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2011.11.21 Mon モンゴル800と島津亜矢はミシンとコーモリ傘との出会い

 先日、NHKのBSで沖縄出身のロックバンド・MONGOL800(モンパチ)が、沖縄で開催した「MONGOL800 ga FESTIVAL What a Wonderful World!! 11’」の模様が放送されました。
 沖縄の人たちに音楽の祭典も楽しさを感じてもらいたい、日本全国の人たちに沖縄を知ってもらいたいという気持ちから2009年から始まったこのフェスティバルに総勢26組のアーティストが出演し、2日間で1万7000人を動員しました。
 モンパチの呼びかけに賛同した小田和正、スターダスト・レビュー、TERU(GRAY)、三人の侍(竹中尚人・奥田民生・山崎まさよし)、オレンジレンジ、SPECIAL OTHERS、Dragon Ash、ストレイテナー、HY、サンボマスターなどの豪華な出演者に加えて、沖縄の伝統音楽のアーティストも出演していました。個人的には元ブルーハーツの甲本ヒロトと真島昌利に小林勝、桐田勝治が加わったザ・クロマニヨンズと細美武士(全然知らなかったです)、それにスターダスト・レビューの名曲「木蓮の涙」がとてもよかったです。
けれども、なんといっても一時は猛烈な雨の中で演奏したモンパチはわたしにとって特別のものでした。

いつしか二人互いに響く 時に激しく 時に切なく
響くは遠く 遥か彼方へ やさしい歌は世界を変える
ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの
ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌
ほら ほら ほら 響け恋の歌
              モンゴル800「小さな恋のうた」

 以前のブログに書きましたが、わたしがモンパチを知ったのは2007年、やはりNHKのドキュメント番組でした。この年、わたしはうつ病になっていました。
 わたしは2003年に豊能障害者労働センターをやめて、翌年から大阪市内の関連団体で3年働きました。障害者の手にお金を乗せたいと思い、事業をつくりだしてはみたものの思うようにはいかず、障害者が自立するには生活保護に頼らざるをえませんでした。生活保護をとると給料をつくりだしても生活保護から引かれるだけで、働く意味がわからなくなっていきました。
 そして、わたしの給料をつくりだすために障害者がボランティアをしているだけではないかと思い悩むようになりました。一緒に働いていた障害者はとても好意的で、他の所より障害者の「給料」は多いほうだし、「福祉」という枠組みからすればわたしが給料を得るのは当然のことで、そんなことで悩む必要はないと言ってくれました。けれども、わたしは自分を「福祉職員」だと思ったことはありませんでしたし、そういう資格も持っていませんでした。
 少しは事業経営が上手とうぬぼれていた自分がはずかしく、無力感でいっぱいになりました。
 結局、2007年の春にわたしはその団体をやめました。次の就職先も迷惑をかけただけで一日でやめ、とうとう心がこわれてしまいました。
 わたしはそれまで、Jポップから演歌まで、どんな音楽でもひととおり聴いていましたが、その時はどんな音楽もやかましいだけで心がうけつけませんでした。あんなに好きだったテレビの歌番組も騒々しいだけでした。
 そんなときに、たまたまテレビをつけると、モンゴル800の歌がわたしの心に飛び込んできました。自分でも不思議でした。それまでまったく聴いたこともないこの若いロックバンドの歌のひとつひとつが、絶望的なまでに荒れ果てたわたしの心の荒野を耕し、水をそそぎ、人間らしい気持ちを取り戻してくれたのでした。気がつくと、涙があふれていました。
 わたしは実際のところ、震災をきっかけにたびたび持ちだされる「音楽の力」、「歌の力」という言葉に素直になれないところもありますが、すくなくともあの時、わたしが必要とする音楽とめぐりあえたことはまちがいのないことでした。
 わたしのうつ病はほんとうの抗うつ剤を飲むほどではありませんでしたが、それでもまるで砂漠の真ん中にたったひとり取り残されたようで方向感覚も時間感覚もなく、他人と顔をあわせるのも怖く、一年ほど悶々とする毎日を過ごしました。その間、妻や友だちや豊能障害者労働センターが助けてくれたおかげで、いつのまにか暗いトンネルから抜け出すことができました。
 そして、モンゴル800の音楽がわたしの心を後押ししてくれたこともたしかなことで、あのときもし彼らの音楽と出会っていなかったらと思うと、今でも心が寒くなります。
 それ以来、彼らのことがとても気になっていました。

 今回の放送を見て、あのときなぜモンパチの歌がわたしの心を癒してくれたのか、わかったような気がします。もちろん、ひとがひとつの歌と出会うのは偶然であることもたしかで、わたしの場合もそうかも知れません。たまたまモンパチだっただけで、わたしは誰かの歌で救われたいと思っていて、それは誰でもよかったのかも知れません。
 しかしながら、そんなに上手とは言えないかも知れない彼らの音楽の背後の大きな海、彼らのひとみに映っている沖縄の空、そこから生まれる歌は過酷な現実も、その現実の中で恋をする心も、見果てぬ夢も叶うと信じる希望も、それらすべてをつつみこみ、わたしたちを大地と海と空の彼方へと連れて行ってくれるのでした。
 最近は才能にあふれた若いアーティストが次々と音楽をつくり、演奏し、歌を歌っていますが、誤解を承知で言えばわたしにはその音楽のほとんどが「音楽」という牢獄の中でつくられているような気がしています。そこにはほんとうの音楽的冒険はなく、こわれかかった弱い心には硬く、辛かったのだろうと思うのです。
 モンパチの歌はとてもやわらかく、本来ロックが持っているはずの無垢な音楽が、傷ついたわたしの心にしみこんでいったのだと思います。
 「遥か彼方へ やさしい歌は世界を変える」


 そして、モンパチのファンにも、島津亜矢のファンにも怒られてしまうことはわかっているのですが、わたしにとってモンパチと島津亜矢はつながっていて、島津亜矢の歌の背後にも海と空と大地があり、どの歌を聴いてもかけがえのない人生の風景がくっきりとみえるのです。
 「ふつうのロック」ではない音楽と「ふつうの演歌」ではない音楽が出会うのは、シュールレアリスムのいうミシンとコーモリ傘との出会いよりもまだ稀有のことだと思いますが、わたしがモンパチの歌で救われてから2年後、わたしは友人の死というとてもおおきな喪失感の中で島津亜矢と出会いました。わたしにとってこの一連の事件はつながっていて、モンパチの歌で音楽を聴く心を開いていたからこそ島津亜矢とも出会えたのでした。
 モンパチの歌をプロローグに唐十郎のテント芝居の少年が見果てぬ夢をかけめぐった芝居の最後、地中の闇から解き放たれ、彼方が現実でもある夜の闇へと少年が遠ざかる時、巷で流れている歌こそ島津亜矢の歌、「海鳴りの歌」だと、わたしの妄想はひろがるのでした。役者は人の一生分の時間をたった2時間で演じてしまうと言いますが、島津亜矢はそれをたった3分間で演じて見せるのです。
 ともあれ、わたしの中ではモンパチと島津亜矢は奇妙にも出会っていることは間違いないのです。

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