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2013.08.20 Tue 山田太一のドラマ「よその歌 わたしの唄」その4

 山田太一のドラマ「よその歌 わたしの唄」はこんな物語です。
 文化人類学の教授を定年退職した春川高史(渡瀬恒彦)はカラオケ店の店員を装い、一人カラオケをしている自分と同年代の井形俊也(柄本明)に声をかけ、「コーラス隊」に入らないかと誘います。年齢も性別もバラバラで、高史の基準でいいと思った人に声をかけ、そのために借りたスタジオにすでに何人か集まっています。
 認知症の父親の介護をしている桂葉結(キムラ緑子)、癌か何かで余命の短いらしい岡崎恒人(山崎樹範)、妻と子に逃げられた奥村功之介(阿南健治)の他、村崎秀美(中越典子)と秀美の友人の藤上由紀(伊藤麻実子)、松木伸次(瀬戸康史) …、彼女たち彼たちはそれぞれの事情を抱えています。
 高史の妻・茜(いしだあゆみ)は音楽一家に生まれクラシックに精通していて、今もバイオリン教室をやっています。高史と茜もまた微妙な心のずれをひきずり、ギクシャクした関係にあります。
 後日、俊也は自分の妻・加代(鳳蘭)を稽古場へ連れてきます。加代がピアノを弾き、「与作」を歌いだすと、スタジオの空気が変わったように彼女の歌に引き込まれます。そして、「また逢う日まで」をピアノに合わせてメンバーも歌います。みんな楽しそうで、きっとこのコーラス隊はうまくいきそうな雰囲気になるのですが…。
 そんな時、俊也から加代が急死したという連絡が入ります。葬儀の後、俊也は妻のいない家に帰るのがツライといい、高史の家に入り浸るようになります。ある日、コーラス隊の目的がわからないとメンバーたちがやめていき、傷ついて高史が家に帰ると、俊也が当たり前のように食事を作ったりしています。
 「いくら妻が亡くなって悲しいからと言って、何日も泊まるなんて非常識じゃないか」とケンカするうちに、高史と俊也の間に不思議な友情が芽生えるのでした。
 俊也は、高史や稽古場に来ていたメンバーたち、そして茜に、妻の追悼コンサートを開いてくれないかと呼びかけます。

 最近は専門店までできている「一人カラオケ」は、好きな歌を何度も歌えたり、歌ったことのない歌に挑戦できるなどの自由さが人気で、いまちょっとしたブームだそうです。
 練習のためというのが多いのかも知れませんが、そればかりではなく、歌がうまいとか下手とか、誰にも気兼ねしないで思いっきり声を張り上げて歌い、ストレスを発散させたいひとたちもいるようです。
 山田太一(すなわち高史)が注目するのは後者の方なのでしょう。音程やリズムがどうとかいっさい気にせず、自分の思ったとおりに声を枯らして歌うひとたちの歌う歌にこそ、歌が歌であるために必要とされる何かが隠れているのではないか。それは他人には決してわかってもらえない孤独な心の叫びなのかも知れません。

 「ひとりはいいね、フフ。うるせえガキはいないし、何時に帰ろうと文句はないし、ひとりで酒のんで、ひとりでメシ食って、ひとりでテレビ観て、ひとりでカラオケ行って、ひとりで齢とって、こうなりゃ、ひとりが好きになんなきゃ、やってらんねえだろ、フフ」。
 妻と子に逃げられた奥村が言うこのセリフのとおり、孤独な心がだれかとつながっていたいと必死に願って歌えば歌うほど、皮肉にも誰にも聞かせられない一人カラオケの孤独に立ち戻ってしまうのです。
 パソコンから携帯電話、スマートフォンと、コミュニケーションツールが膨張しつづける中で、たったひとりの友だちをさがすことが困難な時代をわたしたちは生きているのかも知れません。
 ドラマの最後、コンサートが開かれるのですが、一人カラオケで発散していただけの孤独な心の叫びはいつのまにか他者に気持ちを届ける歌となり、他者とともに歌い、他者と共に聴く歌へと変わっていきます。
 一人カラオケからコンサートを開くまでの登場人物たちの人生の一コマを描くこのドラマは、生きることに不器用で孤独な心がおそるおそる他者ともう一度つながっていく再生の物語、人生のリハビリテーションの物語でもあるのでした。

 最近は「十津川警部」など、他人の人生を見るばかりの役が多い渡瀬恒彦が、歌を通して他人の人生を覗き込んでいるうちに、自分と妻の人生と向き合っていくことになる老いた元教授の役どころにぴったりでした。そして 柄本明、キムラ緑子、阿南健治といったベテランに、山崎樹範、中越典子、伊藤麻実子、瀬戸康史たち若い俳優さんがからみ、突然場を壊すように突っかかる言葉や、頑なな心のひりひりした言葉が飛び交い、それでもつながっていきたいと必死に不器用に生きる登場人物のおかしさといとおしさは、山田太一のドラマでしか味わえないものです。
 その中でも妻の役を演じた、いしだあゆみは圧巻でした。たしかに痩せすぎで痛々しいとか、セリフ回しがおかしいとネガティブな評価もありましたが、わたしは正反対で、最近のいしだあゆみのそんなところが大好きです。
 とくに、最後の最後で「また逢う日まで」を弾き語りで歌うところはクラシックとは程遠かったのですが、ほんとうにひさしぶりに彼女の歌を聴いてわたしは涙が出てきました。
 いま、老いた女性の役をセクシーに演じることができる役者のひとりだと思います。

