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2012.03.12 Mon 島津亜矢と「いきものがかり」とKさんと

 先週の金曜日の夜、TBSの「A-Studio」に「いきものがかり」が出演し、ひさしぶりに歌をじっくりと聴きました。
 「いきものがかり」は2006年のメジャーデビューの頃だったのかもう少し後だったのか、テレビで「SAKURA」を聴いて好きになりました。
 その後、「YELL」がヒットした2009年はわたしにとって忘れることができない年でした。その年の一月、ベトナムに長い間仕事に行っていてしばらく会わなかった親友のKさんが肺がんで入院したと聞きました。  わたしと妻の共通の友人でもあって、わたしたちは一週間に一度は見舞いに行っていたのですが、ある日、「いきものがかり」のCDでも持って来ようかと聴くと、連れあいさんが「このひと、いま流行っている歌は全然しらないです」と言われました。たしかに、ベトナムでの仕事が長いこともあって衛星中継でいつも観ていたのはわたしが今よく観ているNHKの歌番組だったようでした。その時に彼が持ってきてくれと頼んだのが島津亜矢で、それがきっかけでわたしが島津亜矢のファンになったことは前に書いたとおりです。
 そんな彼が入院していた病院からの紹介で、全国に2つしかないという放射線の治療のため姫路の山奥の病院に入院していた時のことでした。わたしと妻が見舞いに行くと、彼がコーヒーを飲みながらぽつりと言うのでした。 「死ぬのが悲しいのは、愛するひとたち、いとおしいひとたちと別れなければならないからなんや」。
 何を言ってるねん、元気になったら若い時につれて行ってくれた立山に登ろうとか、島津亜矢のコンサートに一緒に行こうと言うと、彼はさびしそうに笑いました。わたしたち夫婦は絶対に元気になると祈りながら信じていたのですが、彼はすでに自分の死が近いことを予感していて、それを受け入れることがまだできないでいたのだろうと思います。
 時は春、桜が満開で、帰りの電車の窓からも桜の花のほのかなピンクが空を染めていました。
 その年の秋、「いきものがかり」はNHK全国学校音楽コンクールの中学部課題曲として「YELL」を作り、歌いました。

さよならは別れの言葉じゃなくて
それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
ともに過した日々を胸に抱いて
飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の空へ

 もちろん、この歌は中学を卒業する若い人たちに贈るすばらしい歌で、森山直太朗の「さくら」とともにわたしの大好きな歌の一つですが、一週間に一度Kさんの入院している病院に通っていたわたしには、いささか悲しすぎる歌でもありました。
 ともあれ、「いきものがかり」と島津亜矢はわたしにとってはKさんをメッセンジャーとして、より深い縁を感じるようになったのです。
 最近のJポップはますます携帯電話化していて、刹那的な音のくりかえしで似たような歌を垂れ流しているように思います。音楽スタジオの中でこねくり回すように作られているとしか思えないそれらの歌は、大地も路地も風景も人間の顔も持たず、ほんとうに歌を必要とする心に届くはずもない、というよりそんなことを望みも望まれもしない音楽産業が操る密室にむなしく鳴り響いているだけのように思います。
 いつまで、こんなことがくりかえされるのかと思うと、悲しくなってしまいます。
 そんな不毛と思える状況の中にあって、「いきものがかり」は歌が本来生まれるはずの「心」という遙かな荒野に立ち、青春のほの暗さと繊細な心のうつろいを歌っていて、わたしは好きです。このグループがいま、オリコンの「好きなアーティストランキング」で「嵐」に次いで第2位にランクされるようになったと聞き、とてもうれしく思います。
 それに比べるとジャンルのちがいもありますが、島津亜矢は「大器晩成」の歌のように、もう少しゆっくりとした足跡を残していくのかも知れませんが、わたしは彼女もまたスタジオではなく、遙かな荒野を心に持った数少ない歌手だと思います。
 この社会の大きな転換期を迎えた今、「いきものがかり」と島津亜矢はジャンルは違いますが、音楽を不毛な密室から解放し、わたしたちが生きるこの街この村、この森この海から生まれる歌を歌い継ぐ歌手として、ますます受け入れられるようになるのではないかと思っています。「いきものがかり」の水野良樹さんも、島津亜矢の歌をつくってほしいソングライターのひとりです。

 さて、今日は「BSにほんのうた」に島津亜矢が出演し、さくらまやと「りんご追分」を歌い、もう一曲は「流れて津軽」を歌いました。今日は午前中、久しぶりに2004年のリサイタルのDVDを観ていたのですが、ほんとうにこのひとはまだこれからどれだけ歌がうまくなるのかと、空恐ろしくなります。前にも書きましたが、決して2004年の彼女がだめなわけではなく、それどころか8年前の島津亜矢の若さと美しさにあふれたステージではあるのですが、それよりもこの8年の間にちょうどワインが熟成するようにますます味わいの深い歌になっていることに驚いてしまうのです。
 そして、さくらまやを見守る彼女の表情から、かつての自分の姿を思い出しているようにも思いました。
「流れて津軽」もそうですが、ますます磨きがかかる彼女の歌は完璧ですが、それでいて歌が小さくならず窮屈さもなく、とてもナイーブでしなやかに聴く者の心に届きます。
 彼女の歌を聴いていると、歌手の個性って何なんだろうと思います。およそ個性と間違われる「くせ」や無理な歌唱をどんどんそぎ落した果てに、そこから自然に生まれてくる個性にたどりついた島津亜矢のファンでいられる幸運に感謝したい気持ちです。

 2009年11月、Kさんは亡くなりました。彼の冷たい手を握ったわたしはその時、もっともっと一生懸命に生きることを約束しました。わたしにとってその約束を忘れないことと、島津亜矢のファンでいることは同じことなのです。
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平成の新聞少年 : URL 観た

Edit  2012.03.16 Fri 22:36

今日、BS日本の歌の再放送を見ました。島津亜矢さんの声量は相変

わらず凄いですね。また、さくらまやちゃんの声はデビュー直後とは声質

がだいぶ違っていましたね。

tunehiko : URL コメント、ありがとうございます。

2012.03.16 Fri 23:02

コメント、ありがとうございます。
さくらまやさんのファンの方ですか?
おそらく島津亜矢さんがそうだったように、こんなに若い時から歌い続けることは、とても大変なことだと思います。
わたしは島津亜矢さんのファンになってまだ日が浅く、昔からのファンの方のように彼女の足跡をたどることはできませんでしたが、「平成の新聞少年」さんはさくらまやさんと一緒に歩いてあげてください。

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