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2018.08.30 Thu 「ファイト!」は広島の木之下孝利さんの愛唱歌でした。中島みゆきと木之下孝利さんと島津亜矢

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そのひとの机はちゃぶ台より低く、荒野のように大きかった
別れの日にはじめて入った彼の部屋は
たたかうひとの夢とやさしさに満ち溢れていた
木之下さんと話す時、広島と箕面を結ぶ見えない地平線から
世界のざわめきが聞こえていた

 2000年11月5日の午後4時50分、広島県の尾道・三原で障害者解放運動に悪戦苦闘していた木之下孝利さんが亡くなりました。36歳でした。
 木之下さんとの出会いは阪神淡路大震災前の1994年ごろだったように思います。そのころ豊能障害者労働センターに在職していたわたしは、河野秀忠さんの障害児教育教材「あっ、そうかぁ」、「あっ、なぁんだ」を一緒に販売してくれる障害者のグループを訪ねて、長野、広島、福岡に行きました。
 広島には数回行きましたが、最初はボストンバッグぎしぎしに見本の本を詰め込み、木之下さんたちの活動拠点「うさぎとかめ保育園」に泊まらせていただきました。
 2度目の旅は箱型の車にどっさり本を積み、今はゆめ風基金の事務局長の八幡隆司さんと梶敏之さんと3人で日教組の教研集会に参加し、その後広島の障害者のグループを訪ねました。
 その教研集会の時、会場の最前列に陣取り、広島青い芝の会のメンバーとして論理明晰、弁舌たくみに「共に学ぶ教育」の実践現場の建前と本音を打破し、するどく糾弾していた渦中に、木之下孝利さんがいました。その激しい言葉の中には、現場の教員たちと共闘、支援する応援団としてかぎりないやさしさがあふれていました。
 集会の後、どこかの教会で集会の総括と交流会が行われ、その時も木之下さんは司会をしていました。青い芝の原則として総括(反省)の場には介護者をふくめて健全者は入れず、その場には梶さんひとりだけになりました。ドア越しに木之下さんが「今日ははるばる大阪から梶敏之さんが応援に駆けつけてくれました」と紹介してくれたのが聞こえてきました。
 そんな交流が何回かあり、阪神淡路大震災以後、河野さんの提案で豊能障害者労働センターの(当時の)若いスタッフ数人が木之下さんの運動に学ぼうと広島に行くことになりました。そのことがきっかけで、木之下さんと労働センターのスタッフとの交流が深まり、尾道に行ったり箕面に来てもらったりするようになりました。
 何度か箕面に来てもらった時、ほんとうにたくさんの話をしてくれました。全国的にIL運動(自立生活運動)が一気に広がり、木之下さんたちも「CILおのみち・障生連事業所」を立ち上げたその時に、一般的には「障害者作業所」としか見られなかった豊能障害者労働センターを障害者解放運動の精神的な盟友とみてくれたことは、わたしたちに勇気を与えてくれました。
 「先天性骨形成不全症」という障害を持って生まれ、子どもの頃は一家心中で親に殺される恐怖からいつもジャックナイフを隠していたこと、脳性まひではないため脳性まひの集団・青い芝からいつもバッシングをうけるところを松本孝信さんがかばってくれたこと、その松本さんが広島市で暮らしにくくなった時に尾道に来てもらったこと、結婚し同じ障害をもつ娘さんが生まれることをやめさせようとする医者とのせめぎあいと数々の逡巡、そしてあえて差別を覚悟で地域の学校に通わせ、学校や地域を変えようと足元からの運動を続けたことなど、ほんとうに親密な間柄でなくては話せないことをたくさん打ち明けてくれました。労働センターのスタッフとの交流はどんどん深まる中で、センターのスタッフの悩み事にも親身に相談にのったりしてくれたようです。
 木之下さんとの出会いから多くを学んだ豊能障害者労働センターがその後の東日本大震災をはじめとする数々の災害のたびに全国の障害者運動とつながって救援活動をつづけるようになったのも、木之下さんのおかげだと思います。

 木之下さんの訃報が入り、河野さんをはじめ交流の深かったスタッフ数人と一緒に三原市の公営住宅の集会所に向かいました。直前までイベントか集会をしていて、少し休むと言ってそのまま息を引き取ったということでした。憤死といよりおだやかな死に顔でした。
 葬儀会場は集会所の横の広場で、正面に大きなスピーカーが2つ並んでいて、繰り返しくりかえし中島みゆきの「ファイト!」が流れていました。
 何度もこの歌を聴きながら、「ああ、この歌は木之下さんのためにつくられた歌なのだ」と思いました。あとから尾道のスタッフから、この歌はまさしく木之下さんの愛唱歌で、彼を見送る歌はこれしかないと考えたと聞きました。
 この時、わたしは中島みゆきというシンガー・ソングライターのすさまじい想像力と憤りと悲しさと、そして限りないやさしさを思い知りました。
 1983年に広島の17歳の少女の思いを受け止めて発表された「ファイト!」。この歌が同じく広島の尾道市で障害者解放運動の一歩を歩き始めた木之下孝利さんの愛唱歌として、ずっと彼に勇気を与え、絶望に打ちひしがれることもあったにちがいない幾多の夜にも彼を励まし続けたのでした。この歌を2000年の秋、多くの友と一緒にわたしもまた歌いました。

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴ら笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

 中島みゆきというひとが単に歌づくりにたけているだけなら、こんなにもひとりの障害者の人生の応援歌・たたかいの歌にはならなかったことでしょう。彼女の歌はしばしば多くのひとに聴かれる歌というより、たったひとりのひとの心に直接届き、「歌よりも歌らしく」(阿久悠)、いつまでも心の弦が歌うことをやめないのです。そんな歌はそれをつくったひとにしか歌えないのかも知れません。 しかしながら、もしそうならばブルースもジャズも日本人には歌えないという、過去のトラウマにとらわれてしまうことでしょう。
 そのトラウマを打ち砕き、歌をつくったひとからその歌を引き継ぎ、その歌の誕生の場にわたしたちをいざなってくれる、島津亜矢はそんな歌手の一人なのだと信じてやみません。かつて美空ひばりやちあきなおみや青江三奈がそうであったように…。
 10月に発売される「SINGER5」は「SINGER4」にひきつづきとても刺激的な歌が収録されているようですが、「ファイト!」もいつか、島津亜矢に歌い継がれる日を待ちつづけていると思います。

島津亜矢 山本彩 高橋愛 峯岸みなみ 松本明子 - ファイト! (18.06.21.UTAGE!)

中島みゆき ファイト‼(オールナイトニッポン月一・2016)



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