ホーム > 2017年07月14日

2017.07.14 Fri 憲法9条は世界の平和の道標 君島東彦・「六面体としての憲法九条-脱神話化と再構築」

戦後風景

 7月9日、豊中市福祉会館で君島東彦さんの講演会がありました。
 君島東彦さんは立命館大学教授で、2009年に論文「多面体としての憲法九条-脱神話化と再構築」(その後「六面体としての憲法九条-脱神話化と再構築」と改題)を発表し、施行70年を迎える憲法九条を日本社会の中での護憲改憲論議でなく、グローバルかつ人類史の中に位置づけ、再構築する試みをされてきました。
 5月3日、安倍首相は自民党改憲案を引っ込め、「9条1項2項を維持しつつ3項に自衛隊を明記する」という、公明党、民進党との合意をとりつけやすい現実的な戦術に切り替え、衆参両院の与党をふくむ改憲勢力が衆参両院で3分の2の議席数がある間に何が何でも改憲を実現しようとしています。
 一部リベラル派も自衛隊を憲法上に明記することで自衛隊の違憲論議に終止符を打ち、より厳しいシビリアンコントロールによって自衛隊を規制する方がよいとしてのみ込まれる状況になっていくことでしょう。
 それでもなお9条を改正しない方がよいとすれば、それはなぜか?
 君島さんは、9条を変えないで現状維持が良いと主張する護憲派に説明責任が移ったと言います。
 護憲神話が通用せず時間が残されていない中で、憲法を変えない主張の根拠は何か? 
 その問いに直接こたえてくれるものではありませんでしたが、日本国憲法の成り立ちから70年の施行の歴史を人類史の中に位置づける「六面体としての憲法9条」論は、憲法9条をその成り立ちと70年の施行の果実をおおむね6つのアクターから見つめなおす試みで、とても刺激的で示唆に富むお話でした。

君島さんは憲法9条を人類史的に俯瞰し、次の六つの視点を提示しました。
1. ワシントンからの9条を見る
2. 大日本帝国から9条を見る
3. 日本の民衆から9条を見る
4. 沖縄から9条を見る
5. 東アジアから9条を見る
6. 世界の民衆から9条を見る

 わたしは今まで、憲法は戦後民主主義の基本的な教科書で、もう二度と戦争をしてはいけない、ひとがひとを傷つけてはいけないという人類の願いがこめられたものという、ある種悲壮感を持った一面的な理解にとどまっていました。
 しかしながら君島さんは、その成り立ちから現在までの70年間、おおむね6つの角度からの力学が絶えず働き、影響しあい、長い年月とたくさんのひとびとのたたかいの結果として「変わらない憲法」があったこと、そのバランスがくずれ憲法が変えられる瀬戸際にある今、「憲法を変えない力」の歴史と今のありようを検証し、憲法9条の未来とその可能性を「憲法9条の哲学」として提示されたのでした。
 講演の内容も論文もなかなか難しく、少ない紙面でお伝えできないことがもどかしいですが、お話の中で特に目からうろこになったところや改めて考えたことなどを書いてみます。
 
 戦後、憲法9条は敗戦国日本の武装解除とともに天皇制の存続と昭和天皇の戦争責任を問わないことと連動していたことや、サンフランシスコ講和条約により沖縄が切り離され、日米安保条約のもとで沖縄の米軍基地が確保されたこと、その後現在まで、憲法9条を変えないまま再軍備が行われてきたことなど、あらためて戦後70年を振り返ると、韓国、台湾、そして沖縄が軍事的な最前線の役割を果たしたゆえに守られてきました。
 しかしながらその一方、わたしたちは自ら勝ち取ったものではなく、あてがわれた憲法9条を戦後の世界の平和の拠り所としてきました。当初はパワーバランスがつくった空っぽの箱だった9条に、70年かけて平和の真の意味を問い、非戦の誓いという中身をつめてきたといえます。
 改憲によって自衛隊を憲法に位置づけようとする勢力にとって、武力行使を禁ずる憲法9条はテロが頻発する世界の現実を顧みない無責任な空想で、国民の生命や財産を守るための自衛の戦力を充実・発展させることは国家の責任で、その主張はかなりのひとに受け入れられてきたのだと思います。
 しかしながら、もし憲法9条が存在しなかったら日本は戦争責任に思いもはせず、北朝鮮ほどではないにしても何の疑問もなく戦後70年の経済成長の果実を軍事力に費やしたことでしょう。そして、性懲りもなく核兵器すら原発の応用で持っていたかもしれません。
 憲法9条があるために、歴代の政府は自衛隊の行動が武力の行使でないことを弁明しなければなりませんでした。戦後日本が非武装を宣言し、憲法9条を堅持してきたことによって日本の帝国主義によって多大な犠牲を強いられた東アジアの国々も一定の理解を示し、国際社会の一員として世界に認められるようになったこともまちがいないと思います。
 その国際的信用は、わたしたち以上に世界の人々の間ではとても有効で、アフガニスタンで活動するペシャワール会の中村医師も証言しています。
 憲法9条の国際的信用が、戦後の日本の民衆が積み重ねてきた平和への願い、「二度と武器を持って他者を撃ってはならない。二度と戦争をしてはならない」という非戦の誓いによって得られたものならば、わたしたちは悪貨が良貨を駆逐するように仕方がないと思ってしまう現実に9条を近づけるのではなく、9条に現実を近づける努力をするべきではないかと思います。
 その努力はわたしたちが暮らすこの国・日本だけではなく、戦火とテロと人権侵害で命までも奪われる危険と隣り合わせに生きる世界のひとびとにとっても、安心して平和に暮らせる未来に近づくことを約束することでもあります。

 最近の若い人の中で改憲に賛成する人が多いとも聞きますが、若者に限らずサイレントマジョリティと言われる人々が「国に守られる側」にいると思い込まされていることが理由の一つではないでしょうか。その意味で安倍政権をはじめとする改憲派のプレゼンが成功しているのだと思います。
 憲法9条を相対化するのが改憲派で絶対視するのが護憲派という図式からいけば、国民投票でも改憲の方向に行く危険が高いと思います。
 君島さんのお話を聞き、戦後民主主義が憲法から始まったのではなく、憲法が戦後民主主義のひとつのツールであったことをあらためて確認できました。
 そして護憲派と色分けされるわたしたちにこそ、憲法を人類史的に俯瞰する6つの視点から憲法を再発見し、相対化した上で行動することが求められていると感じた講演でした。

web拍手 by FC2
関連記事