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2011.10.24 Mon 新宿梁山泊第45回公演「ベンガルの虎」

ベンガルの虎

 少し前になりますが10月2日(日)、梅田スカイビルワーダースクエアで新宿梁山泊第45回公演「ベンガルの虎」が上演され、観に行きました。
 新宿梁山泊は1987年、状況劇場に在籍していた演出家・俳優の金守珍(キム・スジン)、作家の鄭義信(チョン・ウィシン)、元状況劇場の俳優・六平直政らを中心に結成された劇団で、旗揚げ当初は鄭義信の戯曲を上演していましたが、1995年の鄭退団後は、唐十郎の状況劇場時代の旧作の上演で人気を集めてきました。
 わたしはずいぶん前、たしか1993年に「少女都市からの呼び声」を兵庫県伊丹の劇場で観たのが最初で、その後も何度か芝居を観ていて、2003年には映画「夜を賭けて」の自主上映の実行委員会に参加するなど、何かと身近に感じる劇団です。
 とくに2003年、大阪の扇町公園で観た「唐版風の又三郎」は見事でした。
実はわたしが最初に観た状況劇場の芝居が「風の又三郎」でした。
 わたしの年齢からすれば、もっと早くから唐十郎の芝居を観ていて不思議ではないのですが、京都の鴨川の河原でしていた頃はまだ行ってなくて、いまではとても残念に思っています。かろうじて大島渚の「新宿泥棒日記」の中で「由比正雪」の一シーンを観たにすぎませんでした。そして、たしかはじめて大阪に来て、今はなくなってしまった天王寺野外音楽堂で上演したのが「風の又三郎」だったと記憶しています。
 李礼仙、根津甚八、大久保鷹、不破万作などの役者の姿と、テントの中の闇と光に心を奪われたものでした。特に印象に残った役者が小林薫で、それ以後ずっと小林薫のファンです。
 金守珍はほんとうにまじめに唐十郎の芝居を愛していて、「少女都市からの呼び声」もそうでしたが、「風の又三郎」も状況劇場の初演時の唐十郎を追いかけるように脚本に忠実に演出しているのですが、この時の芝居は役者のみならず、すべてにおいて充実した感動的な芝居でした。
 今回ひさしぶりに来てみると、かつてのヒロイン近藤結宥花や怪優コビヤマ洋一がいなくて少しさびしく思いましたが、劇団の離合集散がつきものと納得し、休憩をはさんで約3時間の芝居を楽しみました。

 「ベンガルの虎」は、竹山道雄の児童小説「ビルマの竪琴」の「その後」をテーマにしています。戦後すぐに発表され、市川昆が2回も映画化し多くの人が涙したこの名作の後日談は唐十郎の想像力によって引き裂かれ、欲望と裏切りと陰謀が渦巻く日本社会の袋小路からビルマ・カンボジアへ、バブルへと爆走する高度成長時から戦後10年、さらには明治へと時空を超え、往来します。
 幕が開くと、女(中山ラビ)がギターをもって登場、口上をのべ、歌い、去る。舞台下手の3列の公衆便所から、ビルマからの帰還兵が現れ、「埴生の宿」を合唱する。「おーい水島、一緒に日本に帰ろう」。ビルマに残って死んだ兵友の遺骨を収集するため竪琴を爪弾きながらビルマのジャングルを歩く水嶋上等兵に帰国を呼びかける。
 一人の女・水嶋カンナが、ハンコ屋をたずねてこの町にやって来る。元中学の家庭科教師、今は安キャバレーの女だ。日本兵だった夫の水島がバッタンバンからこの店に送ったはずの象牙の印鑑を取りに来たのだ。ハンコ屋は彼の上官だった男。実は、水島はすでに帰国し、商社マンとなっていて、戦士の屍で埋めつくされた「白骨街道」から白骨を印材として日本に輸出している。

 「ビルマの竪琴」は多くの読者を得た一方で、加害者責任を直視していない、戦争を感傷的にとらえ、侵略や戦争犯罪のことは忘れて日本人の死者への鎮魂のみを美談として描かれている、などの批判もありますが、唐十郎の芝居はそういう反戦劇ではもちろんありません。
 東京の下町から海を渡ったのは兵隊だけではありませんでした。唐十郎は「ビルマの竪琴」と重ねて、明治時代の女衒・村岡伊平治がゴロツキを集めて女性を誘拐したりだましたりして、海外に連れていき売春させていたという話を芝居に持ち込み、明治以後近代化のもとに連綿と続く悪夢が深く暗い夜の海をくぐりぬけ、日本の「いま」を撃つのでした。
 1973年に上演された状況劇場の「ベンガルの虎」は上野不忍池が舞台となり、唐十郎の想像力の重要なモチーフのひとつである「水」が劇的で、夜の闇と光に浮かび上がるように、人骨の入った行李が不忍池の中から浮かび上がってきたそうですが、ここは梅田のビル街ですからそれは無理で、舞台に大きなプールを用意し、そこから男たちが行李をかついで舞台に上げる演出になっていました。
 唐十郎の芝居は実際のところ理解できているとは言い難いのです。なにしろ今回の場合は「ビルマの竪琴」がわかりやすい話ですからいいもの、ある日の小さな三面記事からドドドッとわき出るように物語が生まれ、その上に古今東西の文学の憧憬がとても深く、さらにはセリフがポンポンとあっち行きこっち行きして、その上に早口でと、いつもわからないところがいっぱい残ったまま、あっというまに終わってしまうのです。
 ただ、「風の又三郎」を観た時から、あのテント小屋の冷たくかたい地面の上にすわり、芝居がはじまったとたん、地上の風景の下にかくれている暗くせつない密室空間に迷い込み、その魔力から抜け出せず、毎年紅テントがやって来るとまた性懲りもなく来てしまうのです。
 そして、その密室空間の重い扉が開くと夜のしじまを突き破り、わたしが見失ってしまったものとわたしが夢見てきたものが重なり合い、解体された舞台のかなたへと心がさらわれる一瞬を待ち焦がれるのです。ちょうどヒロインが舞台の彼方に去ってくように…。
 この芝居でも、ほとんどの登場人物は死んでしまっているのですが、彼女たち彼たち死者はヒロインに、「さあ、バッタンバンに行こう」と死の世界へといざなうのでした。もっともヒロインは実はすでに亡霊に近く、おそらく戦後10年に半分死んでいて、この芝居の上演時の1973年、芝居の最後に完全に死んで彼方に逝ったのではないかと思います。
 けれども、ただひとり、このヒロインを物語の中で励ましていた少年ひとりだけが、この時この地から逃げないでさらなる悪夢に立ち向かう決心をするところで、芝居が終わります。
 「聞け!朝顔市の亡者ども。重くたれこめた夢の住人! 生きながらえるものは、いつも暗い夢の引力だ。」

 こうして異界をめぐる3時間の旅は終わりました。個人的にはやっぱり、新宿梁山泊に少し元気がないと思ってしまいました。劇団を続けて行くのはほんとうに大変だと思いますが、わたしは今の唐組とともに、状況劇場時代の唐十郎の芝居を上演する新宿梁山泊と金守珍が大好きで、これからも大阪に来るのを楽しみにしています。
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