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2012.12.02 Sun フレディ・マーキュリーとアダム・ランバートと島津亜矢

 わたしは豊能障害者労働センターの在職中に少なからずロックやジャズのライブを主催したものですから、友人や知り合いに洋楽やJポップスを好むと思われていました。
 実際少ない音楽遍歴をたどっても子どもの時は歌謡曲しか聴かなかったものの、ビートルズを聴くようになってからはボブ・ディラン、ジョン・コルトレーン、日本でもジャックスや三上寛、友部正人、ブルーハーツ、小室等などの音楽になじんできました。その意味では典型的なビートルズ世代で、青春とともに音楽の旅がはじまり、今にたどりついたのでした。
 そんなわたしが3年ほど前から突然、島津亜矢を連発することになり、最初は冗談と思われたり、いつかは冷めるマイブームと思われたりしましたがいっこうに熱が冷めず、最近は政治や経済や、もちろん音楽や演劇、芸能一般の話をしても最後は島津亜矢になってしまうので、「またか」とうんざりされています。
 ですから、このブログを訪ねてくださる島津亜矢のファンの方々にはとても感謝しています。演歌が好きなのか嫌いなのか自分でよくわからないわたしですし、いままでたどってきたところからしか島津亜矢のことを語れないので、ずいぶん的を外れていると思います。それでもどうにかこうにか、わたしの偏狭な思い入れを許してくださり、こんなわたしでも島津亜矢のファンでいられることを、ほんとうに喜んでいます。

 さて、今回は最近日本でも話題のアダム・ランバートとフレディ・マーキュリーについて書きながら、ミスマッチと言われることを承知で島津亜矢にたどりつけたらと思っています。
ご存知の方が多いと思いますが、アダム・ランバートは2009年、アメリカの有名なオーディション番組「アメリカン・アイドル シーズン8」で準優勝となり、今年クイーンのツアーのボーカルに招かれ、日本からも数多く聴きに行かれたと聞きます。
 神の声域といわれる高音でやや硬質で挑発的でそれでいて気品がただよい、しかもぞくっとするセクシーな声と圧倒的な歌唱力はたちまち世界の人々を魅了し、フレディ・マーキュリーの再来といっていい大事件でした。
 わたしは流行り歌としてビートルズの虜になっただけで、それ以後のロックやポップスはほとんど知らず、ビートルズ解散から20年もたった1990年頃、世間とあべこべで中学生になった息子からビートルズ以後のロック音楽を教えてもらいました。その中でもとっておきのバンドがクイーンで、ボーカルのフレディ・マーキュリーには圧倒されました。
 しかしながら彼らの音楽をくわしく知る間もない1991年秋、新聞の片隅にフレディ・マーキュリーの死を告げる記事が載っていました。彼は1991年11月、バイセクシュアルであること、HIVに感染していることを公表した翌日に亡くなりました。45歳という若さでした。
 彼の音楽的冒険は数々の名曲に残されていますが、その中でも「We Are the Champions(伝説のチャンピオン)」はイギリスの国歌とならぶ歌として歌い継がれていますし、「ボヘミアン・ラブソディ」は1999年にイギリスで行われた「1000年のベストソング」の投票で、ジョン・レノンの「イマジン」をおさえて第1位になりました。
 2曲ともマイノリティから見たイギリスの血なまぐさい歴史や社会が色濃く映し出されているようにわたしは思うのですが、この2曲が多くのイギリス人に圧倒的な支持を得ていることに、音楽と時代、社会とのつながりというところではイギリスやアメリカにはかなわないのかなと思ってしまいます。
 フレディ・マーキュリーは当時イギリスの植民地だったタンザニアでペルシャ系インド人という生まれ、幼少期のほとんどをインドですごし、17才にイギリス本国に移住したという出自やバイセクシャルであることなどから、彼の音楽には個人的なシチュエーションの中に隠されている時代の暗闇をあぶり出し、そこから希望を見つけようとする強い意志を感じます。
 アダム・ランバートもまたゲイですが、彼の場合は「アメリカン・アイドル シーズン8」の直後に自分がゲイであることを宣言していて大きな時代の変化を読み取ることができますが、その変化は多くの人々のたたかいと、おそらく多くの人々の犠牲の上にたどり着いたものなのでしょう。
 アダム・ランバートの潔さは彼自身の言葉を借りれば「僕らは2009年を生きているんだ。この時代は少しくらいの危険を冒しても勇気をもって人々の目を開かせる時」であり、彼の音楽はそのことと無縁なものではなく、世界に散在する差別と偏見と貧困を直視するものであるのでしょう。もっとも、フレディがそうであったように、彼の音楽もまたそのことを説教したり訴えたりするのではなく、しなやかな感受性と挑発的なパフォーマンスで個人的な物語の中に注入するしたたかさがあると思います。

