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2012.08.01 Wed 龍化吊橋

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 少し前になりますが、梅雨が明ける直前の晴れた日に、龍化吊橋に行きました。
 能勢に住んで1年になりますが、わたしの家は能勢町の中でも西側の入り口で、能勢電車山下駅から国道173号線(能勢街道)のトンネルを10個ほど越えたところの一角にあります。
 わたしは週に3回、バスで山下駅に出て大阪に行くのですが、たかだか10分ぐらいの間に四方里山に囲まれ、その間を川が流れ、トンネルをこえるたびに山の風景が少しずつ変化し、街に出るという感じで、ほんとうに映画で何度もこんな風景を見たような気がします。
 その途中に一庫ダムがあります。一庫ダムは1983年に完成したダムで、治水と近隣自治体への上水道供給を目的とした多目的ダムで、ダムによってできた知明湖や整備された周辺の渓谷は今では観光コースにもなっています。
 龍化吊橋はそれらの環境整備の一つとしてつくられたのでしょうか、1998年の完成で、吊橋という響きから想像していたものとはちがい、モダンな感じの吊橋でした。
 それでも、このあたりの川の流れは想像以上に早く、龍化渓谷と呼ぶにふさわしいものでした。ダムによって沈んでしまった村落の郷土史も大切に保存されていますが、実際にそのすぐそばに立つと、それまでにあったはずの暮らしと、それ以後すでに30年の時が経ち、目新しかったはずの風景もまた歴史を持ち始めていることを肌で感じます。
吊橋といえば、豊能障害者労働センター在籍時に上映会を開いた映画「萌の朱雀」で、過疎化が進む奈良県西吉野村(現五条市)で寄り添うように暮らしてきた家族が、やがて山を降り離れ離れになっていくこの物語の中で、ひときわ印象的だったのが吊橋でした。山々に囲まれた深い渓谷にかけられた吊橋は、長い間この村の自然とひとびとの暮らしを見つめ、やがて山を降りて行った家族たちの後ろ姿も見つめてきたのだと、映画は語っているようでした。
 わたしはこの映画の上映会とのかかわりもあって、豊能障害者労働センターのスタッフとともに同じ奈良県の十津川村にあった二村小学校を訪ねたことがあり、その帰りに有名な谷瀬の吊橋を渡りました。 
二村小学校を訪ねたとき、一年から六年まで30人はいたでしょうか、全校の子供たちが太鼓の演奏で迎えてくれて、とても楽しい時間をすごしました。
学校では村のひとたちによる課外学習に力を入れていて、村の歴史や暮らしの知恵をこどもたちに伝えることをとても大切にされていました。
 この記事を書くためにインターネットで調べると、2010年にこのあたりの3つの小学校が統合されたようです。あの時の子どもたちの生き生きとした顔を思い出すと、心が痛みます。段階の世代で1クラス50人も60人もいた学校時代を過ごしたわたしにとって、全校で30人の学校はとてもうらやましく思ったものでした。もし学校が「教育(フーコーの言う調教)の場」ではなく「学ぶ場」であるとしたら、1クラス40人どころか30人でも多いはずで、過疎化でやむを得ず全校で30人や50人という学校の方が理想的なのではないかと思います。ちなみに、WHO(世界保健機構)では全校で100人までの「小さな学校」が望ましいと提言しています。
 いま、能勢町では今年3月に廃業した府民牧場跡地に、能勢町全体で1つの小学校と1つの中学校の建設計画を進めています。里山に囲まれ、WHOがいう理想の学校から子どもを追い出し、地域によっては冬場、凍結で走れないかもしれない通学バスに押し込められて通う新しい学校に、子どもたちの未来をたくせるのかはなはだ疑問です。

 龍化吊橋はこのあたりのちょっとした観光資源としてつくられたもので、映画の舞台となった吊橋や谷瀬の吊橋のような風情とはかけはなれたものですが、それでもダムの建設によって消えてしまった村のことを想ったり、残された旧道のトンネルを見ていると、能勢のひとびとの暮らしも同じようなきびしい現実をかかえていて、過疎化が進んでいることを実感します。
 戦後の高度経済成長の上に成り立っていた豊かさがくずれようとしている今、新しい豊かさをつくりだすためには、過疎化がすすみ、限界集落になろうとしている地域にあった「もうひとつの豊かさ」に学びつつ、それぞれの地域で雇用創出できる経済の仕組みをつくりだせないものかと考えます。
 能勢町に住むわたしにとっても、他人事ではないと思っています。

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