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2012.11.12 Mon いつかこのコンサートはこのまちの伝説となるだろう・桑名正博コンサート「風の華’93」2

コンサート風の華メモリーズ
1993年5月4日発行、豊能障害者労働センター機関紙「積木」増刊NO.12号より

そして、いつかこのコンサートは
このまちの伝説となるだろう
コンサート「風の華’93」を前にして、桑名正博さんとの出会い

 1990年、たった一度の出会いとぼくたちは思っていた。
 桑名正博さんとの出会いは突然のことだった。ぼくたちにとってロックミュージシャン・桑名正博は、ステージやテレビや映画など、はるか遠くでいつもライトがあたりつづけているスターだ。
 桑名さんがどんな思いでこのコンサートを引き受けてくれたのか、と今でもふと考える。これも偶然のことだったのだが、ぼくたちがお世話になっている渋谷天外さんのよびかけに応えてくれたまでなのかもしれない。
 それでも、ぼくたちの活動も全然知らず、どれだけの人が来てくれるのかもわからない舞台に立つことを、いとも簡単に引き受けてくれたのを今でも不思議に思う。
 いままで何回かイベントをしてきたが、ひとりもお客さんが来なかった映画会もある。桑名正博さんがどんなに有名でも、情報が伝わらなければ失敗に終わる。
 ぼくたちの力量がみすぼらしいことを僕たち自身が良く知っていたし、そのことを桑名さんのマネージャーにも話した。それでもいいと来てくれる桑名さんに、「ヤバイ」と思う気持ちと「やったるで」という気持ちが入り混じった。

「僕らはあくまでも音楽をやっているんで、福祉の旗持って走り回る気はない。
 ただ、音楽を楽しんでもらえるなら、場所は選ばないし、それが障害者の状況をみんなに知ってもらうことに役立てばうれしい。普通のコンサートのようなスポンサーや客の期待にこたえないかん、いう重荷から解き放たれて、素直に自分を出せた気がするんです。」
(1993年5月31日(日)読売新聞朝刊 桑名正博さんへのインタビュー記事より)

 ボランティアでもない、ビジネスでもない、これは僕の仕事と桑名さんは言った。
 桑名正博さん、ぼくたちもまた福祉の旗を持っていません。障害があるからといって、ひとりの市民としてあたりまえに暮らしていくことをはばむいっさいに対するきびしい挑戦を誓ったぼくたちは、障害者を保護する対象とみなす「福祉」とのたたかいからはじめなければなりませんでした。

 実際、ぼくたちの活動はしばしば「福祉」の枠の中で説明される。しかし、ぼくたちはまずこの「福祉」というものと格闘しなければならなかった。
 あたりまえに暮らしたいという思いとかけはなれた「福祉」という牢獄に保護という言葉で閉じ込められ、障害者はこの街で普通に生きていくことから巧妙に遠ざけられてきた。
 ぼくたちが生きていくのは「福祉」の中でじゃない、この街なんだ!
 粉石けんかの配達からはじめ、お店の運営、カレンダーの販売、衣料品の移動販売など、食べていくのは苦しいが、街へ街へと出て行った。
 最初は福祉関係者から過激とも言われた障害者の働く場づくりは、いまでは箕面市の福祉施策、障害者雇用施策のめざすところまでになった。

 「福祉」との格闘は、ライトも当たらず音も聴こえないけれど、格好悪くてどぶねずみのようだけど、街をステージにしたぼくたちのまだ終わらないロックンロールなのだ。
 あの時、はじめての桑名さんのコンサートでひたむきに走り回っていた1990年の春、ぼくたちが心の中で聴いていた桑名正博さんの歌は、ぼくたち自身の歌でもあった。
 そして1990年4月27日、はじめて箕面市民会館のステージに立った桑名正博さんのまぶしい姿を、ぼくたちは見ていた。
 その年の12月、桑名正博さんから電話をもらった。「第一回ニューイヤー・ロックフェスティバル関西」のチケットをプレゼントしてくれるという。ぼくたちのことをおぼえていてくれたことが、プレゼント以上にとてもうれしかった。
 翌年の初めだったと思うのだが、ぼくらが今年もお願いできないかと、大阪での活動拠点となった新しい事務所を訪ねると、僕らがたのみに来たら、とにかく受けるように言われていると、マネージャーか話してくれた。
 桑名さんにぼくたちのことを多く語ったわけでもない。ステージでの主催者のアピールも関係団体のあいさつもあるわけではなかった。それでも、桑名さんは言葉で聞くよりも以上に、音楽をやる人間の嗅覚でほくたちのやってきたこと、やろうとしていることをわかってくれたのだと思う。
 こうして3年つづけてこのコンサートは実現し、いずれも立ち見がでてしまうほどの成功をおさめた。
 実際のところ、このコンサートを毎年続けていく力量はぼくたちにはない。だから毎年、精いっぱい全力を尽くすことしか、桑名さんに約束できるものはなかった。
 桑名さんもおそらく、はじめの時とおなじように「それでいい」と、ぼくたちのやり方にまかせて無条件に来てくれたのだと思う。

 今年また、ぼくたちはこの一瞬一瞬を精いっぱいやるしかないと思っている。そしていつか、このコンサートはぼくたちの活動の歴史の1ページからあふれ出て、この街の伝説となるだろう。

ひとのなみだは 地球より青いはずだから
青春に負けないで むかい風を胸にうけて
青春を逃げないで いま、生きつづけて
「青春に負けないで」

ニューイヤー・ロックフェスティバル関西(1991-1992)「青春に負けないで」

1993年5月31日(日)読売新聞朝刊
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