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2012.06.23 Sat 歌手からディーバへ。2000年の島津亜矢

 楽しみにしていた島津亜矢の柏原コンサートが台風で中止になり、19日は休みを取っていましたので一日ぼおっとテレビを見つづけていました。このブログで島津亜矢の記事を書こうと思ったのですが、テンションが上がらないまま一日が過ぎてしまいました。
 20日は去年行った奈良県橿原市のコンサートがありましたが、つづけて休みをとることもできず、また今回は順延ではなくチケットの払い戻しと言うことなので、秋のリサイタルまで島津亜矢のライブはお預けとなりました。
 もっとも昨年もたしか6月にあった橿原市のコンサートの後、11月の予定だった梅田芸術劇場のリサイタルが年末に延びましたから、今年の春夏はこんなものかと気をとりなおしています。それに何と言っても今年は名古屋の座長公演を追っかけたサプライズがありましたのでわたしとしては満足しています。

 前回の続きで、2000年前後の島津亜矢について書こうとおもいます。島津亜矢のファンの方の掲示板サイトでよくお名前を聞くLUXMANさんのユーチューブ投稿映像で、2000年前後の島津亜矢を観ることができます。
前回の「命かれても」以外に、「川」、「霧の摩周湖」、「夕焼け雲」、「黒百合の花」などなど、ファン歴の短いわたしにはとてもありがたい映像ばかりで感謝しています。
 これらの歌のどれ一つを聴いても、ほんとうにびっくりしてしまうのです。20代ですでにただ上手いというだけではない歌唱力で、歌の前から始まっていた物語と歌が終わった後もつづく物語まで、たった3分間の歌で語ってしまう才能に圧倒されてしまいます。そして、その才能におぼれず、歌を構成するひとつひとつの音を愛おしくすくい上げるように正確に歌う律儀すぎるほどのいっしょうけんめいさに、心をうたれます。
 2000年前後と言えばわたしは豊能障害者労働センターの専従スタッフとして働いていた頃で、音楽はテレビで「Mステーション」を観るだけで、かろうじて豊能障害者労働センターのイベントに出演してくれた桑名正博や小島良喜のライブに行くぐらいでした。
 この頃は「演歌」というジャンルにはまったく興味が持てず、島津亜矢の存在をまったく知りませんでした。ですから今、これらの映像を観て感動するとともに、もっと早くに知っていたらと残念でなりません。
 歌の上手さ、声の美しさと豊かな声量、歌手としてもうこれ以上望めないところまで上り詰めた島津亜矢…。そして、少女から成熟した大人の女性に変わっていく30才前後の彼女はとても美しく、ほのかな色気が漂うその表情には、デビューしてから15年、まっしぐらに自らの才能を開花させてきたある種の達成感すら感じ取れるのです。
 わたしは歌手としての島津亜矢はこの頃に完成したのではないかと思います。

 もしそうであるなら、そこから現在に至る12年という年月は、彼女にとってとても大変な時間だったのではないかと思うのです。
 様々なジャンルで、天才と言われたひとたちがそのかがやきをなくしてしまった例はたくさんありますし、自らの命を絶ってしまった天才も数えきれません。2000年の島津亜矢の圧倒的なパフォーマンスを観て、「あの時が頂点だった」と思ったとしても不思議ではないと思います。
 しかしながら島津亜矢のすごいところは、決してあの時を頂点としないあふれつづける音楽の泉を持ち、さらなる高みへと自らを引き上げようとする強い精神力で、実力派演歌歌手で終わらせないあくなき好奇心を持ちつづけたことにあるのではないでしょうか。
 大衆芸能の大海の小さな波でしかないかもしれない「演歌」の海を泳ぎながら、一方で世界にも通じる音楽の大海を一気に走り抜けようとする音楽的冒険を恐れない彼女は、あふれる才能に溺れず、その才能をセルフマネージすることで歌手の領域から「ディーバ」(歌姫)の領域へと入って行った、その足跡がこの12年であったと思います。それはまさに、星野哲郎と北島三郎がその才能に託した「大器晩成」の歌のように、いまもまだその到達点が見えない進化をしつづけているのでしょう。
 たしかに、島津亜矢はもし演歌全盛期であったなら、国民的歌手になっていたにちがいありません。その意味ではたしかにファンの方々が言われるように「生まれてくるのが遅かった」のかもしれません。しかしながら、わたしは思うのです。むしろ、生まれて来るのが早すぎたのかも知れないと。
 今のような音楽状況は、どこかでバブルの夢の名残のように思えてなりません。わたしは演歌というジャンルはそんなに古いものではなく、Jポップスというジャンルもそれほどたしかなものとは思えないのです。
 東日本大震災を経験したわたしたちは、いままでの生活や経済のあり方を見直し、新しい生き方を探し始めようとしています。新しい時代、新しい暮しの中で、わたしたちの心は、新しい音楽を必要としています。
 島津亜矢は今までの音楽状況ではたしかにヒット曲に恵まれなかったかも知れませんが、その分、年に100本以上のライブで日本列島のすみずみまでその天使の声を届けることで、新しいもう一つの音楽市場を生み出してきました。わたしはその音楽市場から新しい音楽が誕生すると確信しています。
 その意味で、生まれるのが早すぎたこの大衆芸能の申し子に、今まさに時代が追いつこうとしているのだと思うのです。
 そんなことを思いながら2000年の島津亜矢を観ていると、とてもかわいくてたまりません。くやしいけれど、やっぱりデビューの頃からファンでいたらよかったなと、ファン歴の長い人に嫉妬してしまいます。

 明日は、豊能障害者労働センターのイベント「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」の当日です。おかげさまで満席となり、少し混乱するのではないかと心配です。
 安全に気を配り、ご来場のお客さんに喜んでもらえるような一日にするため、一生懸命運営したいと思っています。


この歌声をぜひ聴いてみてください。

川・島津亜矢

黒百合の花・島津亜矢

夕焼け雲・島津亜矢
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     楽しみにしていた島津亜矢の柏原コンサートが台風で中止になり、19日は休みを取っていましたので一日ぼおっとテレビを見つづけていました。このブログで島津亜矢の記事を書こう... まとめwoネタ速neo - 2012.06.25 11:06