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2012.02.22 Wed コジカナツルと島津亜矢

 「コジカナツル」の音楽に包まれたまま、自分がどこかに行方不明になったようで、ふらふらしていましたが、やっと現実の世界に戻ってきました。
 けれども前回書き切れなかったことがあったので、少し付け加えさせていただきます。
 ライブの報告をしているのに、彼らが演奏した曲目についてひとつも書いたことがないのは、とてもはずかしいのですが、ほとんど知らないのです。
 それで、今回は少し勉強しようと「コジカナツル」のCDを聴き直し、2つだけ名前を憶えました。一つはハービー・ハンコックの「カンタロープアイランド」、もうひとつはボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」でした。オリジナル曲も演奏していたのですが、まだよくわかりません。
というより、あまり音楽のことを知らないわたしには、テーマの部分だけはほぼ同じものの、いつもまったくちがっているようにしか聴こえなくて、彼らの陽気でハッピーな音楽のるつぼの中でただただ「すごい」としか思いようがないのです。
 最初は3人がそれぞれの演奏をたしかめながら少しずつ絡み合い、重なり合いながら、どこかでギアがぐっと入るように演奏がひとつになる瞬間、日常に明け暮れるわたしから解き放たれたもうひとりのわたしが、音楽のるつぼに立っているのでした。
 その中でも、「カンタロープアイランド」は小島良喜のアップテンポのピアノが走り、鶴谷智生のドラムスがセクシーボイスで歌いだす、金澤英明のべースがその剛速球を受けとめるといった感じで、ハービー・ハンコックの名曲を猛スピードで突っ走りながら、そのメロディのしなやかな美しさが心に響きます。
 「マイ・バック・ページ」は最近、同名の映画を見て改めてボブ・ディランを聴きなおしたところですが、「コジカナツル」の演奏ではいつも後方で音楽をつくっている金澤英明のベースソロが切なく優しいメロディを奏でると、ずいぶんたってから小島良喜のピアノが溶け合うようにからみはじめ、鶴谷智生もまたゆっくりと伴走する。 この曲の場合は他の曲とちがい、テーマからあまりそれないのですが、その代わりに前に行ったり後ろに行ったり並んだりしながらこの曲の生まれ故郷に帰るような、なつかしい旋律とリズムに心がゆさぶられます。
 この2曲は「コジカナツル・3」というCDにも収録されています。

 さて、冒頭に書きましたようにライブの興奮がなかなか醒めないまま、わたしは5年ぶりに大腸の内視鏡検査のために仕事をしばらく休み、検査前の食事制限をへて昨日、21日に検査に行きました。結果は少し大きなポリープを2個切除し、後一週間はお酒を飲めず、食事制限も続くというありさまです。年齢とともに、自分の心や意志ではどうにもならない老いという現実が確実にやって来て、いろいろな所にガタが来てしまいました。
見果てぬ夢の行き先が遠くなっていくように思う今日この頃ですが、それでも若いひとたちがAKBのファンであるみたいに島津亜矢のファンで、神戸のコンサートの時、「ぼくはミーハーではないよ」と言いながら、会場を握手して回る島津亜矢が私のすぐ横をスルーして行ってしまった時に残念に思ったりしている自分をはずかしいと思いながらとても可愛らしいとも思います。
 そして、その一方で「コジカナツル」のライブに興奮できる自分もいて、「島津亜矢からコジカナツルまで、支離滅裂なレンジやね」と言われますが、「ジャズと自由は手をつないでやってくる」(セロニアス・モンク)ように、島津亜矢とコジカナツルもわたしの見果てぬ夢の住人で、わたしの妄想の中では島津亜矢がかつての美空ひばりのようにジャズの名曲をコジカナツルと共演しているのでした。

 そんな無謀な夢は横において、また地道な日常に戻らなければなりません。
 2月26日(日)、今度の日曜日ですがBSプレミアムで7時半放送の「昭和の歌人たち 星野哲郎」に島津亜矢が出演し、星野哲郎作詞・船村徹作曲「海鳴りの歌」と「感謝状~母へのメッセージ~」を歌います。「海鳴りの歌」は島津亜矢10周年の記念曲で、彼女にとって大きな転機となったもので、今の島津亜矢をつくった曲の一つといっていいと思います。そして寺山修司が嫉妬した巷の詩人・星野哲郎の世界を、ゆかりの歌手と友人でもあった船村徹が語ってくれます。
 お時間があれば、ぜひごらんになってください。

コジカナツル3

ラグインターナショナル製作・ラグマニアレーベル「コジカナツル・3」 試聴できます。

コジカナツル」のCDは豊能障害者労働センターでも販売しています。
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