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2017.05.25 Thu わたしの「時には母のない子のように」

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友部正人「愛について」
 この歌を聴いていて、わたしは子どもの頃のある夜を思い出しました。わたしは母におんぶされているのでした。「なんでお店の物を盗むんや、自分の店の物でも盗んだら、おまわりさんのところにいますぐ行くよ」。
 わたしはその頃、友だちに仲良くしてもらうために、母が朝早くから深夜まで営んでいた一膳飯屋の店先のガムとかをたくさん盗んでは配っていたのでした。
 父親がいなくて、どもりの子どもがいじめられないための切ない行動でしたが、そんなことを母には決して言えませんでした。
 涙を汚い手でふきながら、それでもめったにおんぶなんかしてもらえなかったわたしは、母の震えるうなじとあたたかい背中にほほをぴったり引っ付けていました。

島津亜矢(カルメン・マキ)「時に母のない子のように」
 わたしは家を早く出たいと、高校生のころから思っていました。母と兄とわたしの過ごした子ども時代からさよならをしたかったのでした。36才でわたしを生んだ母も、たったふたりきりの兄弟の兄もけっしてきらいではなかったし、むしろ子どもの頃から世間になじまないわたしをとても心配してくれていました。
 でもわたしは、とにかくこの家から離れたかったのでした。父親がどんなひとなのかもわからない愛人の子。そのことでわたしたち子どもがひけめを感じないように父親と別れ、養育費ももらわず朝から深夜まで一膳飯屋をしてわたしたちを育ててくれた母。
 どれだけ感謝してもしきれない、いとおしい母のはずなのに、わがままで自分勝手とわかっているのに、わたしはそのことすべてからさよならをしたかったのでした。
 わたしは高校卒業を待ってすぐ、ともだちをたよる形で家を出ました。母は自立する息子のためにふとんをいっしょうけんめいつくってくれました。

島津亜矢「母ごころ宅急便」
 部屋の中はまだ暖房の残りで暖かそうでした。外の風は冷たく、窓ガラスは外気との温度差で曇っていて、部屋の中は楕円形にくりぬかれていました。
 その部屋は友だちの部屋で、その日わたしの数少ない友だちが5、6人、わたしを待っていてくれるはずでした。
 1969年の正月、わたしは22才になっていました。
わたしは風邪をこじらせ、年末から実家に帰っていて、正月に友だちの家に行く約束をしていたのでした。
 どれだけ待っていたことでしょう。友だちはいっこうに帰って来ませんでした。この日はとくに寒く、まして悪い咳が止まらず熱もあるわたしには、その寒さに耐える時間がそう長くあるわけではありません。
「血のつながった親兄弟と、あかの他人のともだちとどっちが大事やねん。どっちがお前を大切にしてるねん」。
 寝間から起きようとするわたしの体を羽交い絞めにおさえて叫んだ母と兄。
 泣きながら「ともだちや」と叫ぶと、「勝手にせえ、お前なんかもう知るか」と言った兄の声を背中に受けて家を飛び出してきたわたしは、いまさら実家に戻るわけにはいかず、長い間留守にしていた吹田のアパートに帰りました。
近所で買ってきたパンと牛乳をお腹に入れて、ぼくは布団を引いてもぐりこみました。暖房がなく、靴下を両手にはめて眠りました。冷たかった。悲しかった…。
その年の1月18日、わたしをかろうじて社会につなぎとめていたラジオからは、東大構内の安田講堂に立てこもった全学共闘会議派学生を排除しようと、機動隊によるバリケードの撤去が開始されたことを伝えていました。

島津亜矢「かあちゃん」
 1997年7月13日の早朝、母の病室から見える箕面の町は山の緑がきらきらかがやいていました。
母は一瞬、わたしの顔を見つめ、何か言いたそうな表情をしたと思うと、スーッと生きる気配を消しました。そして生きていた間の苦悩に満ちた年老いた表情が一瞬に消え、澱んだ瞳は碧く透き通りました。
 シングルマザーとしてわたしと兄を育てるためだけに生きてきたといえる30代から86歳までの彼女の人生は、私の想像もできない人生だったことでしょう。
 子どものわたしが言うのもおかしいですが、美人だった母に言い寄る男も、また好きだった男も何人かはいたはずです。
 そういえばタンスの奥にひそやかに一冊のポルノ雑誌をかくしているのを発見した時、子ども心にわたしのおよばない女性としての一面を垣間見たこともありました。
 そんな母が、わたしと兄を育てるためだけに生きぬいたことに、時がたつほどにどれほど感謝しても感謝しきれない母の愛を感じ、涙がこぼれます。しかしながらそれと同じ重さで、彼女の人生はほんとうにそれでよかったのかと考えてしまうのです。
 わたしは不憫な子でも、母が苦労してよかった思える親孝行の息子でもありませんでした。

島津亜矢「いのちのバトン」
 今年の7月、わたしは70才になります。
 先人が言う「人生はあっという間」という言葉が身に染みる今日この頃です。子どもの頃や青春時代にあこがれ、心をときめかせてくれた歌手や詩人、思想家などが次々とこの世を去っていき、ああ、わたしが生きてきた時代そのものが去っていくのだと痛感する今日この頃です。
 わたしは異性愛を絶対化し、親子の愛、母の愛を絶対化する社会の在り方に疑問を持っています。
 それがそのことだけにとどまらず、今ある国家や社会や世間が認める生き方を押し付けられ、またそれを他者に押し付けることに発展していくことに、とても危ういものを感じます。
 人類の長い歴史をふりかえれば、異端とされるものが次の時代をつくってきたことを想い起こしたいのです。
 だからこそ、「いのちのバトン」は、親や大人の心情や道徳律を押し付けることではなく、新しい時代をつくる子どもや孫の世代に希望をたくすことなのだと思います。

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