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2013.06.18 Tue 島津亜矢「名月赤城山」・BS日本のうた

 16日のNHK「BS日本のうた」で、島津亜矢は「名月赤城山」と新曲「縁(えにし)」を歌いました。
 「名月赤城山」は芝居や映画や浪曲などで、「赤城の山も今宵限り、かわいい子分のてめえ達とも別れ別れになる門出だ」という名セリフで知られる侠客・国定忠治が拠点とした赤城山を追われ、会津へと落ちのびてゆく有名な場面を東海林太郎が歌った往年の大ヒット曲です。
 国定忠治は芝居、映画、浪曲や歌の中では侠客中の侠客、正義の味方のように描かれてきましたが、ほとんどがフィクションであるとも言われています。
 実際のところ、いろいろな史実から国定忠治が悪人であるというのは動かしがたいようなのですが、講談や芝居、映画などで彼がヒーローに変身してしまうのは、たとえそれがフィクションであったとしても、いつの世にも権力や悪と立ち向かうヒーローを必要としてきたわたしたち日本人の悲しい歴史がそれらの物語に含まれていることは間違いのないところでしょう。
 日本に限らず人間の歴史の中で、国家が必ずしも国民を守ってくれるとは限らず、国から見捨てられたり暴力を受けたりすることに抗う私的集団を民衆が必要としたこともまた事実なのだと思います。

 「名月赤城山」は前回の「人生劇場」から一年後の1939年に発表されましたが、2つの歌の歩んだ道はずいぶん違うように思います。
 子供のころ、わたしの母は産業道路に面した畑地にバラックを建てさせてもらい、大衆飯屋を営み、貧乏ながらも私と兄を育ててくれました。バラックとはいえ道路に面して人通りがあるということで、街にできた映画館がポスターを張る代わりに無料のチケットをくれました。当時は東映時代劇が全盛期で、片岡千恵蔵、市川右太衛門、月形龍之介、大河内傳次郎、大友柳太朗、中村錦之介など、そうそうたる銀幕のスターが次から次へと新しい映画に出演していました。その中でもオールスター出演の正月映画はほとんど忠臣蔵か清水次郎長か、国定忠治の物語だったように思っていましたが、国定忠治が主役の映画は案外少ないようです。
 それは悲しい運命をたどる国定忠治のヒーロー像ともかかわっていますが、それだけではなくあの名セリフとともに国定忠治は新国劇や新派や大衆演劇で数多く上演され、お客さんの掛け声と共振する芝居によって全国各地にひろまっていったのだと思います(思えば長谷川伸の「瞼の母」、「一本刀土俵入り」なども新国劇や新派や大衆演劇の定番の出し物でした。)
 実際、国定忠治はより身近なヒーローとしてわたしのような子どもにも人気があり、当時流行ったチャンバラごっこではいつも「赤城の山は今夜限り」と、意味も解らず名調子の真似をしたものでした。
 そして、この芝居でいつもかかっていたのが東海林太郎の「名月赤城山」で、原曲にはセリフはありませんので、今のようなセリフ入りになっていったのは新国劇や大衆演劇によるものだと思います。
 さて、こんなことに思いをはせると、「瞼の母」や「一本刀土俵入り」とともに、この歌もまた島津亜矢が歌い継ぐべき名曲であることがよくわかります。全国津々浦々をまわり、できるだけお客さんとの距離が近いところで歌い続ける彼女の活動スタイルは、大衆演劇に近いとかねがね思ってきました。
 ましてや最近の島津亜矢は芝居の表現力を手に入れたことで、「男心に男が惚れて」という最初の一節でこの歌の背景と忠治の心の行方を見事に歌っていると思います。ここまで来るとフルコーラスであるかどうかはどうでもよくなり、「歌いきる」頂上よりもまだ先にある「歌いのこす」天空にまでのぼりはじめている島津亜矢の凄味を感じさせる一曲でした。

 新曲「縁」ではがらっとおだやかな表情に変わり、ほんとうにこのひとはいちだんとやわらかく、肉感的でセクシシーな大人の女性になったのだなと感心します。そして、プロとしてあたりまえのことなんでしょうが、こんなにもていねいに歌ってくれると歌もしあわせだなと感じました。とくに最近の歌い手さんが少なからずどこか声が出にくいように見受けられ、島津亜矢の涼しげな透明感にあふれ、それでいて決して声量のせいだけではなく遠くにまで届く天使の声がきわだって聴こえます。
 この歌のように、彼女にもいとおしいひととの出会いがあればうれしいです。(実はすでにあるのかもしれませんが…。)

 このブログで、島津亜矢の記事が100本になりました。こんなに続けてこられたのも、わたしのつたないブログをたずねてくださる島津亜矢のファンの方々をはじめとする、みなさんのおかげです。ほんとうに感謝しています。
 わたしに島津亜矢の魅力を伝えてくれたのは、高校時代から友人で青春時代をともに暮らしたKさんでした。彼がこの世を去って早や4年になろうとしています。病床でわたしが「いきものがかり」のCDを買ってくるというと、「島津亜矢の『大器晩成』の入っているCDを聴きたい」と彼は言いました。ベトナムで長い間仕事をしていた彼は、よくNHKの歌番組を観ていたのだといいます。わたしは早速2枚組のCD「大器晩成」を買い、プレゼントしました。それからわたしも島津亜矢がテレビに出るたびに観るようになり、ファンになっていきました。
 彼の死はとてもショックでしたが、それをきっかけに、決して功なり名を遂げたりもなく、金銭的にも豊かになることもありませんでしたし、波乱万丈に生きてきたわけでもありませんが、なにか自分が歩いてきた道をふりかえり、いま自分が何かを感じたりすることが自分のどんな経験から来るのか、自分自身のためにも文章に残していこうと思い至りました。
 一年間はWEBページをつくっていましたが更新が大変で、2011年3月6日、このブログを開きました。
 この年の初めから島津亜矢のコンサートに行くようになり、5月の連休にはじめて島津亜矢の記事を掲載しました。すると、すぐに島津亜矢のファンのMORIさんからとてもあたたかいはげましのメールをいただきました。それ以後、島津亜矢のファンの方々からいつもうれしいメールをいただけるようになりました。
 自分でも、100本とはよく書いてきたものだと思います。今ふりかえり、最初の頃の記事を読むとはずかしくなるものもたくさんありますが、それもまたわたしの島津亜矢自分史として、そのまま残しておこうと思います。
 これからも、島津亜矢を追いかけながら自分史を編んでいきたいと思います。よろしければこれからも時々訪ねてくださるとうれしいです。

島津亜矢「名月赤城山」

東海林太郎「名月赤城山」

新国劇「極付 国定忠治」

島津亜矢「縁(えにし)」

島津亜矢「大器晩成」 作詞大賞(2005年)
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