ホーム > 音楽 > 島津亜矢 > 島津亜矢が被災地で歌う

2011.10.12 Wed 島津亜矢が被災地で歌う

2002年島津亜矢リサイタル

 DVDに収録された2002年島津亜矢リサイタル「進化」のオープニングでは、島津亜矢はウェディングドレスでステージ後方に立っています。そして、愛の賛歌、亜麻色の髪の乙女、涙そうそう、お嫁サンバを、彼女の持つ声質の中でももっともナチュラルな声で歌うと、この声が彼女の本来の声というか、原初の声なのかと思うのです。
 その声はほんとうに癖がなく透き通る声で、その声からあの聴く者の心をわしづかみにする演歌の声がどうして出るのか、不思議に思われることもあるようです。
 そのアンバランスとも思える声質の広さと群をぬいた歌唱力から、彼女がいったいどんな歌を歌うと一番いいのか、考えてしまうひともたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。たしかに、彼女の本来のフィールドは演歌にあることはまちがいないのでしょうが、今のままの演歌の世界にはおさまりきれないこともまた真実で、いまはまだその途上かもしれないけれど、いつかきっと島津亜矢という未完の才能がほんとうに花開き、彼女の純粋な歌心と献身的な努力がむくわれる時がくることを信じています。
 2002年のリサイタルの島津亜矢はとてもチャーミングでどきまぎしてしまいますが、そのタイトル通り、デビュー当時の「演歌をとびきり上手に歌える少女」から進化した声と歌唱力をすでに完成させていました。
 あと2、3枚で、毎年のリサイタルのDVDをすべてそろえてしまうことになりましたが、今の島津亜矢にたどりつくまでの、まるで冥府めぐりをするようでした。時をさかのぼり、彼女のそれぞれの時の精いっぱいの姿を観ながらその歌の足跡をたどる旅はとてもうれしいものでしたが、もっと早く彼女のことを知り、せめて2002年ぐらいから年に何度かコンサートに行き、生の声を聴いていたらよかったのにと思います。
 この何年間は、わたし自身の人生も大きく変わった年月でした。ほんとうに歌がひとの心をいやしてくれるのかわからないけれど、「歌路遙かに」の歌詞のように、島津亜矢の歌に心洗われ、「いのち」救われることもあったにちがいありません。いや、いまがまさにその時なのかも知れません。

 わたしは今、自然災害により被災した障害者を支援する「ゆめ風基金」の手伝いをしていますが、東北関東大震災以後、被災地のひとびとにすこしでも元気になってもらおうと、さまざまなジャンルのいろいろなミュージシャンが避難所を訪れたと聞きます。
 わたし自身も8月23日、仙台の仮設住宅の広場での永六輔さんと小室等さんのライブの手伝いをしに行きました。その仮設住宅におられる方は津波で家を流され、九死に一生を得たものの、家族や友人を亡くされ、心の奥深くに大きな悲しみをかかえた方々がほとんどと聞きました。
 永さんと小室さんのライブは、静かな仮設住宅にゆっくりと沁みこんでいくような言葉と音楽で、ひとびとのかたくなった心をやわらかく解きほぐしていくようでした。とても切なくもうれしいひとときで、途中で雨が降ってきてもどなたも立ち去りませんでした。
 わたしは思いました。島津亜矢がこの地、仙台で今歌えばどんな感じなのだろうと。
 島津亜矢は今月の27日(木)、JA宮城の催しでチケットの一般販売はないと思いますが、宮城県登米市の中田総合体育館でコンサートを開きます。

 わたしが知らないだけかも知れませんが、震災以後島津亜矢が東北でコンサートをひらいたのは秋田で一回だけではないかと思います。もちろん、プライベートな形で足を運んだことはあるかもしれませんが、被災地では今回のコンサートがはじめてだと思います。
 永さんが来るのを被災地のひとたちが心待ちにしていたように、島津亜矢が来てくれるのを待ちつづけたひとたちがたくさんいると思います。
 これはわたしだけの想像ですが、彼女は被災地で歌うことに躊躇していたように思います。それは、星野哲郎の数々の海の歌を歌ってきた彼女にとって、津波で家をなくし、船をなくし、仕事をなくし、家族をなくし、友をなくした被災地の人々の気持ちを思い、被災地のファンの前で言葉をなくし、歌をなくしていたのではないかと思うのです。
 想像をより広げると、わたしは被災地で歌えなかった(のではないかと思われる)島津亜矢が大好きです。理不尽な海の暴力に対する人々のかなしみ、怒りと向き合い、寄り添う気持ちが、彼女の場合は「今はまだ海の歌を歌えない」と思わせたのではないかと、勝手な推測をしています。
 そしてわたしはだからこそ、島津亜矢に被災地で歌う日がくるのを待ち望んでいました。いや、被災地のファンが、島津亜矢を待ち続けていると信じていました。
 そして、たまたまあるサイトのコメントにこんな言葉を見て、同じよう思う人々がたくさんいることを確信しました。
 「戦後最大の国難といわれるいま、故人・星野哲郎が生きていたならどんな歌をつくりこの東北の地へと贈り届けることでしょうか。亜矢さんには、被災地でこそ思い切り歌声を届けてほしいと願わずにいられません。」
 まったく同感です。ほんとうに、星野哲郎が生きていたら、どんな歌を作ったことでしょう。そして、愛弟子の島津亜矢はその歌をどんな思いで歌ったことでしょう。もちろん、作曲は船村徹だったことでしょう。
 10月27日、島津亜矢が万感の思いで歌う姿が目に浮かびます。「亜矢ちゃん」という掛け声と「待ってたよ」という掛け声が聞こえてくるようです。このコンサートを企画したJA宮城に感謝です。

 この秋、ようやく島津亜矢のテレビ出演があいつぎます。そして、いよいよ11月1日の梅田芸術劇場でのリサイタルが迫っています。とても楽しみです。
関連記事

web拍手 by FC2

Comments

name
comment
comment form

Trackback

FC2Blog User

  1. Trackback