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2013.05.16 Thu 島津亜矢「かもめの街」

 いま、村上春樹の新刊「多崎つくると彼の巡礼の年」を読み終え、最近のわたしの習慣で2度読みの最中ですが、この小説については近いうちに記事にしようと思っています。
 デビューの頃から心酔するコアな読者がいまや世界中にいて、ノーベル賞候補にもなっている一方で、アメリカ文学の模倣とか、おしゃれで都会的なファッションでしかなく中身がないとか、憎悪に近い声高な批判の海にもさらされてきた作家です。
 わたしは彼の小説のファンで、とくに最近、村上春樹の新作が出るたびに騒動になる現象が、今のヒステリックな社会風潮にもまれながらその巨大な力に対抗できる数少ない切実なムーブメントと思っています。村上春樹についてはいつか書かなければと思ってきましたが、わたしには彼の壮大な物語を読み解く力がなく、書く勇気がありませんでしたが、新作を機に少しずつ書いて行きたいと思っています。
 さて、なぜこんなことを書くかというと、ジャンルもたどってきた道筋もちがうけれど、村上春樹が「文壇」に代表される権威からは縁遠かったように、島津亜矢もまた音楽界のメインストリームからは少し離れたところで圧倒的なファンを獲得してきたひとではないかと思うからです。
 彼女のホームグラウンドである「演歌」の世界は、商業ベースでの過度の縮小と高齢化にともなう根強い人気に引き裂かれた状況の中、彼女のようなスケールの大きい未完の大器がその才能をいかんなく発揮するにはますます小さくなってきています。
 一方、よくも悪くもJポップスから今の歌の多くが生まれていて、それらの歌にはいつの時代もそうであったように時代そのものが息づいていることもたしかなことです。それらは1970年代から続くシンガーソングライターによって生み出されるものと、アイドル歌手に提供されるものに大きく2分されていますが、ここでも島津亜矢のスケールに合った歌を提供するのは至難の業のように思うのです。
 そこである意味やむをえず、時代を越えた数々の名曲をカバーすることが多くなるのですが、長い年月を越え歌い継がれてきた名曲ならばこそ、彼女の天賦の才能とひたむきな努力、そしてジャンルや時代にとらわれず星屑の数ほどの歌にかくれている物語を読み解く素晴らしい才能が開花するという、皮肉な現実があります。その歌唱力は圧倒的で、島津亜矢のファンだけでなく多くの人々が彼女のカバーからその歌の素晴らしさを再認識することになります。
 いまコンサートで歌っている「山河」や「熱き心に」、「みだれ髪」、「無法松の一生」、「哀愁列車」、「命かけても」、「函館山から」…、数えきれない名曲がそのほんとうの姿をあらわす瞬間に立ち会わせてくれる彼女のカバー曲を聴いてファンになっていったひとたちも数多いのではないでしょうか。
 もちろん、これらの名曲に劣らない数多くのオリジナル曲は世間でいうヒット曲の仲間入りをするようなプロデュースをされていないように思えるのですが、それもプロデューサーやレコード会社のせいだけではなく、結局のところ彼女の才能のスケールに時代がまだ追いついていないということなのでしょう。
 わたしは今のJポップスの中からも、たとえば「いきものがかり」の水野良樹などその才能がもっと大きく花開くだろうソングライターによる「新しい歌謡曲」が生まれるときがやって来るのではないかと思っていて、このひとの曲を島津亜矢が歌えばすごいことになると思っています。
 それはさておき、実はここからが本題なのですが、いまや伝説となった歌姫・ちあきなおみもまた、今でこそカリスマといわれる存在ですが、実際のところは彼女ほど歌うことに苦悩した歌手はいなかったのではないかと想像しています。
 ちあきなおみについては、かつて「紅白歌合戦」で歌った「夜を急ぐ人」のことや無謀にも豊能障害者労働センターで彼女のコンサートができないかと連絡を取ったことがあるなど、いろいろな思い出があり、書いてみたいと思っています。
 今回は、熱烈なちあきなおみファンから怒られることを覚悟して、島津亜矢がカバーした「かもめの街」について書いてみたいと思います。
