるのではないかと考え、古書店に引き取ってもらえないかと考えたのです
 わたしは個人的には高校生の頃から道頓堀の先代「天牛書店」や梅田の「萬字屋書店」に出入りしていて、当時は「ビニ本」とよばれたアダルトなクラビア雑誌の表紙を視野の隅で見てはどきとぎしながら、その頃関心があった美術関係の本や小説、詩集などをよく買ったものです。そして、手持ちの本を売りに行ったこともよくありました。
 
 値打ちがありそうに思い、持ってきた数冊の本を、店主の島元さんは一冊ずつ説明しながら少し高い値段で買ってくださったと思います。
 「実は…」と、わたしたちは豊能障害者労働センターの活動を説明し、「一般的に売れない本がたくさんあるのですが、一度見に来てもらえないでしょうか」とお願いしました。「いいですよ」と快諾してくださり、数日後の夜に事務所に来てもらうことになりました。作業台を片づけ、物置においてあった本を山と積んで待っていると、ひょうひょうと現れた島元さんはほんとうに一冊ずつ丁寧に見て下さり、お店の時と同じように「なぜこの本がこの値段なのか」と説明しながら値段をつけてくださいました。
 ふつうはざっと見て何万とか言い、実はかなりの本を「つぶし」といって破棄してしまうことが多いことを知っていたわたしたちはびっくりしました。「いやいや、この方法はこの方法で文句が出ることもあります」といいながら、好意的な値付けをしてくださったのでした。そして、買取ができない本については「これらの本はわたしが持って帰ったら処分になってしまうことが多く、あなたがたならバザーやお店で必要とする人たちに届けられるのではないですか」と残してくれました。わたしは、島元さんの本に対する思いと、本を通してつながる人と人とのこころを見守る姿勢に感動しました。
 それからまた何か月かすぎて、「また本がたまったので」と来ていただいた時、島元さんは「今年の秋にわたしたちが開く古本まつりに店を出しませんか」と言ってくださいました。素人でよくわからないですが、古本屋さんの市に出店するには年間の会費や、そのお祭りにかかる費用の分担、それになによりも古本への知識と経験などの資格みたいなものがあるのではとわたしたちがいうと、豊能障害者労働センターの活動に賛同し、特別出店という形で参加してもらいましょうと言ってくださいました。
 こうして島元さんの紹介と推薦で、豊能障害者労働センターは大阪古書研究会の「天神さんの古本まつり」に特別参加させていただくことになったのでした。
 第1回のお祭りの初日は雨でした。平日でもあり、そんなににぎわいを感じませんでしたがそれはわたしたちの間違いで、このお祭りではわたしたちが慣れている音楽も鳴らず呼び込みもなく、お客さんもまたひたむきに本の山をふみわけ、棚に並ぶ本たちのささやきを聞き、静かに手に取り、立ち並ぶお店をひとつずつまわっているのでした。
 耳を澄ますと雨の音にとけるように「ひたひた、ひたひた」と静かな足跡が、まるで全国各地から本を求めるひとたちの合唱のように聴こえてきました。実際のところ、鹿児島をはじめとする九州や関東からのお客さんも少なからずいらっしゃいました。
 わたしはブラッドベリーの「華氏451度」で、本を読んだり本を持つことを禁じられたひとびとが、焚火を囲みながらひとりずつそれぞれ一冊の本を暗記しているシーンを思い出していました。
 
 古本屋さんには、新刊書店にはない魅力にあふれています。「今でしょう」を主張する新刊とちがい、古本屋さんではつい最近出た本と何十年も前に出た本がなんの違和感もなく並んでいます。それらの本の一冊一冊がその場所に来るまでにたどった場所と時間や、その本がどれだけの人の手に渡り、読み継がれてきたのかを本そのものは語りませんが、古本を読んでいるとその本を読み進んだ先人の気配を感じるのです。
 わたしたちの国では本を読む人が少なくなる一方で、本の出版は年々増えつづける奇妙な現実があります。活字に飢え、本に飢える子どもたちが世界中にいる一方で、時には読まれないまま書かれた記憶までも消えてしまう無数の本たち…。本たちはある時は古書店の棚の隅で、ある時はバザーの広場の地面の上で、何よりも自分を必要とする読者を待ち続けているのではないでしょうか。
 酒のように本もまた読者によって熟成されるのだと思います。読者に愛読され、何度かの引越しにも捨てられなかった本たちがならぶ本棚は酒蔵なのだと思います。そして古本屋さんや「天神さんの古本まつり」にならぶ本は単に「古い本」ではなく、そんな読者が手放した後悔や、別の読者に託した思いが熟成された特上のワインとも思えてくるのです。
 今年も「天神さんの古本まつり」で、わたしを待っていてくれる本を探しに行こうと思います。

第16回「天神さんの古本まつり」
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