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2012.11.08 Thu 91年午前零時の桑名正博

 1990年、わたしたちのコンサートの後、大阪に帰ってきた桑名さんはその年の暮れに主に関西在住のミュージシャンとともに「ニューイヤー・ロックフェスティバル関西」を開きました。そしてその記念すべき第一回に、わたしたちを招待してくださったのでした。これはその時の記録です。

桑名正博コンサート風の華メモリーズ2
1991年1月26日発行 豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.44より

ニューイヤー・ロックフェスティバル
91年午前零時の桑名正博


おかあさん、おぼえていますか
ほら、あの夏の日
川に落としてしまった
あの麦わら帽子は
どこへ行ってしまったのでしょうか

 幕が上がると、ジョー山中が歌いだした。
 ピアノを弾くのは、わたしたちを応援しようと桑名正博が開いてくれた「コンサート風の華」の時、すばらしい演奏を聴かせてくれた小島良喜。
 そして、けっして派手ではないが、正確なリズムでわたしたちの体を音の波にほうりなげるドラムス。
 3人の男たちをとりまくグレーの闇は、新しい年への期待と、あらかじめかみしめてしまうせつなさをも包み込む。
 その闇の向こう側にあるのは、それでも歌おうとするわたしたちの心のひだの夢なのか、それともふりしきる雨にせかされて、残り何時間かになった90年の時の鐘をならす大阪の街の夜なのか。
 こうして、桑名正博がプロデュースする「ニューイヤー・ロックフェスティバル関西」ははじまった。

 去年の年末、桑名正博さんから電話がありました。
 「桑名です。大晦日にロックフェスティバルをやるんで、招待しようと思って」。
 わたしたちに招待状をプレゼントしていただけることより前に、彼がわたしたちのことをおぼえていてくれたことに感激しました。
 それで31日の夜、わたしたちは新大阪に新しくできたメルパルクホールに向かったのでした。
 桑名正博、桑名晴子、上田正樹、もんたよしのり、BORO、石田長生、山岸潤史たちが次から次へとステージに登場し、誰が歌う時にも全員が歌い、全員が演奏しました。
 そして、内田裕也がジョー山中とともに東京からかけつけてきたのです。彼は何年も前ら自分自身がプロデュースし、桑名さんも参加していた東京でのニューイヤー・ロックフェスティバルのすきまをぬって、大阪のステージに上がったのでした。

 ステージの上の誰もがすばらしい音楽を聴かせてくれたことは言うまでもありません。
しかし、なによりもステージの上の彼らの心が、無防備と思えるぐらいに開いたままでわたしたちの心にの中にまでとびこえてくることに、
 大阪という猥雑な街のにおいを漂わせながら、この街の地下へとつながる時の階段の入口にわたしたちを案内してくれることに、
 歌のマグマからふつふつとにおい立つ、ロックンロールのあたたかい風でわたしたちを包んでくれることに、
 わたしたちを、「今生きていること」へのせっぱつまった片思いにかりたてることに、
 わたしたちは胸を打たれたのでした。

いつものコンサートとはちがう。
いつもとちがう彼らの高まりは、大阪の街にある。
大阪の街への思いにある。そして、わたしたちの街。
わたしたちの街への、わたしたちの思い。

 「桑名くんは、これから10年間、大阪でのこのフェスティバルを開くことをみなさんに約束しています。1部のアマチュアバンドフェスティバルも、来年からはもっとたくさんの人に聴いてほしいと思います。ロックはこの会場にあります」。
 内田裕也はこの言葉を残して、東京のフェスティバル会場へと急いだ。

1991年午前零時の桑名正博さん
このフェスティバルを準備した疲れをかくして歌う
あなたの姿はすてきだった。
あなたの歌は、あなた自身が歌った歌だけではありません。
このフェスティバルそのものが
そこにいた1000人のわたしたちひとりひとりのこすれあう心が
あなたの歌でした。
同じ時代を旅行く
いくつもの宛とせつなさを歌う
桑名正博さん
ありがとうの言葉しか
持たないわたしたちの
心の花束にかえて…。
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