 「これは、駄目だと思う。亜矢さんのように、健康的に、元気一杯、大いびきをかいて、『夜、眠る人』にはわからない世界だと思う。亜矢さんが、もっと人生経験を重ねて、枯れてきた時に、聞いてみたいものです。」
 「私は亜矢姫は歌のうまさでは美空ひばり、ちあきなおみに匹敵する歌手だと思いますが、この唄の港街の女の哀歓、やるせなさみたいな雰囲気はちあきなおみさんの独特の情感、色気には及びませんね!」
 これらは島津亜矢の「かもめの街」の動画に書かれたコメントの一部です。
 わたしはカバー曲をオリジナルと比べていいとかよくないとかいう感想を持ったことはありませんが、島津亜矢の場合、その豊かな声量とはりつめた質感、そして圧倒的な歌唱力で歌い上げることからこのような感想を持たれることが多く、わたしはすこしちがうように思うのです。
 ちあきなおみが独特の世界を持つ天才であったことは言うまでもありませんし、今でこそどちらかといえば「さだめ川」や「紅とんぼ」など演歌で語られることが多いのですが、彼女はほんとうのところ演歌にしっくりいかない気持ちを持っていたのではないかと思います。1974年までポップス系の歌手だった彼女が1975年に、このひとの曲ならと船村徹の「さだめ川」で演歌を歌うようになりましたが、この頃から彼女のすさまじい歌探しがはじまったのではないでしょうか。
 1977年には中島みゆきの「ルージュ」や紅白歌合戦で歌った友川かずきの「夜を急ぐ人」、1981年からはシャンソンやジャズ、ポルトガルのファドなど「歌の巡礼」にふさわしく世界の音楽を聴き、歌いながら、ほんとうに苦悩していたように思います。この時期、テレビドラマや映画、「タンスにゴン」で有名なCM出演などを続けながら、「ほんとうに歌いたい歌はどんな歌なのか」を追い求めていたのではないでしょうか。
 そして1988年、「紅とんぼ」とともに演歌というか歌謡曲の世界に戻ったように思われるちあきなおみの歌は、以前にもましてドラマチックで切なくて、たかだか3分程度の歌に2時間の芝居をみているような豊穣なものになっていました。「かもめの街」は同じく1988年の楽曲で、そんなちあきなおみの歌への思いが込められた歌ですから、何人も寄せ付けない凄みがあります。
 しかしながら、あえて言えばそれでも、ちあきなおみが1992年、夫の郷鍈治氏の死去に伴い歌うことをやめてしまった後の荒野をふみわけ、その苦悩を受け取りひた向きに歩む島津亜矢だからこそ、かつての三波春夫の浪曲歌謡とおなじようにどんなに批判にさらされても歌ってほしい一曲なのです。
 ちあきなおみがこの歌を歌ったのは41才で、ほぼ現在の島津亜矢の歳でもあります。彼女がこの歌をカバーしたのが2002年でおよそ30歳ぐらいでしょうから、その後の今に至る大きな進化の途上でもありましたから、たしかに今歌い直せばさらに深みのある歌になるでしょう。
 そして、時代のちがいも大いにあり、1988年というバブルの絶頂期、夜の仕事といえばキャバレーやクラブのホステスなどが連想され、この歌もいわゆる「夜の女」の哀切さがみごとに表現されています。島津亜矢が歌った2002年はバブルがすでにはじけ、非正規雇用やワーキングプア、ホームレスなどの問題があふれつつありました。
 今はキャバクラ嬢やガールズバー、深夜営業のコンビニ、飲み屋、清掃の仕事にくわえ、タクシーやトラックの運転手、工事現場の警備員などにも女性が仕事についているようです。それだけより深刻な経済状況で働いている女性が数多くいることになりますが、島津亜矢の「かもめの街」の女性はどちらかというとコンビニの店員の仕事あけのような感じがします。ですから、「夜眠るひと」と「夜働くひと」の区別があいまいで、案外「健康的で元気な夜の女」の方が今の時代を反映しているのかも知れません。
 ともあれ、村上春樹が世界のロストジェネレーションの世代に深く広く受け入れられたように、島津亜矢の「新しい歌謡曲」が時代のメッセンジャーになる時がやってくることを願っています。

島津亜矢「かもめの街」

ちあきなおみ「かもめの街」

すぎもとまさと「かもめの街」
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