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2018.09.28 Fri ポップスを歌える演歌歌手ではなく、ブルーズにつながる土着を持った歌手・島津亜矢

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 最近の島津亜矢は「UTAGE!」の出演が続き、ポップスシンガーとしての存在感も増してきたのは事実だと思います。思い起こせばTBSの人気バラエティー番組「金スマ」への出演がきっかけで中居正広が高く評価してくれたのでしょう、その後「音楽の日」に一度出演した後、同じ中居正広が司会を担当する「UTAGE!」に昨年の秋、今年の春夏と3回連続出場したことから、ポップスファンにも彼女の存在が認識されるようになりました。
 島津亜矢のファンのひとりとして、歌唱力を高く評価されているボーカリストの島袋寛子やBENI、リトルグリーンモンスタのあみん、ケミストリーの堂珍嘉邦、川畑要とのコラボレーションで衝撃的ともいえる歌唱を認められたことはとてもうれしいことです。
 それは長い間待ち望んだことで、稀有な才能を早くから認められながら決して順風満帆とは言えない歌手人生がようやく報われる時がやってきたのだと素直に喜びたいと思います。演歌・歌謡曲番組のNHK「BS新日本のうた」のスペシャルステージなどで、演歌歌手との数々の共演で評判を呼んできた島津亜矢が、もっと広い大海に出てその真価を問う機会に恵まれたことは本当に喜ばしいことです。
 2010年、ポップスのカバーアルバム「SINGER」を発表し、その中の「I WILL ALWAYS LOVE YOU」がNHK-FM「松尾潔のメロウな夜」で取り上げられ、その歌唱力が絶賛された頃から注目されるようになり、それ以来地道に発表を重ね、今年の10月には5枚目となる「SINGER5」が発表されます。
 その収録曲もすでに60曲を越えました。最初の頃わたしは彼女のポップスカバーの歌唱力に圧倒され、すぐにでもポップスのオリジナル楽曲を発表すればいいのにと思いました。しかしながら、彼女のポップスの歌唱力とは関係なく、長い間演歌歌手の手慰み程度という評価しか得られなかったこともまた事実です。
 そこで思い出すのが、かつて竹中労の後押しで制作された美空ひばりのジャズのアルバムのことです。竹中労は美空ひばりの中に黒人音楽とつながるルーツがあると感じて、ハリー・べラフォンテを引き合わせたりしていました。
美空ひばりがナット・キング・コールのファンになったのも竹中労の影響で、ナット・キング・コールが他界した時に彼をしのんで彼の歌ばかりを集めたジャズのアルバムを発表します。「みごとに、コールの歌の魂を、私たちの国のことばに移しかえている。ひばりのハートは、あかるくて悲しいコールのフィ−リング(情感)に溶け込み、何の抵抗もなく、私たちを黒人ジャズの世界にさそうのである。」(竹中労)
 それから時代は変わり、音楽にもくわしい村上春樹のアメリカ在住の頃のエピソードにこんな話があります。「以前、アメリカ人の家で美空ひばりの歌うジャズ・スタンダード曲集を、ブラインドフォールド(誰が歌っているかを知らされない状態)で聴かされたことがあった。『誰だかわからないけど、なかなか腰の据わったうまい歌手だな』とは思ったのだが、何曲か聴いていると、その『隠れこぶし』がだんだん耳についてきて、最終的にはやはりいくぶん辟易させられることになった。」(村上春樹・著「意味がなければスイングはない」)
 わたしは村上春樹のファンで、このエピソードは彼らしいなと思いましたが、一方ではかえって美空ひばりのすごさを伝え聞いたと思いました。音楽に造詣が深い村上春樹のことですから、彼の言った「隠れこぶし」が単純に演歌のこぶしのことを言っているとも思えないのですが、わたしは美空ひばりのこぶしは演歌から来ているとは思えないのです。
 わたしは演歌の女王と言われるようになった美空ひばりは好きではありませんでしたが、島津亜矢を知ってはじめて美空ひばりのすごさを知りました。というのも、島津亜矢本人やファンの方々には申し訳ないのですが、わたしが彼女のファンになったのは彼女のオリジナル曲ではなくカバー曲の歌唱によってでした。それも、1950年代や60年代の歌謡曲のカバーは絶品でした。彼女がカバー曲を歌う場合、その歌唱力に圧倒されてよくオリジナルを越えると評されることが多いのですが、わたしはまったく違うように感じていて、彼女ほどオリジナル歌手へのリスペクトを忘れない歌手はいないと思います。
 以前にも書きましたが彼女の場合、オリジナル歌手とともにその歌の誕生の地にたどりつき、その歌に込められた心情と時代の空気を島津亜矢によるもうひとつのオリジナル曲としてよみがえらせるのですが、それはまたオリジナル歌手へのオマージュなのです。
