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2013.08.28 Wed 8月21日のコジカナツル

 8月21日の夜、大阪西梅田のミスターケリーズに行われた「コジカナツル」のライブに行きました。以前は京都三条の「RAG」でのライブが多かったのですが、最近はミスターケリーズに来るようになり、大阪に住むわたしにはうれしい限りです、もっともわたしは2年前から大阪の最北端である能勢に引っ越したため、阪急から能勢電車の山下駅までほぼ最終電車でそこからはタクシーしかなく、以前よりはお金がかかるライブになってしまいました。
 コジカナツルとは、井上陽水、近藤房之助、Char、桑名正博といったアーティストが厚い信頼を寄せるピアニスト・小島良喜、
阿川泰子、渡辺貞夫、日野皓正などのグループで活躍後、現在、自己のトリオをはじめ数々の名ライブを生みだす日本屈指の最強ベーシスト・金澤英明、
そして今井美樹、布袋寅泰、ポルノグラフティー、福山雅治から槙原敬之、いきものがかり、さらには森進一、坂本冬美まで幅広いジャンルのアーティストのレコーディング、ツアー・サポート等でひっぱりだこの人気ドラマー・鶴谷智生、
 この3人が2002年から活動している刺激的なユニットです。
 わたしは1990年に豊能障害者労働センター主催による「桑名正博コンサート」に、今は亡き桑名正博さんの声掛けで来てくれた小島良喜との縁で、2003年にコジカナツルのライブを箕面市民会館で開く幸運を得ました。
 この時、わたしはユニット名を「コジカナツル」ではなく、「小島良喜トリオ」と勘違いをしてしまい、関西一円は言うに及ばず、豊能障害者労働センターの機関紙「積木」を通じて全国に間違ったユニット名で宣伝してしまっただけでなく、当日になってもその間違いに気づかなかったわたしは、「小島良喜トリオ」と書いた大きな看板まで作ってしまったのでした。
 普通ならこのとんでもない失敗が許されるはずもなく、ライブを中止されても仕方がないことですが、彼らはそんなことをまったく気にもかけず、許してくれたことを今でも感謝しています。と同時に、彼らにとってそんなことはほんとうにどうでもいいことで、「いかに楽しく音楽ができるか」、「どんな音楽的冒険ができるか」だけが大切なのだと知りました。彼らのプレーヤーとしての力量や経験からすれば、お客さんをそれなりに満足させる予定調和的なライブをこなすのは簡単なことですが、その程度のことなら彼らにとってこのユニットでやる意味はないのだと思います。
 音楽的な野心と好奇心にあふれる彼ら自身が「今日はどんな冒険ができるのか」と、内心わくわくしながらお互いの出方をさぐるように演奏をはじめ、「今日はそう来ますか」とか「あれ、そんなことしちゃうの」とか目と目で話し、ピアノとベースとドラムスであれこれしゃべりながら演奏を高めていくと、いつしかライブ会場から底抜けの夜空と眠る大地と黒く光る夜の海へと彼らと一緒にわたしたちも繰り出していくのでした。
 その時、彼らの音楽から生まれるものは限りない自由そのもので、わたしたちはありとあらゆる権威や拘束から解き放たれるのでした。
 そんな彼らだからこそ、わたしの飛んでもない失敗も懐深く許してくれたのだと、今は思っています。
 それはともかく、すこし前はコジカナツルとして関西に来る機会があまりなかった時期があったのですが、最近はよく来るようになり、ファンとしてはとてもうれしい限りです。
 
 いつのライブでも、結局は「よかった、すごい」という感想しかないのですが、今回もまた、すばらしい時間にしてくれました。
 前回の時は鶴谷さんが爆裂しましたが、今回は特に3人とも楽しくて仕方がないという印象でした。とくに小島さんはやっぱりこのひとたちと音楽やってる時がいちばんしあわせなんだなと思いました。それを証明するように、鍵盤へのタッチがとてもやわらかで、いつもならもう少し行き過ぎてしまって、それを鶴谷さんが「負けへんで」とやり返し、金澤さんが「こまったもんだ」と舵をとる、といった場面があるのですが、この夜はどこかお互いの居場所を確かめるようにしてお互いを高めあうような信頼感にあふれていたように思います。
 何度も聞いた曲がほとんどなのですが、聴きなれたテーマとコード進行を後にして毎分毎秒、一瞬一瞬の音たちはひとつとして同じものはなく、あたかも画家が沈んでいく夕日を描こうと変わりゆく無数の色を塗り重ねていくうちに、やがて夜になりキャンバスが真っ黒になってしまうように、彼らの音楽もまた時間のキャンバスに無数の音たちを重ねていくうちに、いつか白い闇だけがわたしたちの心のもっとも柔らかいところに残るのでした。これを「ジャズ」とよんでもいいのだと、わたしは思いました。
 彼らの音楽を旅している間、わたしは同じような経験をしたことがあるのを思い出していました。それはもうかなりの昔、箕面市民会館に山下洋輔がやってきた時でした。ずいぶん前のことですが、船底のような箕面市民会館に押し寄せる音の洪水は、わたしがはじめて生で聴いたジャズでした。
 そして、その時に感じたことを今回のコジカナツルを聴きながら思い出していました。
 楽器のできないわたしのひがみかもしれませんが、ひとは楽器を持つことで自由になれるとともに、楽器を持つことでなくしてしまう自由もあるということです。そのひとつは音楽の源流にある「肉声」というものかもしれません。だからこそジャズの先人たちは時間のタブローと化してしまう危険とたたかうことからアドリブを発明し、いろいろな格闘をしてきたのだと思います。
 コジカナツルもまた、それらの先人たちのように、これからも音楽的な冒険をしつづけることでしょう。あの「15少年漂流記」の少年たちのように、あるいはあのジョン・シルバーのように…。

 つい報告とお礼が遅れてしまいましたが、いつのまにかこのブログのアクセスが10万を突破しました。
 みなさん、ほんとうにありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

コジカナツル「"F"」

ラグインターナショナル製作・ラグマニアレーベル「コジカナツル・3」 試聴できます。

「コジカナツル」のCDは豊能障害者労働センターでも販売しています。

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