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2012.07.20 Fri 青江三奈と島津亜矢

 「彼女の歌が日本調とモダン味の亀裂にあまりにも深く喰い入っているがゆえに、日本調のものはモダンにきこえ、モダンな味のものに日本調のかげりを感じる、ということになるらしい。その関係は歌詞とメロディについても同様で、それぞれに別個の意味内容を持つ歌詞とメロディのはざまに分け入って、そこから自分自身の歌を統一的にひきだす力量において、彼女は抜群の力を持っている。だから、何をうたってもうまいのだ。」
相倉久人「ジャズからの出発」

 この文章は、ジャズ評論家・相倉久人が1969年から70年にかけて演歌、歌謡曲について書いた一連のエッセイの中の、青江三奈へのオマージュです。
 相倉久人は山下洋輔、筒井康隆、赤塚不二夫、唐十郎、若松孝二と交流を深め、「銀巴里」、「新宿ピット・イン」などで司会をつとめながら、若手ミュージシャンの理論的な面での育成に当たるなど、世界の民衆運動への広い視野と深い共感をもってジャズを論じた日本で最初のジャズ評論家といってもいいと思います。
 その彼が60年代後半のジョン・コルトレーンの死とフリー・ジャズの衰退に見切りをつけてジャズ批評の現場を去り、70年代にはロックを中心としてポピュラー・ミュージック全般の評論家となる直前に歌謡曲や演歌にのめりこみ、優れた歌謡曲論を展開した一瞬がありました。
 日本が高度経済成長のスピードのもとで、戦後民主主義の甘くてもろい夢と希望が振り落とされようとしていた1970年代、北島三郎、藤圭子、都はるみ、水前寺清子、森進一が歌う演歌がパチンコ屋や居酒屋、街の商店街やショッピングセンターに流れていました。この時代、たしかにいままでの歌謡曲のやわらかいレンジからまず、演歌というジャンルが生まれ、それ以後フォークソングからニューミュージック、Jポップスへと別れ、広がっていったきっかけをつくったともいえるのではないかと思います。
 革命幻想が消えた後、相倉久人は竹中労、平岡正明、寺山修司、五木寛之などとはまた別に、大衆音楽のしぶとさというべきか、「艶歌が星野哲郎のいうように人生の応援歌ならば、無名の人びとの口から口へと歌いつがれてきたこれらの歌には怨歌の名こそふさわしい」(相倉久人)と、演歌の可能性を見たのかもしれません。
 いま、若い人が書いたもので、演歌はそんなに古いジャンルではなく、70年代に新左翼がつくったものだと主張する本があるようです。相倉久人、竹中労、平岡正明、寺山修司、五木寛之を「新左翼」と呼ぶのは大きな間違いですが、ひとはなぜ歌うのか、ひとはなぜ歌を必要としているのかと彼らが論じたり小説にしたように、デモのときに多くの人びとが手をつないで歌った「インターナショナル」よりも、ひとりひとりの心の底に潜み、暗い通底路を通って響きあうような演歌の方が、少なくともわたしの心に届いたことは間違いありません。

 前置きが長くなってしまいましたが、相倉久人はとくに青江三奈に深くはまり込み、冒頭の文章はそのうちのごく一部です。
 さて、わたしが彼の文章を引用しましたのは、青江三奈について書いている相倉久人の文章が、まるで島津亜矢について書いているのではないかと思うぐらい、島津亜矢の天賦の声、歌唱力、歌への姿勢などを見事に表現しているようなのです。
 そして、こんな古い文章を思い出したのも、島津亜矢の2000年リサイタルのDVDに収録されている青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」をうたう島津亜矢に、びっくりしてしまったからでした。
 とくに声を張り上げるわけでもなく、どちらかといえばトーンをさげて歌っているのに、リズム感もあり、なんといってもふっくらとした肉感があるその歌は、とても青江三奈と似ていました。言葉でもなくメロディでもなく、「うた」のエロスを噛むように歌う少し危険なかおりがただよっているのも、青江三奈ととても近いところに島津亜矢がいたことを感じました。
 2000年のDVDについてはもっと他にも思うことがあるのですが、この歌を聴いたとき、今年の座長公演やコンサートで歌った「テネシーワルツ」などのジャズや、アルバム「SINGER」に収録されたポップスへとつながる道が、この時にすでに広がっていたことに感動します。
 わたしはこの道はまだまだ先があり、かつての美空ひばりのように、いずれはビリー・ホリデイやアレサ・フランクリンへと到達する演歌歌手になることを夢みています。
 この歌を歌う島津亜矢は、青江三奈を追いかけることで「テネシーワルツ」や「I Will Always Love You」よりももう少し先にあるブルースの官能を自分のものにしていて、ぞくっとしてしまいました。
 若くして歌の道を歩き始め、希有の才能を持ちながらも努力を惜しまない彼女ですから、これからもジャンルにとらわれずたくさんの歌を歌っていくことでしょう。これはいくらなんでもと思ってしまう歌が新しい可能性を広げてくれるにちがいありません。そして、青江三奈の歌は本格的なジャズへの入り口を島津亜矢に用意してくれているように思います。
 青江三奈は高校在学時から東京・銀座の「銀巴里」でステージに立ち、高校卒業後クラブ歌手となり、1966年、「恍惚のブルース」でメジャーデビューしました。以後、1968年に「伊勢佐木町ブルース」、「長崎ブルース」、翌1969年には「池袋の夜」が大ヒット。森進一と並んで「ため息路線」と呼ばれました。わたしは森進一が好きなように、青江三奈もとても好きでした。
 島津亜矢の「伊勢佐木町ブルース」に感動し、青江三奈がどんな歌手だったのか、どんな歌をどんなふうに歌っていたのか、もう一度聴きなおし、素晴らしい歌手だったことをあらためて知りました。
 わたしは島津亜矢のおかげで、子供のころの歌謡曲からジャズやロックにいたるまで、いろいろな歌をもう一度聴きなおすことができ、とても感謝しています。そして、それらの歌を島津亜矢ならどう歌うのかと問いなおすことで、かえってオリジナルの素晴らしさももう一度知ることができました。ほんとうに島津亜矢は不思議な歌使い(魔法使い)だと思います。

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