 わたしは島津亜矢のおかげでかなり嫌いだった美空ひばりのすごさを再発見することができたのですが、それは「演歌の女王」といわれる前の美空ひばりでした。わたしは村上春樹が辟易したという「かくれこぶし」は、1970年代以降の演歌のこぶしではなく、むしろ竹中労がいうところの美空ひばり特有の土着性、戦後の左翼運動が蔑視していた美空ひばりをはじめとする歌謡曲の底流に流れる土着民主主義というべきものではないかと思うのです。そして、日本の「敗戦」を「終戦」とごまかす権力の下でがれきを片付け、かつての暮らしを取り戻そうと必死に働いたひとびとが育てた民主主義の隣に歌謡曲があったのだと確信します。そして美空ひばりの「かくしこぶし」とはまさしくそのがれきの荒野のリンゴ箱の上で歌った希望の歌だったのだと思います。
 ですから、美空ひばりのジャズに村上春樹が発見した「かくれこぶし」こそは稀代の歌手・美空ひばりと戦後民主主義のアイデンティテイであり、それなくしては美空ひばりではあり得ないのだと思うのです。華やかなジャズの旋風の中でも決してなくならなかった「かくれこぶし」は、「東京キッド」や「悲しき口笛」、「りんご追分」、「津軽の故郷」、「私は街の子」に受け継がれていたのでした。
 わたしは島津亜矢もまた、美空ひばりが持っていた「隠れこぶし」(土着)をもっていると思っています。彼女がポップスをうたう時に演歌のこぶしがまったくでないのは当たり前のことですが、彼女のポップス歌唱にはジャズやブルーズにつながるある種のにおいのようなものがあります。ですから、彼女がソウルミュージックやR&Bをカバーすると、「かくれこぶし」が姿をあらわします。
 こんなことを書こうと思ったのは、先日放送された「演歌の乱」という番組を観たからです。はじめての番組ではないようですが、おおむね、出演した歌手たちは演歌歌手の中でも歌唱力があり、しかもポップスを歌える歌手たちでした。
 この番組は演歌歌手がポップスを歌い、ポップス歌手やバラエィーの芸能人がひな壇にすわり、こぶしやうなりのない歌唱力とその意外性に感動するという構成になっていて、ひな壇に座っている人たちには申し訳ないのですが、彼女彼たちの上から目線がとても気になりました。特に走裕介の「STORY」などは演歌とR&Bが同じルーツを持っているということを証明してくれましたし、市川由紀乃はポップスの歌手を凌駕する歌唱力を見せてくれたのですが、すべてが予定調和的な「演歌歌手の歌うポップス」としてしかとらえられないところに不毛なものを感じるのです。
 というより、この番組の出演者、制作者の誰一人、走裕介や市川由紀乃のただ者ではない歌唱をただしく重く受け止めた人はいなかったのではないでしょうか。
 わたしは、島津亜矢はこの番組には出ないことを祈っています。依頼されやすいかも知れませんし、出演すれば番組の中でもSNSで大げさに評価されることでしょうが、所詮「ポップスを歌える演歌歌手」という牢獄にまたしても閉じ込められるだけです。
 それよりも、島津亜矢のポップス歌唱もまた、今でもその程度でしか受け止められていないということだと思います。それは言い換えれば、ポップスもまた美空ひばりや島津亜矢にある土着をなくしている証明でもあるのです。
 それを打開するためには、やはりオリジナルのポップスを歌うしかないでしょう。アイドルは別にしてポップスやロックのようにまずアルバムを制作し、その中からシングルカットする方法で、ポップス界に殴り込む(?)以外にないと思います。
 コストが問題ですが、たとえば松尾潔のようなプロデューサーのもとでゲストミュージシャンも入ったR&Bやソウル、ジャズのアルバムなどは刺激的だと思います。ちなみに松尾潔は「UTAGE!」で共演したケミストリーの産みの親でもあり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカル、平井堅、JUJU、EXILEなどの楽曲にもかかわったプロデーサーで、演歌では坂本冬美や山内恵介にも楽曲を提供しています。
 とにもかくにも、島津亜矢はまたこの数年、ポップスと演歌のどちらからも厳しい局面に立たされることになるでしょう。しかしながらその先には、かならずや大衆音楽の歌姫として、日本を代表するボーカリストになっていることを信じています。

UTAGE!180329 桜-島津亞矢×川畑要

「私は街の子」美空ひばり

「津軽のふるさと」美空ひばり

「津軽のふるさと」島津亜矢
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