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2013.07.17 Wed 島津亜矢「縁」・人生を肯定する歌

 昨日、7月16日のNHKの番組「歌謡コンサート」に島津亜矢が出演しました。
 今回は新曲「縁」をラストに歌うということで、ファンであるわたしはどきどきしながら彼女の出番を待っていました。最近の島津亜矢のメディアでの印象については何度か書いていますが、以前にくらべて表情がよりゆるやかで、どこか一皮むけたように感じます。特に今回の新曲「縁」をうたう彼女を見ていると強く感じます。
 
なんで実がなる 花よりさきに
浮世無情の 裏表
今は吹く風 沁みるとも
交わす目と目で 支えあう
そっと寄り添う 影にさえ
明日が見えます 人世坂
島津亜矢「縁」
 
 長く共に生きてきた夫婦を歌う歌もまた演歌に限らず歌の定番で、正直なことをいえば、わたしの苦手なジャンルのひとつであることは、前々回の記事などを読んでくださっている方にはご承知かもしれません。
 わたし自身は2人の子どもも早くに家を出て結婚もし、現在は大阪の北の端、周囲を里山に囲まれ、すぐそばを川が流れる緑いっぱいの能勢に住み、妻と妻の母親の3人で静かな暮らしをしています。
 子ども時代から碧い時代をくぐり抜け、ようやく社会の荒波におそるおそる足を踏み入れ、40才にして会社員をやめ、豊能障害者労働センターで16年、その後の障害者運動を経て、いま被災障害者支援団体「ゆめ風基金」での週3日のアルバイトが、おそらく来年の3月で終わり、表面的にはご隠居ということになることでしょう。
 自分の人生を振り返ると、じたばたしながら不器用な生き方をしてきたと、つくづく思います。長い時の中で、自分自身もたくさんの傷跡を心に残している一方で、それよりもはるかにたくさんのひとの心を傷つけてきたと反省もします。しかしながら、時には傷つけあいながらも数多くの友人と出会い、わたしを助けてくれたこともまちがいのないことで、その中でも17才で出会い、現在までずっと共に生きてきた妻には同志というべきか盟友というべきか、ある意味夫婦以上の深い友情を育ててきたのだと思います。
 たしかに華々ししい人生ではなかったし、お金もなくしてしまったけれど、それでも豊能障害者労働センターの16年はわたしの生き方や考え方を変えましたし、なによりも楽しく充実した年月でした。
 わたし自身が父親もいない母子家庭で、焼き芋屋からうどん屋、そして大衆食堂をしながら母が女手ひとつで育ててくれたことなどから、いわゆる普通の結婚による夫婦や親子という生活文化を知らなかったこともありますが、豊能障害者労働センターの活動を通じて障害者や被差別部落のひとたち、在日韓国・朝鮮人のひとたち、そしてシングルマザーであったり、同性に恋愛感情を持つひとたちや、男でも女でないひとたちなど、多様な人生観と多様な暮らしを持つ友人たちと出会ったことが、わたしの家族観を作ったのだと思います。
 こんなことを書くと、それらの人々が受けている理不尽な差別や、さまざまな困難だけを訴えていると思われるかも知れませんが、わたしはそれ以上に多様な出自や多様な文化、多様な個性がこすれあい、時にはけんかしながら共に暮らすことの楽しさをみんなから教えてもらったのでした。
 それでも今、わたしなりの人生の嵐が通り過ぎた跡地にたたずみ、ふと横を見ると共に支えあって生きた妻がいます。男と女であるとともに夫婦、そして今では親友とも思える感情は、もしかするとそれぞれちがった人生を生きてこられた方々とも通じるのではないかと思い始めています。わたしがかたくなに拒んできた「標準的な家族」などというのはほんとうは存在せず、いろいろな家族があり、また家族を持たないひとたちもいて、友だちになったり恋人になったり夫婦になったり同居人になったりひとりぼっちになったりしながら生きているというただそれだけのことで、ひととひとはつながって来れたのでしょう。
 島津亜矢の「縁」は、歌詞にはないさまざまなひとの人生や家族もふくめて、限りなく人生を肯定する歌だと思います。「人生を肯定する、それが音楽」といった武満徹の言葉を小室等が伝えていますが、島津亜矢がこの歌を歌う時の表情やしぐさ、そして当代きっての声量をおさえ、ささやくように、それでいて熱唱するよりもはるかに遠く伸びのあるやさしい声は、彼女が天才であることよりも前に、「人生を肯定する」この歌の無垢なたましいをよほど深く理解したことを証明しているのではないかと思うのです。
 「縁」という曲は決して派手な曲ではありません。ある意味とても地味な歌で、特別に盛り上がるような感情のほとばしるドラマチックな歌でもありません。こんなことを書くのは差し控えるべきでしょうが、この歌を別のひとが歌ったとしたら、おそらく歌の途中で息切れし、歌の風景がかき消されてしまうことでしょう。おさえた声で歌うからと言って、ほんとうに声量がなければこの短い歌を歌い終えることは不可能であるとともに、ゆるやかなせせらぎをずっと絶やさず、淡々としながら実はとても濃密できめ細かい歌詞と曲は、島津亜矢でしか歌うことができないと思います。
 そのことを彼女はよく知っているのでしょう、歌詞のひとつひとつ、音のひとつひとつを丁寧にすくいあげながら、今のわたしとこれからのわたしに「だいじょうぶ」と微笑んでくれているように思うのです。

 新曲が出るたびに、ファンとしてはやはり大ヒットしてほしいと願ってしまいます。ほんとうは島津亜矢の立ち位置は現実のプロデュースとは別に、ライブなどで充分すぎる集客力をもっていますが、紅白出場と同じように、いままで知らなかった人たちに彼女の歌を聴けるチャンスが増えたらいいのにと思うのです。
 思わぬジャンルのひとたちが初めて聴いて虜になっていく彼女の歌手としての才能と実力を知らないでいるひとたちが気の毒でなりません。もちろん、これは熱心なファンの言葉として読み過ごしてくださってけっこうです。 それにしても彼女の長い歌手人生で出会ったオリジナル曲にはもっともっと歌われ、聴かれていい名曲がたくさんあります。

島津亜矢「縁」

島津亜矢「恋日和」
この歌は最近のライブでは聴いたことがありませんが、同じ傾向の歌と思います。
「しゅうめいぎくの一鉢が 嫁入り道具のすべてです」とくだりに、おもわず涙が出てきます。

島津亜矢「相生」
この歌も夫婦の歌です。島津亜矢がこれらの歌を歌うときは特別に透明で柔らかい声で、力みがないその歌声に、歌われている物語が心にはいりこんできます。
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