 さて、そこで彼らと島津亜矢を一緒に語ることにアダム・ランバートのファンからも島津亜矢のファンからも大きなブーイングが聴こえてきますが、つい最近まで彼のことなど知るはずもないわたしが、今年の夏の「サマーソニック」に出演するために来日した彼が朝のテレビ番組で歌うのをはじめて聴いた時の衝撃が、島津亜矢をはじめて聴いた時と同じだったからでした。
 それはフレディ・マーキュリーとアダム・ランバートに共通する、神の声域といわれる高音でやや硬質で挑発的でそれでいて気品がただよい、しかもぞくっとするセクシーな声と圧倒的な歌唱力を持った日本の歌手は、だれがなんと言っても島津亜矢以外にはいないとわたしは思っているからです。
 わたしとしても島津亜矢はすでにジャズの領域にあっては違和感がないのですが、ロックについてはエルビスやビートルズをカバーしたこともありますが、立てゆれのロックのリズムにはまだ違和感を感じます。それでもなお、偏狭なジャンルの枠や常識をのぞき、そしてわたしが島津亜矢のファンであることを差し引いてもそうとしか思えないのです。
 ただ、フレディ・マーキュリーとアダム・ランバートにあって彼女にないものとして、セクシャリティの問題など時代や社会へのたたかいから生み出される表現や、彼女自身が歌をつくらないことなどがあります。
 しかしながら、それらは明治維新以後、日本の社会と日本人が音楽の領域においてもそれまでのアイデンティテイを捨てて、永六輔さんが指摘した絶対音階のもと西洋音楽の五線譜に歌を閉じ込めてしまったのかもしれないと考えると、私たち日本人自身の問題なのだと思います。また彼女自身が歌をつくらないことも彼女の謙虚さもありますが、反対に歌の作り手が島津亜矢という未完の大器にどう立ち向かうのかという音楽的な冒険が問われているのではないでしょうか。
 すでに予定の字数を越えてしまいました。今回は少しテーマが広がりすぎて消化不良になってしまいましたが、またの機会に考えてみたいと思っています。紅白についても島津亜矢の不出演とは別に書いてみようと思います。
 それではフレディ・マーキュリーとアダム・ランバート、そしてわれらが歌姫・島津亜矢の歌声を聴いてください。

「We are the championsQueen(伝説のチャンピオン)」クイーン 1985年
これは全人類への最後の挑戦なんだ だから負けるわけにはいかないんだ
「We are the championsQueen(伝説のチャンピオン)」クイーン 1986年
声がかすれていますが、こちらの映像の方が有名です。この歌の最後にイギリス国歌を合唱することが多かったようです。

「Never Close Our Eyes」アダム・ランバート
ぼくたちがその希望を持っている限り、眼を閉じたりはしないだろう 決して!

「山河」島津亜矢
人は皆 山河に生まれ 抱かれ 挑み 人は皆 山河を信じ 和み 愛す

*島津亜矢のオリジナルではこの2人の歌に対峙するものを見つけることができませんでした。「ヨイトマケの歌」も考えたのですが、島津亜矢にスケールの大きな歌を提供できるとしたら小椋佳か中島みゆきかもしれません。小椋佳さんは一時体調をくずされ活動を休止されましたが、今は再開されています。
また、英語の学習をすれば、島津亜矢が上の2曲を歌いきることは充分すぎるほど可能で、彼女が歌えばわたしの予想をはるかに越えた歌唱力で大きな波紋を呼ぶことでしょう。ぜひ聴いてみたいです。
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帖佐太郎 : URL sister cristina と 島津亜矢

2016.03.09 Wed 16:47

私が、音楽シーンの中でここ2~3年の間に心を揺さぶられた歌い手が二人います。
 ひとりはイタリアでThe voice of italy で優勝したSister cristina、もうひとりは島津亜矢でした。

 Sister cristinaのことはここでは触れません。

島津亜矢については初めて知ったのが7年くらい前で、そのときもっと彼女の歌を広くしっておれば私の人生ももう少し違ったものになっていただろうと思います。
 
 彼女の歌をうたう時の佇まい、姿勢にあっぱれとしかいいようがない。

単に上手いというだけでは説明できない「鬼気迫る凄さ」が彼女の歌にはあって圧倒されっぱなしです。最近では三橋美智也の「古城」に聴き入っています。まさに、杜甫の「国破れて山河あり、城春にして草木深し・・・・」の世界を日本の演歌で表現しているような歌ですが、これを見事に演じきっております。
 この詩情をこのように歌いきれる歌手が他にいるんでしょうか?

 

tunehiko : URL うれしいお便り、ありがとうございます。

Edit  2016.03.10 Thu 11:32

帖佐太郎さま、ありがとうございます。
2012年の記事にまでたどり着いてくださって、うれしいコメントをいただき、感謝しています。
Sister cristina、聴きました。音楽や歌について理屈を言う割には、あまりくわしくない私で、このひとのこともまったく知りませんでした。
このひとと島津亜矢さんというレンジの広さは、すこしだけわたしも共通しているかなと思います。
2人とも、声が生まれる場所がよく似ているように思いました。「鬼気迫るすごさ」と表現されましたが、言いえて妙で、わたしも彼女の声を聴いていると、遠い昔人間が歌を発明した時の感動と興奮を感じます。

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