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2019.01.05 Sat 島津亜矢の「時代」は大みそかの夜、誰に届いたのか。NHK紅白歌合戦



今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

 昨年のNHK「紅白歌合戦」で島津亜矢が「時代」を歌いました。
 YOSHIKIとサラ・ブライトマンのステージの次にNHKの音楽トーク番組『おげんさんといっしょ』の星野源ファミリーが入ったおかげで、ワンステップ置いた落ち着いた舞台が用意されました。
 アカペラからピアノ、それからフル演奏と、この曲にぴったりの伴奏で始まった彼女の歌唱は、それまでのバラエティ色にあふれたにぎやかな舞台とは一線を画し、多くの人びとの心に残ったものと思います。
 演歌歌手でありながらポップスを見事に歌い、その歌唱力と声量に高い評価が集まったこともまた事実でしょう。しかしながら、そんなあたりまえの評価にとどまらない彼女の歌唱に、涙を流したひとも少なからずいたはずです。わたしもそのひとりでした。
 わたしは紅白に特別な想いはないのですが、根っからのテレビ好きのわたしにはジャンルを越えてその年に流行った歌や人気の歌手を一堂に観ることができる紅白は世相を映し出す鏡のようで、それなりに楽しむことができるのです。
 ずいぶん前、イッセー尾形が「紅白歌合戦」という一人芝居をしていました。
 昔はちゃぶ台に家族全員が座り、紅白歌合戦を見ていたのが、今は父親一人がちゃぶ台に座り、「おーい、誰それが出てるぞ」とか、妻や子供たちに話しかけても、誰も聞いてくれないしテレビを見ない。紅白がすでに国民的番組ではなくなったことと、父親が家の中で居場所がないことが重なり、笑いながらも身につまされる芝居だったように記憶しています。
 時代はそこからさらに進み、すでに年末の音楽バラエティ番組となった紅白の事情は少し変わりました。若いJポップの歌手が武道館どころか東京ドームを満席にできるエンタテイメント業界が闊歩し、そのライブシーンから一部のファンの熱烈な支持を獲得できる時代になりました。紅白もまたその流れに沿った出演者が登場するようになり、若いひとにほとんど見向きもされなくなった演歌歌手の出番はどんどん少なくなっていきました。
 その結果、イッセー尾形の芝居に登場した父親のような中高年者は演歌歌手が出なくなったことに愚痴をこぼし、中には紅白をまったく見なくなったひとも増えていることでしょう。
 しかしながら、国民的番組ではなくなったとはいえ、大みそかの夜に働きながらさまざまな想いを抱えてラジオに耳を傾けるひとや、非正規雇用でいつ追い出されるかもしれない寮で焼酎などを飲みながらテレビを見ているひと、病院で年を越さなければならないひとなど、自分の一年をふりかえり、親や子供や兄弟や恋人やともだちを想いながら、必死に「自分はここにいる」と心で叫びながら紅白を観たり聴いたりしているひとたちがいることもまた事実ではないでしょうか。
 何度か書いていますが、わたしが島津亜矢のファンになったきっかけは、10年前に亡くなった親友・Kさんが「島津亜矢のCDを買ってきてくれ」といった一言でした。高校からの友だちで、いっしょに暮らしたり同じ会社で働いたこともあるKさんは、わたしが豊能障害者労働センターでお金稼ぎに悪戦苦闘していたころ、クリスチャンだったことからわたしも働いていた会社にベトナム難民を受け入れ、住まいを用意し、プライベートでもいろいろなサポートをしていました。その縁で会社がベトナムに子会社をつくることになり、Kさんは社長として長い年月単身赴任でベトナムに暮らしていました。
 そんな彼がガンを患い、日本に帰国し入院することになりました。わたしは青春時代、共にビートルズのファンだった彼から演歌歌手・島津亜矢のCDを頼まれるとは思いもしませんでした。祖国から遠くはなれたベトナムの地でNHKの衛星放送から流れる島津亜矢の演歌は、彼の長い単身赴任をささえ、心を奮い立たせるものだったとわたしは思います。
 今回の紅白で島津亜矢が歌った「時代」は中島みゆきの1975年の楽曲で、個人の人生の様々な悲しみや痛みを引き起こすその時代の理不尽さを鋭いナイフでえぐる彼女の初期の名曲の一つです。かつて阿久悠が時代背景から個人の痛みを歌ったあざとらしさもなく、一方でその後のJポップのバラードのように個人の事情が個人で自己完結してしまうものでもない、その意味ではニューミュージックという称号にふさわしい楽曲です。
 この頃の楽曲は「暗い」とよく言われたものですがその後、中島みゆきはドラマの主題歌などポップス路線でその暗さをエンターテイメント化することで大化けし、幅広くたくさんのひとたちに受け入れられるヒットメーカーになっていきました。
 ともあれ「時代」は静かな曲でありながら、とても深い悲しみを内包していて、そのかなしみの深さを癒すのは自分でも他者でもなく、たとえばらせん階段のてっぺんから現在を眺望し、立ち止まったまま動けない心に「だいじょうぶ」と慰める未来の自分という他者を生み出す他にないのです。青春とは未来の他者としての自分を隠す、時のマジックなのかも知れません。
 わたしは世間でいうところの「平成最後の紅白」には興味がありませんが、どうしてもお祭り騒ぎの演出にならざるを得ない長時間の番組の中で、島津亜矢の「時代」を前半の紅組の終わりとした構成担当者の意図通り、彼女の歌は会場全体を鎮め、ひとつの時代の終焉をわたしたちに感じさせてくれました。一部に力が入りすぎという意見もありましたが、わたしはそうは思いません。
 たしかに今まで、島津亜矢は中島みゆきの歌になると力が入りすぎることもありましたが、今回の歌唱はそうではなく、前半のバラエティー色の強いステージが続く中で、心のこもった歌を必死に聴く人たちに届くようにと、震える心で彼女は歌ったのだと思います。それはそのまま、ソングライター・中島みゆきの心だとわたしは思うのです。
 こんなに思いを込めたパフォーマンスを成し遂げた島津亜矢は、今年からどんな歌を歌えばいいのでしょうか。ほんとうに今回の歌唱曲「時代」をはじめ、紅白でもカバー曲を歌わざるを得ない島津亜矢を、ソングライターの方々は放置していいのでしょうか。
 わたしは彼女を正しく評価すれば、演歌であろうとポップスであろうと、歌唱力と声量はもちろんのこと、その先にある「歌を詠み、歌を届け、歌を残す」未曽有の才能と努力に応えられる魂のこもった歌、演歌の王道のひとつとされる教訓ものではなく、ひとりの女性の繊細な心、同時代を生きるひとびとの傷つきやすい心、怒りや悲しみを希望へと変える切ない心を時にはなにげなく、時にはアニメソングのように大時代的に、立ち止まらない彼女に応えられる歌をつくっていただきたいと思うのです。
 そうでなければ、あまりにも島津亜矢がかわいそうで気の毒で、涙が出てしまいます。

中島みゆき「時代」(ライヴ2010~11・東京国際フォーラムAより)

島津亜矢「時代」( 2013)
この歌唱で十分なのですが、今回の紅白の歌唱はさらに奥行きのある深さと、思いつめたような心の震えが会場全体に広がる、特別な歌になっていたと思います。

島津亜矢「誕生」(詞・曲:中島みゆき/中島みゆきリスペクトライブ歌縁2018・東京公演)
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