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2012.07.01 Sun 島津亜矢と紅白歌合戦

 永六輔さんは著書「昭和 僕の芸能私史」で、「昭和62年(1987年)、NHK紅白歌合戦は国民番組から大晦日の音楽番組になった」と書いています。
 「この年(1987年)の紅白歌合戦から、リズム優先の若者向けの曲が優先的に選ばれ始め、大晦日の大人たちは知らない歌を聴きながら、これが世相かと納得するようになっていった。(中略)
 わらべ唄や文部省唱歌がひたすら懐かしい世代にしてみると、最近の紅白歌合戦は、音も衣装も、ただのばか騒ぎであろう。
 こうして紅白歌合戦は、国民番組であることを捨てて、大晦日の音楽番組になった。
 視聴率のためにはやむを得ないが、このおかげで権威主義も薄くなり、平気で出場を断る歌手も増えた。」
(永六輔著「昭和 僕の芸能私史」1999年)

 一時は80パーセントもの視聴率を誇っていた紅白は前年には50パーセント台になり、視聴率の低下が問題となっていました。そこで「紅白改革」と銘打ち、出演者の大幅刷新を断行しました。
 あれから25年、日本の音楽事情はそのころの専門家や関係者の予想をはるかに越えた地点にまで来ています。
 紅白はその流れに追いつこうと必死に「改革」をくりかえした結果、今やJポップスといわれるジャンルがほとんどを占めるまでになりました。
 その良しあしはまた別の機会に譲るとして、島津亜矢のファンであるわたしは、彼女が紅白に出る、出ないで心を波立たせてしまうことからはできるなら離れていたいと思ってきました。
 わたし自身が長い間、紅白を観なかった時期がありました。大晦日に紅白歌合戦を観ることが日本の家族の代表であるような文化が、あまりすきにはなれませんでした。
 それはまさしく永六輔さんが言ったように、国民番組としての紅白への違和感だったのだと思います。一方で、「大衆」という言葉で表されなくなったひとびとの価値観や趣向の多様化の中で、「僕らの音楽」をつくりだしてきた若い人たちの自由な表現が、わたしの心をとらえるようになったこともあります。
 しかしながら、NHKの「改革」のもとで、紅白歌合戦は果たして単なる大晦日の歌番組になれたのでしょうか。

 こんなことを考えてしまったのは、小林幸子さん(お名前を伏せてもすぐにわかってしまうので、実名で書かせていただきます。)の「騒動」から、彼女の紅白出場が危ぶまれるとのことや、彼女がNHK紅白歌合戦への出場を熱心にアピールしたという報道を見聴きしたからです。
 わたしは正直に言えば、毎年恒例となっていた小林幸子さんの衣装(装置)は楽しめないものでした。たしかにある種のエンターティンメントとして紅白の出玉のひとつになっていたことはまちがいのないことですが、わたしは小林幸子さん本人に対してではなく、紅白の持ついやらしさ、権威主義の裏返し、意地悪さを感じていました。
 小林幸子さんやそのファンの方々への無礼を承知で言いますが、小林幸子さんの歌手としての実力や魅力がかすんでしまうほどの衣装(装置)を自前で作らなければ、たかが紅白への出場がかなわないのかと思ってしまうのです。
 小林幸子さんをはじめて知ったのは、かつて五木寛之の同名小説が原作のテレビドラマ「艶歌」にスター歌手として出演されていた時でした。あの時の凛々しさを思い出すと、紅白でのサービス過剰な衣装がわたしには痛々しく感じていたのでした。
 それはそれとして、今回の騒動の影響からNHKが彼女の紅白出場を見合わせるのではないかという報道と、小林幸子さんの「紅白に出たい」という発言は、今でも紅白歌合戦が単なる歌番組ではなく、「紅白出場」がいまだにステイタスになり、その歌手の人気や、それに伴う出演料や仕事量などのマネージメントに影響を与えることをあらためて教えてくれました。そして、1987年から出演機会がどんどんなくなっていった演歌歌手ほど、その影響が大きいことも…。

 そのことは島津亜矢にとっても例外ではないでしょうし、ファンの方々にとっても悲願なのだと思います。しかしながら、小林幸子さんの欠場で島津亜矢の出場がささやかれたりすることには、わたしは少し悲しくなるのです。
 わたしも島津亜矢の紅白出場を願ってやみませんが、同時にわたしは紅白の製作関係者が音楽番組のエキスパートとして、島津亜矢の音楽性を冷静に、かつ官能的に観てほしいと思うのです。音楽プロデューサーは放送や作品をつくるプロとして、時代の空気、そこから生まれる音楽の方向性を見ているはずです。
 ましてや紅白のプロデューサーなら、かつての80パーセントの視聴率が望めない理由も、それでも40パーセントを越える視聴率を叩きだす国民的番組としていまも愛されている番組であることを、よくご存じのはずです。
 そんなあなたにこそ、あふれる音楽的才能と志の高さから生まれる島津亜矢の歌に、これからの時代の声を聞きとっていただきたいと切に願っています。昨年、レデイ・ガガを出演させたプロデューサーなら、島津亜矢がレデイ・ガガに対置できる音楽的パフォーマンスを持った数少ない日本の歌手のひとりであることを、よく御存じなのではないでしょうか。島津亜矢が「演歌」というジャンルにいるために、そのことが多くのひとびとに知られていないのなら、国民的番組としての力をもっている紅白で、それを証明していただきたいと願っています。
 もっとも、どんないきさつであっても島津亜矢が紅白に出場したなら、彼女の歌そのものがそのこと証明してくれるはずです。
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