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2012.10.14 Sun 島津亜矢コンサート・琵琶湖ホール

琵琶湖
 10月11日、琵琶湖ホールの大ホールで開かれた島津亜矢のコンサートに行きました。今年5月の名古屋での座長公演以来で、待ちに待ったライブでした。
 何しろ能勢からですから9時すぎに家を出て、途中JRが事故の影響で電車が遅れたこともあり、ホールに着いたのが12時半になっていました。
 すでにロビーやレストランはたくさんのひとで、わたしは近所の食堂に入り、ここでもコンサートのお客さんでごった返していたので簡単にできるものと思い、カレーライスで食事をすませました。開場にはまだ時間があり、天気の方もよかったので、しばらく琵琶湖のまわりを歩きました。
 開場時刻になり、最初の混雑が落ち着いた頃にわたしも会場に入りました。大ホールは1848席もある大きなホールでしたが、9割ぐらいの席が埋ってしまいました。車いす利用者のための席は4席で、しかもいちばん後ろだったのが少し残念でした。
 幕が上がるとステージ中央の階段の上に島津亜矢が立っていて、すかさず「亜矢ちゃん」というドスのきいた掛け声が鳴り響きました。最近は掛け声の方にも美学が求められているようで、今回の掛け声はいままででいちばん多く、またタイミングも絶妙で、わたしも心なしか胸の鼓動が高まりました。
 亜矢の三度笠をオープニングに昭和の名曲をワンコーラスずつ歌うと、もう彼女の歌の世界に引き込まれてしまいました。そして、「帰らんちゃよか」、「母への感謝状」と続き、「ヨイトマケの唄」を歌いだすころには、わたしはもう涙があふれてしまいました。
 島津亜矢にはたくさんのオリジナル曲があり、Jポップスの坩堝の中ではそのどれもが正しく評価されないことを残念に思うのですが、彼女のライブに行けばそんなことはどうでもよく、オリジナル曲でもカバー曲でも島津亜矢の心を通り、類まれな歌唱力で歌いだすと、どんな歌も新しい血液がどくどくとあふれ出すようによみがえるのでした。「ヨイトマケの唄」は以前にも歌っていますが、今年のコンサートではストレートに熱唱するだけではなく、とても深みのある歌になっていて、この歌に限らずですが単なるカバー曲とは言い難い領域に入ってしまったように思います。
 そして、ドレスに着替えて歌ったのは座長公演の時に歌った「家においでよ」、「テネシー・ワルツ」、「スワニー」の3曲でした。これらの歌は江利チエミや雪村いずみが歌った1950年代のポップスですが、苦手といわれる英語の歌詞も交えての歌はリズム感にあふれ、彼女はすでに美空ひばりもふくめた往年の天才たちが歌っていたジャズやポップスも歌いこなしてしまうのです。
 しかしながら、これは以前にも書いたことがありますが、わたしは島津亜矢の才能はそれよりもまだ遠くにあると思うのです。その先の重い扉を開くと黒人霊歌やブルース、ジャズにたどり着けると思うのですが、その地は島津亜矢の「演歌」とそれほどかけ離れたものではないどころか、生まれた場所も時代もちがっても、およそ人間が生きるために、分かち合うために、愛し合うために必要としてきた歌の源流へと彼女の才能は向かっているのだと思います。
 パティ・ページからアレサ・フランクリンへ、島津亜矢は演歌歌手でありながら、というより演歌歌手だからこそ、かつて竹中労が美空ひばりに歌ってほしかった黒人のジャズを歌える可能性を秘めた、とても刺激的な歌手のひとりです。そのことはまた、カンツォーネの「愛は限りなく」でもそうで、この曲をこの時代に選曲するセンスのよさもさることながら、島津亜矢の可能性はすでにジャンルでは語れないところに来てしまったのだと思います。

