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2017.04.20 Thu 監視しあう社会は孤独で悲しい暴力。「共謀罪」法案の成立をゆるしてはいけない。

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 「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、衆院法務委員会での本格論戦が19日スタートしました。
 最近は自民党が公明党との与党調整を終えた段階で法案が成立してしまうという、戦後の国会の歴史の中でも異常な状態になっています。これではかつての全体主義国家とかわりがなく、「めんどくさい」議論を重ねながら国会議事堂の外の国民の意見をくみ取り、審議を進める国会の役割を成していないも同然です。
 今の政権があやふやな支持率という「水戸黄門バッジ」をかかげ、森友学園問題の深い闇に隠された疑惑を解明する責任も努力もせずに過去のことにし、「テロ等準備罪」、そして緊急事態条項を憲法に組み込むことで政権の思うままに国の行方を決めてしまえるところまで駆け上がるのをとめられないとしたら、わたしたちの社会がもうすでに全体主義国家へと足を踏み入れてしまっている証明なのかも知れません。
 もちろん、それを止め本来の民主主義を取り戻そうと積極的に行動するひとびとが苦闘されていることもまた真実です。
わたし自身、黙っていれば国の施策に賛成するサイレントマジョリティとみなされ、国の思うままになるのをわかっていても、彼女たち彼たちのようにフットワーク軽く行動を起こせない自分自身を情けなく、その気持ちがますます無力感を深めるという悪循環に陥ってしまいます。
 わたしのように思っている人々がたくさんいるのではないか、そう思い始め、「わたしはこう思う」と書いてみようと、このブログやFACEBOOKに投稿するようになりました。
 思えば今「共謀罪NO!」と直接行動を起こしている人々もまた、街頭で集会でわたしのような「サイレントマジョリティ」に呼びかけているのですから、その「サイレントマジョリティ」自身が小さな勇気を振り絞り、「サイレントマジョリティ」に呼びかける方法として、このブログもあると思っています。

 さて、「共謀罪」や「テロ等準備罪」という言葉を聞いた時、わたしも含む多くの人々が自分とは無縁の犯罪集団、反社会的集団から自分を守ってくれる法案と思うのではないでしょうか。まさか、自分が知らない間に犯罪集団、反社会的集団の一員とみなされるとは思わないでしょう。
 しかしながら、戦前戦中の苦難の時代をくぐり抜けてきた人々の証言は、それをひっくり返すに十分すぎるものがあります。
 わたしの母は1911年(明治44年)、香川県に生まれました。勉強が好きで高等小学校に行きたかったらしいのですが、貧乏なのと女は勉強しなくてもいいということで断念せざるを得ず、広島の大店に一年間の年季奉公に出されました。それからの彼女の人生をくわしくたどることはできませんが、母親とともに大阪に出てきて、しばらくして海外航路の船員さんと結婚、夫がほとんど家に帰らない生活で、彼女は若くして大阪港近くの繁華街でカフェを営んでいました。
 しかしながら、経済的な基盤を支えていた夫が病死し、お店も親戚にとられ、戦争が近づく中でわたしと兄が育った今の摂津市に疎開しました。戦争が終わり、戦前のたくわえでタンスの着物を質屋に入れるタケノコ生活を経て、料亭旅館の仲居をしていた時にお客さんだった妻子あるわたしの父親と出会いました。彼女は兄とわたしを生み、しばらくの間は父親が家にやって来ましたが、父親の援助を受けず、焼き芋屋からはじめ、大衆食堂を営みながらわたしと兄を育ててくれたのでした。そして、わたしが小学生になる前に、「子どもの教育に悪いから」と、父親ときっぱり別れました。
 私と兄を育てるためだけに、女性としての幸せをすてて母親として生き続けた彼女の人生が幸せだったのかはわたしにはわかりませんが、母と兄とわたしが身を寄せてその日その日を食いつなぐ赤貧の日々もまた、わたしにとっては懐かしくも切ない思い出として今でもくっきりと焼き付いているのですから、きっと母にとってもまた幸せな日々だったと思いたいのです。
 「福祉の世話になったらあんたたちが肩身の狭い思いをする」と、髪振り乱し、片手に余るぐらいの薬を飲みながらわたしと兄を高校に行かせてくれた母親の深い思いに、晩年に十分に恩返しできなかったと後悔する一方で、わたしは彼女を誇りに思うのです。
 
 そんな彼女は、私と兄に政治の話は全くしませんでしたし、わたしたち子どもが話すと、「シッ!めったなことをいうもんじゃないよ。特高が聞き耳を立ててるかも知れないよ」とたしなめるように言うのでした。わたしが「おかあちゃん、もう特高警察なんかないよ」といっても、絶対に信じませんでした。
 わたしは子ども心に戦前戦中を生き延びた人々がわたしの想像もできないトラウマを抱えて戦後も生きているのだと感じました。戦後民主主義とか民主教育とかをそのままうのみにできない個々の心の澱み、教育勅語でこの国が天皇のものと教わり、治安維持法でいつ危険な人物とみなされ逮捕されるかも知れないという恐怖と、こんなに一生懸命子どものためにと必死に生きている女性が国に見守られるのではなく監視されているというマインドコントロールから抜け出せないでいることに、とても悲しく、怒りにも似た切なさを感じたものでした。そんな彼女だから、自民党を支持しているのかなと思っていたのですが、ある日「ここだけの話でいいふらしてはいけないよ」といいながら、当時の社会党を支持していることを知りました。
 わたしが「共謀罪」の施行を絶対に許してはいけないと思うわけは、ひとつはわたしたちを「守られるべき国民」とそれに危害を加える危険人物と分けることと、その選別と監視を国家ではなく、ひとりひとりの国民に押し付け、監視しあう社会にしてしまうことです。思えば昔も今も障害者は「保護し見守る」という名のもとに監視の対象となっています。ナチのユダヤ人大虐殺の前に障害者が毒ガス室に放り込まれたように、障害者は炭鉱のカナリアよりも過酷な歴史を経験しています。
 ひとりひとりが見張りあいをする社会は、看守がいなくても囚人が見張られていると思い、自分の行動を規制するのと同じだと思うのです。
 それは、本来、他者と出会うことで自分が何者かを知り、コミュニケーションと想像力で生きる喜びや助け合おうと思う気持ち、武力ではなく言葉と心のふれあいと身体のぬくもりで共に生きる社会や世界の平和をつくるあらゆる努力を根こそぎ捨ててしまう、悲しい暴力なのではないでしょうか。

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