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2013.03.06 Wed 島津亜矢座長公演千秋楽1

 3月4日、大阪新歌舞伎座に行ってきました。もちろん、島津亜矢の座長公演の千秋楽で、この日は11時からの昼の部のみで、2月15日からの長い公演の締めくくりとなりました。大阪での座長公演ということもあり、わたしは2月20日と千秋楽と合わせて2回行くことができました。
 今回の公演はまず、島津亜矢がすこぶる元気だったことがいちばんうれしいことでした。少し前に体調を崩した後、復活した最初のコンサートでは無事終わってくれるのを祈りながら観ましたが、今回の公演ではみちがえるほどで、数少ないわたしの島津亜矢体験ではありますが、ここ3年間でいちばんよかったのではないかと思います。(これはもちろん、わたしの感想ですのでちがっていたらごめんなさい。)
 彼女の場合、体調さえよければ芝居でもショーでも何も心配なく、必死に小春を演じ、必死に歌を歌ってもなお余裕のあるふところの深さがあり、観ていてとても気持ちのよい舞台でした。

 わたしが感じた2月20日と千秋楽との変化について少し書いてみようと思うのですが、明日からもまだまだつづく公演途上とこれでおしまいという千秋楽とでは、出演者全員の気持ちの違いはどうしてもあります。どちらが良くてどちらが悪いというのではなく、グレードに違いがあるわけではありません。
 2月20日の舞台では、まだまだこれから芝居もショーも大きく深くなっていく予感を感じましたし、最終日にはお客さんも一体となって終わろうとしている舞台空間に、島津亜矢をはじめ役者全員が最後まで残しておいたそれぞれの物語をいとおしく、静かにおいていくような感動が劇場をつつんでいました。そしてここからまた、ひとりひとりが次なる荒野へと旅立とうとしているようでした。
 それにしても赤井英和といい、おりも政夫といい、もともと舞台俳優ではないひとたちの芝居は、いい意味での素人(先日惜しくも亡くなった小沢昭一のいう素人)で、素人であるからこそ、プロにはない存在感がありました。
 蜷川幸雄や唐十郎、寺山修司、大島渚など、けっこう多くの演出家が芝居でも映画でも好んでその道のプロではないひとを起用して話題作をつくってきました。それはなにも、プロを否定するのではなく、プロとしていくつもの修羅場をくぐりぬけてきた役者たちと、別の分野でたたかってきたひとたちが出会い、向き合い、時には激しくぶつかり、そしてともに舞台をつくりだす時、新しい芝居空間が生まれるのでしょう。
 島津亜矢もまた、決してプロの役者にはならないことでしょう。しかしながら、彼女が芝居を大衆芸能の発露の場の一つとして必要とするだけではなく、芝居もまた彼女を必要とすることを、彼女の存在感とひたむきさが今、舞台芸能に必要が必要としているもののひとつであることを、昨年今年の2回の座長公演が証明してくれたのでした。
 歌を歌っているだけでは得ることができない役者や演出家とのたくさんの出会いは、島津亜矢の天賦の才能をより輝かせ、より大きく花咲かせるにまちがいなく、すでにもう開花していることを目の当たりにした今回の公演でした。
 わたしはこのブログを「恋する経済」と名付け、障害者の働く場づくりに参加してきた経験から、GDPでは測れない豊かな助け合い経済を夢みているのですが、島津亜矢さんと彼女が座長をつとめる芝居に結集する役者たちや、コンサートスタッフなど数多くの人たちと、ファンをはじめとするたくさんの観客が助け合って芝居やコンサートをつくりあげるプロセスもまた、社会的起業であるとわたしは思っています。
 実際、島津亜矢の座長公演に起用され、これからの演劇界を担っていく役者が育っていくことが期待されます。その意味からも、島津亜矢の座長公演は島津亜矢本人にとっても共演者にとっても刺激的な出会いの場であるとともに、それぞれが大きく化けていく(進化していく)大切なものになっていくことでしょう。
 これは余談ですが、島津亜矢の実人生においても案外このあたりの出会いから恋も生まれかもしれませんし、すでに心に秘めた思い人がいるかも知れないと想像してしまいます。
 
 そんなことを思いながら千秋楽の芝居をみていたのですが、島津亜矢がマシュマロのようにやわらかくふくよかで(体型ではないですよ)、とってもかわいくなっていたことや、赤井英和のヘタウマのすごさ、乱暴なようでとても繊細で、その繊細さをやさしい笑いで包み込む演技力と存在感はさすがで、前回も思ったのですが島津亜矢はこのひとの包容力にずいぶん助けられたことでしょう。
 そして、おりも政夫。このひとはこの芝居でもっともおいしいところにいたと思います。まわりがすべてべたべたの大阪弁が飛び交う中、彼の東京弁(標準語?)の芝居は声の低さと太さも手伝って際立っていました。はじめての新歌舞伎座の舞台ということですが、見事な存在感でした。
 もちろん、時代吉二郎、山田スミ子、宮内洋、田口計、奈良富士子、衣通真由美などベテランの役者が狂言回しも引き受けて芝居をしっかりと支えているからこそ、島津亜矢の小春が生き生きとしていたことは言うまでもないでしょう。
 
 島津亜矢と出会ったひとはみな、彼女の才能とひたむきな努力と人柄に惹かれるといいます。今回の共演者たちも口をそろえて証言しています。
 そして、おりも政夫が言ってくれたように、その共感が芝居ににじみ出てお客さんに伝わり、とてもあたたかい感動を呼ぶのだと思います。
 プロフェッショナルの覚悟とアマチュアリズムのひたむきさを併せ持つ島津亜矢の魅力は、今回の公演でもいかんなく発揮され、また新しいファンを獲得したことはまちがいありません。
 
 やはり一回では書ききれず、二部のショーについては次回に書くことにします。


島津亜矢「王将」(2010年リサイタル)
二部のショーの後、アンコールの最後に今回の芝居にちなんで「王将」を歌いました。「しばらく歌っていないので」といいながら歌いはじめましたが、わたしは思わずうなってしまいました。ここで上がっている2010年の歌唱もかなりのものにはちがいないのですが、この日の「王将」はまさに絶品でした。ひとつにはやはり芝居が彼女によりゆたかな表現力をあたえたことと、もう一つはますますみがきがかかる低音の魅力だと思いました。
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