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2012.12.27 Thu 姜尚中の講演

 12月22日、箕面市民会館(グリーンホール)で姜尚中(カン サンジュン)の講演会がありました。
 この講演は箕面市国際交流協会の20周年記念として催されたものですが、箕面で姜尚中の話が聞けるということで、とても楽しみにしていました。
 おそらく多くの方がそうではないかと思うのですが、わたしが姜尚中の名前を知ったのはテレビの深夜番組「朝まで生テレビ」に時々出演していたのがきっかけでした。
 この番組は田原総一郎が進行役を務め、政治・経済・社会の動きや問題を「いまいちばん旬」な政治家、評論家、ジャーナリストを招き、朝まで喧々諤々しあう刺激的な番組でした。
 周りで激論している中で田原総一郎が姜尚中に話をふると、物静かといえば聞こえがいいのですがどちらかというと辛気臭い語り口、結論をスパッと言わず、のらりくらりと話す彼に、他の出席者はいらいらしながらも反論を入れるタイミングをかわされる感じがとても印象的でした。
 それから彼の本をけっこう読みました。その中でも、深く考えさせられた本は「姜尚中の政治学入門」と、ベストセラーになった「悩む力」でした。
 「姜尚中の政治学入門」は「アメリカ」、「暴力」、「主権」、「憲法」、「戦後民主主義」、「歴史認識」、「東北アジア」の7つのキーワードを手がかりに今の日本の政治、社会の立ち位置を世界の近代の成り立ちに遡りながら書かれています。
 また、「悩む力」は世界を席巻する新自由主義の嵐が吹きすさび、格差は広がり、毎年3万人もの自殺者が出てしまう日本社会の中で過酷に生きざるを得ず、苦しむわたしたちに強烈なメッセージを届けてくれました。彼はこの本で、こうした苦しみを百年前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、悩みを持つことはマイナスではなく、悩むことこそが生きる意味を見出す唯一の方法であると提唱しました。
 わたしは1982年に豊能障害者労働センターとの出会いから専従スタッフになりましたが、それまでわたしもその歯車のひとつだった高度経済成長から障害者が排除されてきたことを学びました。教育の場からも働く場からも排除されてきた障害者は富の再分配としての「福祉」の対象とされることで経済成長の最終電車に間にあった人もいたでしょうが、乗り遅れたままホームに立ち尽くす人たちも数多くいたのだと思います。
 ほとんどの障害者は親元にいるしかいのちをつなぐすべがなかった時代に、そのいのちをけずってでもあたりまえの市民として暮らしていこうとするひとたちとともに、豊能障害者労働センターは活動をつづけてきました。
 その活動の日々は年々増え続ける障害者の生活と働く場を切り開くために、お金をつくりだす日々でもありました。そんな毎日を過ごしている間に、いつのまにかわたしたちは自分が活動している小さな地域での事業から得るお金がどこから生まれ、どのような道を通り抜けてわたしたちの手の上に乗り、そのなけなしのお金が障害者の生活をかろうじて支えることでまたどこかに行ってしまう、そのプロセスに関心を持つようになりました。
 豊能障害者労働センターの設立の少し前、サッチャーやレーガンによる新自由主義の嵐が世界を吹き荒れました。日本では高度経済成長が終焉し、小泉政権になって20年遅れで実行されたその政策は簡単にいうとよくないのでしょうが、福祉が経済を圧迫する「大きな政府」から、福祉や社会保障を縮小する「小さな政府」への転換でした。
 実はわたしたちもまた、今までの福祉の充実は「富の再分配」でしかなく、ほんとうは再分配の対象とされるひとが「富の生産」の現場に参加していくことを求めてきました。
 「富の再分配」としての福祉に疑問を持つわたしたちの活動は新自由主義を主張するひとたちと一見変らないように見えますが、さまざまな事業をすすめてきた経験から、GDPに代表されるいままでの尺度で見ればマイナス成長でしかなくても、実は豊かで安心できる経済のシステムがあるのではないかと思うようになりました。
 わたしたちの実感を経済や社会のありかたとして提起してくれる学者や研究者はいないものかと思っていたところ、ポストモダンを模索する何人かのひとたちの一人として、姜尚中がわたしたちの前に現れたのでした。実際のところ、経済学からすれば専門の人ではないのかもしれないのですが、わたしたちの思う「助け合い経済」は経済の専門家からは相手にされず、かえって専門外の姜尚中の方がわたしたちの実感にぴったりくるところがあったのかもしれません。ですから、実際に会ったことも話したこともないのですが、自分の専門分野にかかわらず世界の今と日本の未来を思い、自分の人生から語る姜尚中になぜか親近感を持っていたのでした。

 講演の内容にふれる前にすでに紙面を使ってしまいましたが、この日の講演は今回の衆議院選挙や尖閣問題、竹島問題と、キナ臭い状況の中で東アジア共同体構想など、彼の持論をあらためて聞けたらと思っていたのですが、主催者へのサービスもふくめてかなりソフトな内容でした。それでもわたしたちのこれからの活動に示唆をくれた講演でした。
 その中でも、「少子高齢化の社会では外国人をどんどん受け入れることで、経済においても文化においても、そしてこの街にくらす人々の暮らしも豊かになる」という提案は、まったくそのとおりだと思いました。わたしたちは外国人にかかわらず、障害者をふくめ、彼のいう「よそもの」が次々と新しい風を呼びおこし、その新しい風を受け入れていく街が、だれにとっても住んでよかったと思える街であるという確信を持っています。
 かつての国際化からグローバル化の流れは、富も貧困も情報も簡単に国境を越え、よくも悪くもわたしたちは世界とつながってしまいます。わたしたちが住む街から遠くはなれ、名前もわからない地域で起こった出来事が一瞬にしてわたしたちの暮らしに影響してしまう、途方もない時代を生きざるを得ないわたしたちは、一方でわたしたちのささやかな行動が世界を動かすきっかけになるかもしれない可能性もまた獲得できるのかもしれません。
 講演でも触れていましたが、サッチャー後のブレア政権のブレーンが考え、実行したイギリス社会の中での小さな改革がコミュニティビジネスを生み出し、世界各地の実践が重ねられることで、ソーシャルビジネスやソーシャルキャピタルといった「助け合い経済」が、まだメインストリームとはいえないですが確実に世界の経済に一定のエリアを持つようになってきていることは事実です。とくに東日本大震災を経験したわたしたちは、かつての経済成長神話にあともどりすることはできないのが現実だと思います。
 だからこそ、姜尚中が何度も話していた「開く」ということ。国を開き、街を開き、文化を開き、わたしたちの心を開くこと。ありったけの想像力をかきあつめて、さまざまなひとびとと文化を受け入れる「越境する力-多文化主義の未来」(講演のタイトル)に向かう勇気を、この講演からいただきました。
 帰りに会場で販売していた「続・悩む力」と「あなたは誰?私はここにいる」の2冊の新書を買い、いま読んでいるところです。
 それにしても姜尚中の肉声はあいかわらず魅力的で、いままたプライベートなこともふくめてバッシングにさらされながらも粛々と行動し、発言する姿勢に拍手をおくりたいと思います。
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