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2011.10.24 Mon 唐十郎の想像力と村上春樹の「非現実的な夢想」

2011年10月6日 朝日新聞朝刊

 唐十郎作「ベンガルの虎」では、竹山道雄の児童小説「ビルマの竪琴」のその後、死んだ兵友の遺骨を収集するため竪琴を爪弾きながらビルマのジャングルを歩いているはずの水嶋上等兵が実はすでに帰国し、商社マンとなっていて、戦士の屍で埋めつくされた「白骨街道」から白骨を印材として日本に輸出していることになっている。
 この芝居が上演された1973年は高度成長期で、日本の商社マンがそれこそなんでも商売にしたといわれる時代で、内外の政治家や官僚への贈賄もふくむ働きかけや、お金にものを言わせる強引な行動が刑事事件もふくめて大きな社会問題ともなった時代でした。
 唐十郎の芝居はそんな社会情勢を背景としていて、白骨をハンコにするという奇想天外なフィクションもリアリティを持っていましたし、それから30年たった今あらためてこの芝居を観ても時代感覚のずれは感じられませんでした。むしろ戦争体験の記憶が風化し、戦争の歴史的検証がなされないまま66年もたってしまった今、この芝居の持つリアリティは増していくばかりと思いました。唐十郎の芝居が「状況劇場」という名前通りに、その時の時代背景を切り取って見せながら、時代を超えた演劇空間を持っていることを、新宿梁山泊は証明してくれています。

 ところが、10月6日朝日新聞朝刊の1面に、フィリピンで第二次世界大戦中に戦没した旧日本兵の遺骨収集で、フィリピン人や女性・子どもとみられる者が多数混入されていたと報じています。
 朝日新聞は2面に大きくこの問題を取り上げています。
 「畑を耕していたら、通りがかりの呪術師が、ここに日本人が埋まっている、と言った。掘ってみると骨のかけらが出てきた」、「このあたりで日本兵がたくさん死んだ、と土地の古老に聞いた。」など、根拠の乏しい証言をもとに発掘された骨が多数あるといいます。
 第2次世界大戦で海外で戦没した日本人の遺骨帰還事業は、国の事業として1952年からはじまりました。しかし戦没者240万人のうち、これまでに日本に戻ったのは約162万柱。とりわけフィリピンはもっとも遅れているそうです。
 こうした事情から厚労省がはじめたのが民間委託で、フィリピンでの遺骨収集を専門とするNPOに委託したところ、飛躍的に作業が進んだと言います。ところがこのNPOは日当を払って収集するため、現地では人骨盗難が問題となりました。フィリピン中部では2009年頃から洞窟墓地にあった先祖の遺骨一千体以上が盗まれたといいます。
 この記事を読むと、まるで唐十郎の脚本を読んでいるようです。芝居を観た時は、遺骨を待ちつづけている遺族や遺骨収集にたずさわる人たちが怒りかねないと一瞬思いましたが、この記事を読み、30年以上も前にこの現実をフィクションにしていた唐十郎の想像力のすごさをあらためて知らされました。
 この問題の根源には旧日本兵の遺骨のみを収集する困難さもかくれていることも事実なのではないでしょうか。
 「お国のために」戦地に駆り出された240万人の日本人と、その遺族の無念さは計りがたく、第三者が軽はずみに言ってはいけないことです。しかしながら、この悲惨な戦争を引き起こした国家への責任を問い、犠牲になったアジアのひとびとの無念さに思いを馳せ、さらには「戦争を早く終わらせ、平和のために」原爆を落としたアメリカの戦争責任も問わざるをえません。
 そして、「原子力の平和利用ができる」と国と電力会社がつくりあげた原子力の安全神話を信じてきたわたしたち、そして今その神話が崩れてもなお、原発を止めることができないわたしたち自身の責任もまた、問わなければならないと思うのです。

 以下は村上春樹が2011年6月9日(現地時間)、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式でしたスピーチ「非現実的な夢想家として」の抄文です。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。
 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。
 何故そんなことになったのか? 戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?
 我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 理由は簡単です。「効率」です。
 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
 そうなるともうあと戻りはできません。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。
 国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 「大統領、私の両手は血にまみれています」
 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。
 「これで拭きたまえ」
 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
         以上 村上春樹スピーチ「非現実的な夢想家として」からの抄文引用

 唐十郎の「ベンガルの虎」から旧日本兵の遺骨収集、さらには原発問題へと話が飛躍しましたが、これらのことは、世情のヒステリックな潮流に流されない自立性と常識にとらわれない想像力を持つ大切さを教えてくれていると思います。
 村上春樹が言ったように、「非現実的な夢想家」であることを恐れてはいけないのと同時に、唐十郎の芝居のように、この社会のうそを暴きこの社会が巧妙に隠している真実をさがすために、足元のアスファルトをめくり、暗い冥府に踏み込む勇気を持ちたいと思います。

2011年6月9日(現地時間)、村上春樹さんがスペインのカタルーニャ国際賞授賞式でされたスピーチ「非現実的な夢想家として」の全文
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