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2012.03.07 Wed 映画「蝶の舌」と思い出としての民主主義

キャデラックが通り過ぎた路地に
とり残された夕暮れの空よ
まるでもう日が暮れないかのように

遠近法的な青春の海岸線を
ヒットナンバーを鳴らして突っ走る
キャデラック
それはわたしの見たはじめての英語だった
それは時々やってきたわたしの父親だった

ドッジボールとせみとりと
高校野球と中古のラジオ
希望に満ちた記念写真と
はじめて持ったハーモニカ
それはわたしの見たはじめての民主主義だった

 ずいぶん前、「蝶の舌」というスペイン映画を見ました。1936年の冬の終わり、ガリシア地方の小さな村。喘息持ちで一年おくれで学校に入った少年モンチョを、優しく教室に入れるグレゴリオ先生。春になると子供たちを森に連れだし、自然の不思議をたくさん教えてくれるのでした。ティロノリンコという鳥が繁殖期になるとメスに蘭の花を贈ること、蝶には細くてゼンマイのように巻かれた舌があるということ。モンチョは先生に導かれて大自然の驚異にふれながら成長していきます。夏のはじめ、グレゴリオ先生は「自由に飛び立ちなさい」という言葉を残して引退します。夏休み、モンチョは先生と森へ出かけ、2人の絆はより強くなるのでした。
 そんな夏休みの終わり、フランコ将軍が軍部、教会、資本家を後ろ盾に軍事蜂起し、40年間のフランコ独裁へとつづくスペイン内戦がはじまります。教会の勢力の強いガリシア地方はまたたく間に軍部派に占拠され、リベラルな人たちが次々と検挙され、トラックの荷台に連行されるのでした。その中にグレゴリオ先生の姿もありました。村人たちは自分たちが生き残るため、仲間や友人たちに罵りの言葉を投げかけ、石を投げました。
 モンチョは走り出すトラックを追いかけ、叫びます。「ティロノリンコ!蝶の舌!!」。
 別れることの術もまだ知らない少年の悲しい瞳が映し出されたまま、映画は終りました。

 この映画を観て、子どもだった頃、わたしのひとみに映ったはずの大人たちの社会を検証してみたくなりました。わたしもまた時代のすべてを風景として子どもの現実を生きたはずだし、子供たちのひとみがモンチョのような悲しみにつつまれないために、大人のわたしがしなければいけないことがあるのではないかと思うのです。
 たとえば、1960年・・・・・・。
 1960年は安保闘争の年でした。岩波ジュニア新書「昭和時代年表」によると、2月に新安保条約国会上程、4月26日8万人の請願デモ、5月19日自民党単独強行採決、5月20日国会へ10万人、26日17万人のデモ隊が国会議事堂を包囲します。6月4日・15日労働組合の実力行使に600万人の労働者が参加、全国の鉄道はマヒします。6月15日国会突入、樺美智子さんの死、6月18日33万人が国会を包囲します。そして、6月19日午前零時、数万人が国会を包囲する中で新安保条約は自然承認、沖縄に立ち寄ったアイゼンハワー大統領が2万5000人に囲まれます。7月15日岸信介首相辞任、池田勇人首相の所得倍増計画、10月12日社会党委員長・浅沼稲次郎が刺殺されます。
 すべての大人たちが参加したわけではもちろんないし、わたし自身それから10年後、70年安保の激動の時も傍観者にしかなれませんでしたが、わたしが大人になっていく20年あまりの年月は、わたしにとっても社会にとっても特別な時代だったのだと思います。

 1947年、わたしは生まれました。わたしが育った風景は、鉄条網とガード下と原っぱと牛馬とメリケン粉と麦飯・・・。おもちゃもないわたしたち子どもは黒い土の上で走りまわり、相撲ごっこやドッジボールで遊びました。夕方、長屋の前に並ぶ七輪からいわしの煙が立ち込める時間になると急いで家に帰り、我が家がやっと手に入れた中古のラジオで聴いたドラマ「少年探偵団」の小林少年たちの活躍に心おどらせたものでした。
 1960年4月はじめ、わたしはまたたくまに燃えていく中学校の木造校舎を見ていました。
 それは入学式から一週間たった日曜日のことでした。地面を黒くしたまま何もなくなってしまった焼け跡に朝礼台だけがさびた光を遊ばしていました。
 不謹慎ですが、実はわたしはうきうきしていました。それは思いがけない事件の中にいる興奮のせいだけではありません。大人たちが用意したものはすべてなくなり、いまからわたしたち子どもが学校をつくるような幻想にひたれたからだと思います。2年の時に学校が合併し、コンクリート建てのまっさらな校舎に移りましたが、一年の時の放課後にプレハブ校舎をつつむ夕やけの赤さだけを今もはっきりと思い出します。
 わたしたちは貧乏でした。そして自由でした。界隈にお金持ちはほとんどいませんでした。生活の苦しさや個々の家族の事情が大人たちにあったでしょうが、そんな事情をわたしたちこどもが読み取れるはずもなく、貧乏であることが普通のことでした。1945年から1960年まで、めまぐるしく走りぬける時代の風景はいつも青い空につつまれ、わたしたちもまた貧乏とともにやってきた戦後民主主義の原っぱをかけめぐったのでした。
 今の街や学校はどうでしょう。映画「蝶の舌」を見て、焼け跡にできた一年だけのプレハブ校舎を思い出す時、言葉をのみこんでしまいます。

 1960年は、大人たちにとっても子供たちにとっても時代の風景が大きく変わる時だったのだと思います。この年の9月にはテレビのカラー放送が始まりました。街はまだかろうじて黒い土を残していましたが、わたしたちはもう、そんなに単純には貧乏であることも自由であることも許されなくなりつつあったのでした。それぞれの家の事情がわたしたち子どもをひきはなし、つながれない悲しみとつながることを切なく求めるひとみを持つ子どもになっていきました。
 1960年、わたしの見た時代の風景は、経済の時代へと大人たちが高度経済成長に突き進むのを予感するものであったと同時に、白黒の荒野をかけめぐった子どもたちの民主主義が街の路上にあふれ出た一瞬でもあったのでした。そしてそれは始まった途端に終わってしまったのだと、今では思います。

 そして今、わたしが生きた64年をふり返る時、思い出としての民主主義ではだめなのだと思います。もちろん、スペインのファシズムを映さなければならなかった少年モンチョのひとみと、今の子どもたちのひとみが同じだとは決して思いません。けれども、携帯メールのなにげない言葉に切なく心をちぢませる子どもたちに、二十世紀の子どもだったわたしたちが渡し忘れたものを届けるために、どんな言葉とどんな夢とどんな愛とどんな歌が必要なのでしょうか。

「自由に飛び立ちなさい!」
「ティロノリンコ!蝶の舌!!」。
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