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2012.11.24 Sat 島津亜矢の「影を慕いて」と大阪新歌舞伎座座長公演

 島津亜矢の大阪新歌舞伎座の座長公演のチケットを購入しました。来年の2月15日から3月4日までの公演で、チケットぴあの先行販売で購入しました。5月の名古屋での座長公演では最終日にすてきなサプライズがあったと聞き、それならばと今回は3月4日の最終日のチケットを購入しました。
 ほんとうは初日あたりにも行って、5月の時のように島津亜矢が大化けしていくプロセスを間近に観てみたいとも思うのですが、その頃には今の仕事がおわっているかも知れず、会社勤めを途中でやめたので年金も少ないので経済的に2回は無理かなと思っています。それにすでに尼崎のコンサートに行くことにしているので、今のところはがまんするしかないですね。
 今回の芝居は前回とがらっと変わり、坂田三吉の妻という役柄だそうで、どなたの企画かわからないのですが、なかなか意欲的な企画だと思います。島津亜矢もまた、持って生まれた才能に加えて新しいことへの好奇心と冒険心、そしてひたむきな努力で演じてくれるにちがいありません。大阪弁が大丈夫かなとも思いますが、赤井英和との共演ですばらしい舞台になることでしょう。今回は喜劇の要素もあるかもしれませんね。

 さて、ここ3週間ほど桑名正博さんの追悼特集を書き続けましたが、その間にもしかすると島津亜矢に関する新しい記事がないかと訪ねてくださった方もいらっしゃるかも知れません。
わたし自身、もう少し短期間で書き上げる予定だったのですが、書いているうちに桑名さんへの追悼と感謝の気持ちとともに、わたしが参加していたこの時代の豊能障害者労働センターの活動を抜きには語れず、桑名正博さんとの出会いからはじまるこのコンサートの記録と記憶をしっかりと残しておきたいと思ったのでした。
 結果的に23本の記事に膨れ上がりましたが、わたしとしては納得できる特集になりました。もし、読んでくださったなら幸いです。
 今年の後半、身近な友人が何人か亡くなったこともあり、とてもさびしい思いをしています。このブログをはじめたきっかけもまたわたしの親友だったKさんとの別れがきっかけで、彼へのお見舞いに島津亜矢のCDを買ったことから島津亜矢のファンになったことはすでに書いた通りです。わたし自身に残されている時間がどれほどなのかわかりませんが、60才半ばという時の踊り場で島津亜矢のファンでいられたことを、小椋佳の歌を借りれば「君と出会ったことを、誰に感謝しようか」という心持でいます。
 実際、通勤の間「BS日本のうた」を聴きつづけていましたが、とてもわびしい時、とてもさびしい時、おもわず涙がこぼれそうだったわたしをなぐさめてくれました。このアルバムについてはすでに書きましたが、個別の曲でいえば一曲目の「俵星玄蕃」も最後の「一本刀土俵入り」も、すでに収録時に歌そのものは完璧なんですが、せりふはいろいろなパターンを経て今の豊かな演技力へと変貌していて、間違いなく今のせりふの方がわたしは好きです。
 けれども、この頃の島津亜矢はそれこそ怖いもの知らずの若さと、ぞくっとする色気にあふれていて、どの歌も肉感的かつ大胆で何度聴いても飽きないのです。
 すべての曲が聞き逃せないのですが、「長崎の鐘」、「黒百合の歌」の流れ、「風雪ながれ旅」、「竹」、「無法松の一生」の流れ、島津亜矢のオリジナルの流れがある中で、ひときわ心をふるわせるのが「影を慕いて」です。以前、「BS日本の歌」のスペシャルステージで島津亜矢が共演した森進一が歌うこの歌について書きましたが、島津亜矢が歌うと森進一とはまたちがう趣があります。ほんとうはこの2人は歌うことにおいてとてもよく似ているとわたしはかねがね思っています。
 森進一は演歌の大御所とされていますが、その評価や好き嫌いは別にして、この人が歌っているときに観ている風景は他の歌手の方とちがってかなり遠くの風景のように思うのです。それは物理的な意味もありますが、時間軸においてもどこか遠い昔に置き忘れたものを必死に見つけようとしているような、はかないひとみなのです。
 島津亜矢もまた、彼女にしか見えない遠い風景をみているような気がします。彼女の場合は、「歌や芝居は実人生での経験やとても深い悲しみや大きな喜び、そして不運な恋愛などを通り過ぎることでより豊かであじわい深いものになる」という通説をくつがえし、歌そのものが持っているよろこびや悲しみ、歌そのものがかくしている風景を探しているように思うのです。
 もちろん、40代の彼女が経験してきた人生で、わたしたちには計り知れない出来事があってあたりまえですし、だからこそ20代のはちきれんばかりの若さにあふれていた頃とはちがう陰影が歌に反映されていることはあたりまえのことでしょう。しかしながら、それだけで終わらないものが彼女の歌にはあると思います。
 久しくブルースやジャズが差別を受け、人としての尊厳を著しく傷つけられてきた黒人にしかわからないといわれましたが、果たしてそうなのでしょうか。もしそれだけのことならば海を越え時を越え、わたしたち日本人にまでその音楽が届けられることはなかったのではないかとわたしは思うのです。
 島津亜矢は彼女自身の人生経験のみで歌を豊かなものにしているのではなく、歌そのものが隠し持っている声にもならない語りをただひたむきに聴くことで、彼女が経験しなかった人生をも歌うことができるのだと思います。
 かつて武満徹が「私は作曲という仕事を、無から有を形づくるというよりは、むしろ、既に世界に遍在する歌や、声にならないつぶやきを聴き出す行為なのではないか、と考えている。」と言いましたが、島津亜矢もまたすでにある歌たち、声にならないつぶやきをすくいあげ、ただひたむきに遠くを見つめ、その歌を必要としてきたわたしたちに届けてくれているのだと思います。
 島津亜矢の「影を慕いて」は、この恋の歌を「すくいあげた(つくった)古賀政男の心の闇と、その闇とつながっていたはずのもう一つの大きな闇、戦争へと道をせばめていったかつての国家の闇のただなかで、薄明るい朝の光とともにおとずれるはずの希望を待ちつづけ、心をふるわせる切なさがあふれているように私には思えるのです。
 わたしはどちらかというと古賀政男は苦手で、森進一の「影を慕いて」だけは心に残っていたのですが、島津亜矢の歌を通して古賀政男というひとが少しわかりかけたように思っています。古賀政男にかぎらず、谷村新司やさだまさし、松山千春など、どちらかというと苦手なひとたちの歌を島津亜矢が歌うと、そのひとたちを好きになってしまい、戸惑ってしまいます。そんな楽しみをいっぱいくれる「BS日本のうた」シリーズを少しずつ聴いていこうと思います。

島津亜矢「影を慕いて」


島津亜矢座長公演・大阪新歌舞伎座
2013年2月15日~3月4日
第一部 ~阪田三吉の妻コユウの生涯~ 獅子(ライオン)の女房
第二部 島津亜矢オンステージ 「玲瓏(れいろう)」 ~いつまでも美しく光り輝いていたい~
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