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2012.05.06 Sun 島津亜矢と美空ひばり

 昨日書いたことの続きで申し訳ないのですが、もう一度なぜ島津亜矢なのかを、わたしなりに考えたいと思います。
 
 まずは美空ひばり、やはりこのひとをさけては通れないと思います。
 2003年に妻の母親と同居することになり、おかあさんが美空ひばりの「川の流れのように」や「愛燦々」が好きなことや、NHKのBSで毎年美空ひばりの特集番組を放送していることから、美空ひばりの歌をていねいに聴くことになりました。
 子どもの頃はあたりまえのように三橋美智也、春日八郎、美空ひばりの歌がラジオから流れていました。小学一年生の一学期をまるまる登校拒否していたわたしは、歌謡曲の歌詞集で言葉をおぼえました。ですから美空ひばりをはじめとする歌謡曲と浪曲はわたしの国語の教科書でもありました。その中でもとくに印象深い歌は「港町十三番地」でした。
 中学生になると坂本九の「上を向いて歩こう」を口ずさみ、「恋の片道切符」、「ヴァケーション」などの和製ポップスへと移りながら、畠山みどりだけは大好きでした。
 いまふりかえると、わたしは子ども心に暗い路地裏に並ぶ長屋で、母と兄とわたしが寄り添うように暮らす毎日から逃げ出したいという悲しい希望と切ない絶望を、鏡を見るように歌謡曲に映し出していたように思います。時代が不安定なグライダーのように曇った空を低空飛行していたように、都会のきらめきと、やぶれた靴下と足の間に黒い土をはさみ、不潔で貧乏な自分のくらしとの間で、歌もまたさまよっていたのでした。
 それから後のことは先日書いたとおりですが、わたしはジャズやロックと出会うとともに、歌謡曲と遠ざかって行きました。歌謡曲の持っている日本的な粘着性が嫌いで、その典型と思っていたのが美空ひばりでした。その生い立ちや稀なる才能、そして歌うことで時代をつくることを運命づけられた女王・美空ひばりの存在はすごいものだとは思いましたが、彼女の歌をていねいに聴くこともしないまま、年月が過ぎて行きました。
 はじめて美空ひばりをじっくりと聴くと、そのほんとうの素晴らしさがわたしにもわかってきました。そして、歌の上手さはもちろんですが、七色の声といわれた美空ひばりの稀有の声に圧倒されます。
 美空ひばりは演歌からジャズ、ポップスといろんな歌を歌いましたが、たとえば「りんご追分」や「津軽のふるさと」はビリー・ホリデイの歌うブルーズと同じ地平にあるように、彼女のジャズには村上春樹が指摘した「隠れこぶし」があり、演歌を歌う美空ひばりが存在していると思います。
 それはなにも、演歌歌手が歌うカバー曲にはどうしても「演歌」が残るというレベルではなく、反対に、美空ひばりが日本人であること、戦後のがれきが累々としていた横浜の下町で生まれ、スターになってどんな大きな御殿に住むことになっても、その歌は時代の申し子として大衆とともにあったことなど、美空ひばりが美空ひばりになるために用意されたすべては、何を歌ってもなくならないという証明だと思います。村上春樹がややネガティブに美空ひばりを評価した「隠れこぶし」こそ美空ひばりが天才でありえたもので、それは坂田明がモンゴルの遊牧民に指摘された「日本的なもの」の正体だと思うのです。
 ここまで書いて来ると、美空ひばりの歌心を継ぎ、さらに自分の「隠れこぶし」を育て、そこから世界の音楽とつながる道を歩いている歌手が、島津亜矢であることはまちがいのないことだと思います。
 たしかに、演歌でもポップスでもジャズでもロックでも、世の中にはプロ、アマに限らず歌の上手な人はたくさんおられることでしょう。しかしながら、演歌を歌えば演歌を越え、ポップスを歌えばポップスを越え、しかもどんな歌でもカバー曲のレベルをはるかに越え、島津亜矢が島津亜矢であるためのすべての音楽性を以って、その歌の誕生する地点へとわたしたちをいざなう、そんな歌手は島津亜矢だけだとわたしは思います。
 永六輔が最近の本で書いている、明治以後の音楽教育で歌を歌わされたり、歌ってはいけないと教育されるようになる前の、ピアノの鍵盤にはない音楽、前近代の長い年月に熟成されてきたひとびとによるひとびとの歌、その土地でしか通じない言葉で歌いつがれてきた歌、それらの無数の歌が今でも日本各地の自然と季節につつまれた空気の中一杯詰まっていて、そのチリのような歌の破片が、わたしたちの体と心と血の中にあるのではないでしょうか。
