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2013.04.20 Sat 鳥羽一郎と島津亜矢「BS日本のうた」3-1

 「出世坂」が島津亜矢のいわば原点なら、つぎに歌った「かもめはかもめ」は島津亜矢が長い年月をかけて切り開いてきたもうひとつの歌の道標だと言えるのではないでしょうか。この歌は1977年に中島みゆきが作詞作曲し、研ナオコが歌った曲です。
 研ナオコは不器用にしか生きられない女、格好悪い人生を生きることを選んでしまう女の心情を描く中島みゆきの歌を、まるで自分の人生そのもののように表現し、ソングライターとしての中島みゆきの才能を世に広めた歌手です。ふたりは「かもめはかもめ」をはじめ、「あばよ」、「窓ガラス」などのヒット曲を次々と生み出しました。
 今回のステージで島津亜矢は、研ナオコのオリジナルの「かもめはかもめ」を踏襲しつつ、たとえば一人暮らしの古いアパートの部屋でひざを抱きながら、ささやかな恋や希望さえも生まれる前に消えてしまう女の切ない独り言をとても丁寧に歌っていると思いました。そこにはオリジナルの少しおしゃれな都会の夜とちがい、恩師・星野哲郎が愛してやまなかった路地裏の空気感がありました。

 1970年代はシンガーソングライターの台頭や、小室等、井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげるたちによるフォーライフレコードの設立など既成の音楽産業から独立した動きが活発になりました。その動きは当初はメッセージ性の強いフォークソングからニューミュージック、そして現在のJポップスへと大きく発展してきました。
 一方、NTVの「スター誕生」からは森昌子、山口百恵、桜田淳子などのアイドルが生まれ、読売テレビの「全日本歌謡選手権」からは五木ひろし、八代亜紀、中条きよし、山本譲二、天道よしみなど、それまでヒット曲に恵まれなかった演歌歌手が再出発しています。この番組は当時すでにポップス系に押されていた演歌のジャンルの再興をめざし、実力のある歌手を育てようという試みであったと思います。
 そして、TBSの「ザ・ベストテン」はレコード売上、有線・ラジオ・はがきのリクエストからランキングされた歌を歌手が生出演して歌う番組で、アイドル歌手から演歌歌手までが一堂に会していました。
 そのような混沌とした音楽事情の中で、研ナオコは「新しい歌謡曲」を求めていたのだと思います。そして一度は既成の歌謡界に反発するように独自の道を切り開いていったニューミュージックの旗手たちの中からも中島みゆきや小椋佳のように、「新しい歌謡曲」といってもいい楽曲をつくるひとたちが現われます。こうして研ナオコは、中島みゆきが数多くの歌手に楽曲を提供することになる最初の人となります。
 あれから三十数年、時代は変わりひとめぐりし、2011年3月11日以後、「新しい歌謡曲」の到来が望まれているのではないかとわたしは思っています。そして、希望の歌といっていい「新しい歌謡曲」にいちばん近い所にいる歌手が島津亜矢だとも思っています。
 そんな思いをこめて、わたしは島津亜矢に中島みゆきの楽曲が提供されることを夢みています。そして、かつて研ナオコが中島みゆきに提供されたオリジナル曲とカバー曲を収録したアルバムを発表したように、島津亜矢がオリジナルもふくめて中島みゆきの楽曲を収録したアルバムを発表する日を待ち望んでいます。
 その後の「乱れ髪」と「無法松の一生」もまたすばらしい歌唱で、とくに「無法松の一生」では「度胸千両」の長いパートを見事に歌い上げた島津亜矢に、鳥羽一郎が敬服する一幕がありました。ここでは鳥羽一郎がキーを下げて少し歌いにくそうでしたが、そうまでしてでも歌の流れを変えずに島津亜矢の歌唱力を引き出そうとしたのではないかと想像します。それを受けて歌いきった島津亜矢はさすがですが、鳥羽一郎の心意気や優しさがとても格好よかったです。
 ステージの終盤には2人の新しい曲で、島津亜矢は「八重~会津の花一輪~」を、鳥羽一郎は「旅枕」を熱唱しましたが、とくに鳥羽一郎はこのステージでの役割を果たしたという感じで、本来の歌唱を聴かせてくれました。

いつもより長くなりそうなので、ここで一度終わりにします。つづけてUPします。

島津亜矢「みだれ髪」(演歌の夢祭り大阪にて)

島津亜矢「無法松の一生(度胸千両入り)」


研ナオコ「かもめはかもめ」


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