ホーム > 2018年03月12日

2018.03.12 Mon 福島の障害のある子どもの保養プロジェクト「ゆっくりすっぺin関西」を応援するチャリティーコンサート

4766_fotoserie-fukushima-rtr.jpg

 東日本大震災から7年が過ぎました。あらためて、犠牲になられた2万人以上のたましいに哀悼の意を表します。
わたしは豊能障害者労働センター在職時、阪神淡路大震災までは豊能障害者労働センターのお金づくりを何よりも優先し、他のことを考える余裕はありませんでした。
 豊能障害者労働センターは障害のあるひともないひとも共に働き、ほんとうに綱渡りのような運営で障害者スタッフもふくめたみんなでお金を分け合ってきたのでした。
 しかしながら、阪神淡路大震災で6500人に及ぶ命が奪われ、多数の人々が想像を越える困難な状況で苦しんでいるというのに、自分たちだけの活動を進めることなどできるはずもありませんでした。
それからの豊能障害者労働センターの救援活動と支援活動を通して、被災した人たちのほんとうの苦しさ、悲しさ、絶望をわかるはずはなくても、寄り添ったり想像することから「共に生き、幸せになる」遠く険しい道のりの一歩を歩みだすことはできるのではないかと思うようになりました。
 その思いは2011年から5年間、被災障害者支援「ゆめ風基金」のスタッフとして東日本大震災の被災障害者救援活動に参加することで、より強く感じるようになりました。
 東日本大震災から7年、被災地の地域性や経済格差などから復興や再建が進む町と難しい町との間の分断や格差が問題になっています。特に福島県では地震・津波に加えて原発事故により、今も5万人を越える方々が県内外で避難生活を強いられています。また県外に避難した子どもたちへのいじめが頻発し、社会問題化しています。
 昨年からは自主的に避難したひとたちが仮設住宅を追い出され、今年からは東電の賠償金も打ち切られ、生活を立て直すために借り入れたローンの支払い猶予の特例など少しずつ打ち切られ、当初の困難とは違った厳しい現実があると言います。
 それがもっともはっきりとわかるのは、原発事故による避難指示区域が解除され、「帰れますよ」ではなく、「帰りなさい」と言われ、避難先を追われて懐かしいはずの故郷に帰ろうと思っても、すでに帰るべき「故郷」はひとびとの心の中に怒りと悲しみと絶望と共によどみ、あったはずのコミュニティも大地も遠いかなたにかすむだけで、こんな状態で故郷に帰れるはずがないというのもまた真実だと思うのです。
 この7年間、賠償金をもらっていることをねたまれたり非難されたりと、原発避難地域に住んでいたことをひた隠しにし、身を潜めて生きてきた人びとにとって、「復興」とか「再建」とは縁がないどころか、彼女彼たちの現実をより厳しくするものですらあることでしょう。マスコミが「復興」や「再建」に焦点を当て、遠く離れたわたしたちもまた明るく希望を語る声にほっとする話題を求めるのは、単に誰もが幸せであってほしいと願う純粋な気持ちからだけでなく、その裏にあって、できるだけ早く復興という名の幕引きをしようとする国の思惑が見え隠れしています。
 福島の豊饒な大地と文化を壊した原発を再稼働し、一方で原発難民を生み出す「棄民」政策は、そのまま沖縄の人々にも刃を向け、さらに大きく見れば被災者全員を自己責任で暮らしを取り戻せという、「脅し」の政治だとしか思えません。
 これからの2年、東京オリンピックの開催までに原発による放射能汚染問題が一定の解決をするという国や安倍政権は、原発事故による放射能の被害者を隠すことで国の内外に原発安全宣言をしようとしているのでしょう。
 安倍首相がオリンピック招致のためのアピールで宣言した「アンダーコントロール」が、いかに無責任であったかは、実はおそらく海外のひとたちの方がよく知っているのかも知りません。

 震災直後、障害のある子どもたちが避難所ではなく、車の中や危険な自宅で過ごさざるを得ないことがありました。今でも福島県では障害のある子どもとその家族が放射能の不安を抱えながらも住み慣れた町を離れられず心を固くして暮らす現実があると聞きます。
 福島の障害のある子どもの保養プロジェクト「ゆっくりすっぺin関西」は、代表の宇野田陽子さんと豊能障害者労働センターの出会いをきっかけに、福島県の障害のある子どもたちが放射能をはじめとするさまざまな不安から離れて心身を休め、リフレッシュしてもらおうと2014年から活動を始めています。保養という本来の目的を大切にしつつ、福島県と関西の交流や出会いの場としての役割も果たしてきた実績に敬意を表します。
 「遠く離れて暮らしていると、私たちはどうしても「福島の子どもは」とか「東北の人は」などと人を束ねるような表現をしてしまいがちになるように思います。そうではなく、原発事故を防げなかった責任をどう引き受け、原発事故後の世界でどう生きていくのかを考え続けつつ、小規模でも人間関係と信頼感を大切にした関わりを育てていけたらと願っています」(宇野田陽子)。
 失礼ながら細々とした活動ではありますが、「ゆっくりすっぺin関西」は震災7年が過ぎたこれからが、とても大切な活動だと思います。
 そんな「ゆっくりすっぺin関西」を応援しようと、7月11日、不思議な縁と偶然が折り重なってチャリティー・コンサートを開くことになりました。箕面市出身でドイツで演奏活動をしている吉田馨さんの協力によるもので、彼女が演奏家の友人に声かけし、ボランティア活動として駆け付けてくれることになったのでした。
 彼女・彼たちがチャリティー・コンサートを開いてくれるのは奇跡といっていいでしょう。しかしながら、その奇跡を起こすのは、すべての音楽がいつの時代も自然災害や戦火やテロによって失われてきた無数のたましいが漂う大地や森や海や空と、愛を必要とする心から生まれ、愛を必要とする心に届けられてきたことを信じる演奏家たちの過激なやさしさと情熱以外の何ものでもないと確信します。
 7月11日、阪急箕面駅前のサンプラザ1号館の中の箕面文化交流センターでのコンサートは、わたしもそうですが日頃クラシックとはなじみのない人でも普段着で楽しめます。
 巷のクラシックのすばらしさを感じてもらい、あわせて福島の障害のあるこどもたちの保養プロジェクト「ゆっくりすっぺin関西」のことを一人でも多くの方に知ってもらいたいと思います。

忌野清志郎 LOVE ME TENDER 【放射能はいらねぇ!】

web拍手 by FC2
関連記事