 第二部はいつものお約束の客席をまわる握手パフォーマンスと、「俵星玄蕃」が圧巻でした。今回の客席まわりは、わたしはいままでとちがう感動を覚えました。2000人近くのお客さんのすぐそばまで体を運び、駆け足に近い状態で差し出される無数の手をにぎりながら決して音をはずさず、リズムも崩れないのは神業に近いのですが、それだけではなく、このパフォーマンスにわたしは唐十郎のテント芝居の演劇空間と似たものを感じたのでした。唐十郎の芝居では舞台も客席もほんの一瞬の密室空間にあり、裸電球ひとつで登場人物の背負った物語が浮かび上がり、また次の一瞬には密室は解体され、登場人物も役者も物語もお客さんも夜の路上に投げ出されるのですが、島津亜矢の場合は客席をまわる握手パフォーマンスがヨーロッパ型の劇場空間を突き破り、かつての大衆演劇やテント芝居のように一瞬にしてわたしたちをもうひとつの非日常の空間に誘いこむ儀式のように思えてくるのです。
 そう言う意味でわたしはかねがね、大劇場での公演もいいのですが、各地で開いているコンサートでの島津亜矢がとても大好きです。子どものころにはじめてみた大衆演劇や唐十郎のテント芝居にある、どこかなつかしくどこか切ない空間にはいつも歌が流れていて、唐十郎の名作「腰巻お仙 ・振袖火事の巻」のヒロインのように、振袖姿の島津亜矢が光を背にたたずんでいて、ぞくっとする肉感的な衣擦れの音がずっと耳に残るのでした。
 「俵星玄蕃」、この長編浪曲歌謡を島津亜矢は何回歌ってきたことでしょう。歌い始めた頃にはきっと三波春夫で親しんできた人たちから相当の批判があったようですし、今でもそんな声が聞こえないわけではないでしょうが、それでも歌い続け、自分の歌にしてしまった彼女の強い精神力に感動します。もちろん、それができたのは彼女でしかこの歌を歌いきることができない並外れた歌唱力と持って生まれた才能に甘んじることなく努力をしつづけるひたむきさがあってのことでしょう。
 三波春夫が歌う俵星玄蕃は槍の達人、人生の先輩のようですが、島津亜矢の歌う俵星玄蕃は宝塚歌劇や少女漫画に登場する、ヒロイズムにあこがれる青年のような心の渇きを持った人物のようで、歌舞伎で演じられるバクチと酒に夢中になり道場経営をかたむけてしまう俵星玄蕃により近いのかもしれません。
 ともあれ、この歌を島津亜矢が特別の心意気をもって歌わなければすぐにも忘れられてしまうことを思うと、あらためて歌手・島津亜矢の存在がかけがえのないものであることを、ファンならずとも認めないわけにはいかないでしょう。
 ここまでくれば紅白歌合戦で島津亜矢がこの歌を歌うときがやってくるような予感を感じる今回のコンサートでした。
 島津亜矢は座長公演をへて、とてもきれいになったと思います。ある種の力みのようなものがなくなり、肉感的な立ち姿としぐさ、間の取り方がより絶妙になり、深みとふくらみが加わったせりふまわし、どれをとってもまた新しい到達点に達していて、いまノリにノッテいるように感じました。
 コンサートが終わり、琵琶湖の遊覧船に乗れるかなと思ったのですが、すでに最終の船がちょうど大津港に戻ってくる時間になっていました。もっとも、思ったより料金が高くて、実際は乗らなかったように思いますが…。
 昼の部でしたから能勢の家に遅くならないで帰ることができましたが、その日の夜は心が高ぶって文章が書けず、今になってしまいました。
 今日14日の午後7時半からの「BS日本の歌」で、島津亜矢は「ギター仁義」と「地上の星」を歌うようです。彼女のレンジの広さを証明するような選曲で、とても楽しみです。

島津亜矢 元禄名槍譜・俵星玄蕃 2002年
数あるバージョンの中でもLUXMANさんがおすすめの珠玉のステージ。
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ポチ : URL 私もそう思います

2012.12.04 Tue 12:59

ジャズファンです。ブルースやソウルも好きです。

島津亜矢さんの声は演歌よりブルースやジャズ歌手に似ていると感じています。楽器もサックスやベース、ブルースギターが合うと思います。
打楽器なんかにも負けないような声ですので、様々な歌い方が可能だと思います。
北米、南米等のルーツミュージックを専門とするプロデューサー(特にアメリカ南部でしょうか)に曲を依頼するとちょっと違った感じの伴奏楽器になる可能性もあります。ハーモニカなんかも合いそうです。たたご本人は演歌一筋と決めていられるような感じがします。

個人的には、歌声を聴くといつも国内に留まっているのが惜しいなあと思ってしまいます。もうされているのでしょうが、海外興行向きの声質ではないでしょうか。

ポチ : URL フランスかチュニジアか.......

2012.12.04 Tue 13:16

アメリカと書きましたが、フランスもジャズ大国でありその北には北欧諸国が広がっています。ドイツ・ポーランドもクラシック・フュージョンの古い歴史を持っています。アメリカよりむしろ欧州~北アフリカ向きかもしれません。

これらの国々の出身者が旅行に来たら、まず島津さんのコンサートに連れていくべきでしょう。着物の装いも美しい方です。

tunehiko : URL コメントありがとうございます。

Edit  2012.12.04 Tue 23:10

ポチさま、こめんとありがとうございます。
ほんとうに、島津亜矢さんというひとは無数の可能性を持っているものですから、ジャンルの区別なく大ファンになったり、その音楽性を高く評価する人たちがおられると思います。
おっしゃる通り、彼女の声は世界に太刀打ちできるものなので、どこかで世界に出ていければ(といってもわたしの場合はアジアがいいように思うのですが)世界的な評価を得られる可能性がおおいにあると思います。
一方でわたしは彼女の歌を聴いているうちに、五線譜に収まるまえの日本の音楽のアイデンティテイ、たとえば民謡や浪曲など三味線や「こぶし」で表現してきたものが、いまの「演歌」ではもちこたえられなくなっているのではないか、だからこそ彼女がけん引していく役目もまたもたざるを得ないのかもしれません。


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