 80年代の半ばに現れたカラオケは、よくも悪くも「歌」に対する日本人のアプローチを変え、いまや音楽産業もカラオケを無視しては成り立たなくなってしまいました。カラオケで歌いやすい歌づくりも本気で行われていて、カラオケが歌をだめにしたという人たちもいます。
 たしかに、カラオケで歌いやすい曲作りをするのはいかがなものかと思いますが、一方でカラオケのおかげで日本人はよく歌を歌うようになったともいえます。今はカラオケマシーンもびっくりするような歌の上手な人たちがたくさんいます。さらにはテレビ朝日の関ジャニの番組のように、プロの歌手が自分の持ち歌を歌ってもカラオケマシーンの採点が低く、対戦相手に負けてしまうことが多いという笑えない現実があります。
 声量や音程、リズムなど基礎的な力がカラオケマシーンの採点に正直に表れるというのもたしかなことで、プロはカラオケマシーンでは測れない表現力があるから採点と関係がないというのはいいわけのようにも思えます。
 しかしながら、カラオケマシーンで最高得点を取るような歌に心をゆさぶられるかといえば、必ずしもそうではありません。やはり歌は機械で測れるものではなく、そのひとの肉声がたったひとりでもいい、誰かに届き、必要とされるかにかかっているのではないでしょうか。
 山田太一のドラマ「よその歌 わたしの唄」は、うまい下手ではなく「よその歌(カバー曲)」に自分の人生を重ね、自分の孤独と自分の心の叫びを肉声で届けたいと必死に願い、歌う時、その歌はもう「わたしの唄」になり、時には生きる勇気をくれることもあると教えてくれたように思います。
 そういえばここ何年もカラオケに行っていません。わたしも一人カラオケで、島津亜矢を思いっきり歌ってみたいと思います。

尾崎紀世彦「また逢う日まで」
この歌は新しい歌謡曲を求め、世に問うた阿久悠の野心にあふれた一曲だと思います。このドラマには主題歌はないのですが、この歌がドラマのアイコンというかテーマであることは間違いないでしょう。

ブルーハーツ「TRAIN TRAIN」
「ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない いいやつばかりじゃないけど 悪いやつばかりでもない」
この曲もこのドラマにぴったりの選曲で、昔からドラマに使う音楽にこだわりを持ってきた山田太一らしいと思います。この曲の編曲とレコーディング時のピアノは、今日ライブを聴きに行く小島良喜で、1990年に桑名正博とともに豊能障害者労働センターのチャリティコンサートに来てくれた時、「あの歌は一発で決まった」と話してくれました。ちなみにわたしがはじめて大阪城ホールに行ったのはブルーハーツでした。

森進一「冬のリヴィエラ」
このドラマで歌われる歌はどれも一人カラオケにぴったりの歌ばかりで、山田太一はそれぞれの登場人物の人生が投影された歌を選んでいます。この歌は妻と子に逃げられた男の悲哀をかくしてかっこよく歌おうと頑張る姿がおかしく、涙を誘います。

山田太一ドラマスペシャル「よその歌 わたしの唄」1

山田太一ドラマスペシャル「よその歌 わたしの唄」2

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S.N : URL また逢う日まで

2013.08.25 Sun 07:30

いつも楽しく拝見させていただいております。
山田太一ドラマスペシャル「よその歌 わたしの唄」1・2を続けて一気に見ました。いいドラマでした。まもなく定年を迎える身としては、色々と考えさせられました。最後のいしだあゆみさんの少し低音の「また逢う日まで」は、最高でした。ゾクッとしました。私も島津亜矢さんのファンですが彼女にも見て欲しいと思いました。素晴らしいドラマを紹介していただいてありがとうございました。

tunehiko : URL ありがとうございます。

2013.08.25 Sun 10:26

S.N様
お便りありがとうございます。山田太一さんのドラマは年に一度か二度になってしまいました。山田太一さんのドラマのファンであるわたしはさびしい限りです。彼のドラマは「あたりまえの奇跡」というドラマのタイトルそのままに、ありふれた日常の中の非日常が広がって、日常そのものを変え、人生観を変えてくれるところがすきです。
今のドラマでは素通りしてしまうところで激しく感情をぶつけあったり、反対に今のドラマなら過剰に表現することが多い「余命いくばくもない不治の病」をあっさりと表現し、かえってその現実が重くのしかかってきたりと、ほんとうに表現の方法がまったく逆だなと思います。
今のドラマでは「Woman」が、セリフといい風景といいよく似ていると思うのですが、山田太一のドラマは「テレビドラマ」らしくテレビカメラがドラマを見つめるのに対して、「Woman」は「映画」として、「映画のカメラ」で描かれています。
今は録画がほとんどで、しかもニュースですらバラエティー化してしまったテレビ放送ですが、山田太一のドラマは「同時性」や「ライブ感」など、日常の中の非日常としてテレビが出現した時代を思い出させてくれるドラマでもありました。
その意味でも、島津亜矢さんのようにライブを中心にした活動こそが、歌手の本道だと思います。ライブは日常の中の非日常そのものですから。

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