 そして、世界のさまざまな音楽、ジャズやロック、ブルーズ、シャンソン、カンツォーネなど、さらにわたしがまったく知らない国の知らない音楽もすべてつながっていて、それらの無数の歌の破片が出会い、そこから新しい歌が生まれるのだと思います。
 ジャズがヨーロッパとアフリカの悲しい歴史を背景にアメリカ大陸で異民族、異文化、異言語がぶつかり合い、せめぎあい、とけあうことでジャズやブルーズが生まれたように、日本の音楽や歌も独自のルーツを持ちながらも朝鮮、中国、台湾、ベトナムなどアジアのさまざまな風土と過酷な歴史を背負った文化や言葉との混沌とした融合を繰り返してきたのだと思うのです。
 自分のアイデンティティを失わず、それでいて世界の音楽との出会いに臆病にならず、果敢に歌おうとする島津亜矢は、いまもっとも刺激的な歌手だと思います。
 彼女の若い時の歌を聴くとまだ熟していない果実のようで、自分の大きな声量や「演歌らしい」歌唱法を信じ、時として荒削りのところがありますが、それでも、もしかすると今の島津亜矢にはないかも知れない大胆さと不敵さにあふれています。どんな歌でも歌い切る力を持っている歌手だからこそ、そして怖いもの知らずだった20代からいまの島津亜矢をつくり上げてきた彼女だからこそ、より大胆に新しい歌に挑戦してほしいと思います。島津亜矢が20代の頃の単に声量の大きさや歌唱力で評価される領域からははるかに遠くまで来ていることは、最近のコンサートやリサイタルでの彼女のパフォーマンスが証明していると思います。
 願わくば、体調管理にがんばっていただきたい。たしかに本人の希望として全国各地に出向き、ライブをすることでわたしもふくめてお客さんは大喜びでしょうが、ライブの回数が多く、また一日に2回のステージでの熱唱で、のどを傷めないか心配です。
 また、島津亜矢チーム全体のマネージメントから言ってヒット曲がもっとあればいいなと思いますし、そのためには確かに紅白に出たりすることもあってもいいのかなと思います。かつて藤山一郎が「たからもの」と言ったように、NHKの音楽番組のプロデューサーやディレクター、紅白の番組の関係者たちがさまざまな思惑にとらわれずに島津亜矢という大器を理解し、出演依頼をされることを熱望してやみません。
 島津亜矢のいままでの曲をゆっくり聴くと、たとえば「度胸船」、「北海峡」、「海鳴りの詩」、「海で一生終わりたかった」、「道南夫婦船」、「壽舟」、「大器晩成」、「裏みちの花」、「演歌桜」、「想い出遊び」、「恋日和」、「感謝状」などなど、演歌の市場が大きかった時代ならどの曲もヒットしておかしくない名曲がいっぱいあります。これまでの活躍だけでももしかすると後世になって、演歌がひとびとの心をとらえることが難しい不幸な時代に一生懸命歌いつづけた歌手として、島津亜矢が評価される時代がやって来るかも知れませんが、幸運にも大器晩成となるには彼女はまだ若く、これからが楽しみです。そして、わたしもまたこれから広がっていく島津亜矢の未来への足跡をたどっていけることをとても幸せに思います。
 美空ひばりの人生はとてもつらいことがいっぱいだったと思いますが、それでも時代とその時代に生きた大衆とは幸運な出会いだったと思います。島津亜矢はたしかに、美空ひばりのように「子どものくせに大人の歌を歌う」とバッシングされることはなかったかも知れませんが、演歌が時代に受け入れられにくくなった時代の天才として、とても困難な道を歩かざるを得ませんでした。
 しかしながら、演歌もまたそのルーツを「日本的なもの」の本流にあるのなら、いつか演歌が復権する時代がやって来る予感がします。寺山修司が「人生を語るには方言しか残っていない」といったように、人生を歌うには演歌しか残っていないのかもしれません。
 その演歌は、今までの演歌とはちがったものだと思います。島津亜矢は来るべき新しい演歌歌手としての準備はすでにできているのですから、歌のつくり手とプロデュースを担当される方々になんとか奮起していただき、島津亜矢にふさわしい歌をつくっていただきたいと願っています。

 1997年と2000年のリサイタルのDVDを手に入れまして、20代の島津亜矢の可愛らしさに少しメロメロになっています。もうひとつ、最近CSのチャンネル銀河で再放送している「BSにほんのうた」で、森進一の 「命かれても」を熱唱しているのを動画で見つけ、とても感激しています。この歌は、「年上のひと」、「花と蝶」とともに、わたしの青春時代の愛唱歌でした。それらのこと諸々について、また書いていきたいと思っています。
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