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2017.04.11 Tue 小林陽一モンクストリオが60年前の路地を思い出させてくれた。桜の庄兵衛「菜の花スイングJAZZ」

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 わたしがジャズをはじめて聴いたのは12歳のころだったと思います。
わたしが子どもの頃に住んでいた摂津市千里丘という町にも、まだ戦争の傷跡が残っていました。チャンバラごっこや缶蹴りをした近くの「御殿地山」と呼んでいた原っぱには小さな小屋やほら穴があり、焼け焦げたヤカンや割れた茶碗が転がり、ちぎれてしまった鉄条網が地面を這っていました。
 わたしと兄と母の3人が身を寄せるように暮らしていたバラックの壁の節穴からは外の景色といっしょに冬には冷たい風が入り込んでいました。母はわたしが生まれてすぐに私と兄の父親である愛人と別れ、シングルマザーとしてわたしたち子どもを育てることだけに生きようと決意したのでした。国道沿いにあったバラックの家の前で朝早くから深夜まで一膳飯屋をやりくりし、稼いだ日銭と残った食べ物で親子3人が食いつないでいました。
 バラックの店、鉄条網とガード下と原っぱと牛馬とメリケン粉と麦飯…。ドッジボールと日光写真とべったんと缶けりと七輪のいわしのけむり…。わたしの子ども時代の伝説の風景はいつも涙で輪郭をなくしてしまうのでした。
 そんなわたしの子ども時代は貧乏でしたが自由でもありました。界隈にお金持ちはほとんどいませんでした。父親がいないわたしの家族がまわりからどう見られていたのかよくはわかりませんが、まわりの家族たちもそれぞれの事情をかかえていたのだと思います。
 もちろん、さまざまな差別がたくさんあっただろうけれど、幸運にもまわりのどの家族もわたしたちに親切でした。生活の苦しさや個々の家族の事情が大人たちにあったはずですが、そんな事情をわたしたち子どもが読み取れるはずもありませんでした。
めまぐるしく走りぬける時代の風景は青い空につつまれ、わたしたちもまた貧乏とともにやってきた戦後民主主義の原っぱをかけめぐったのでした。
 ジャズはそんな私の子ども時代の街角、まだアスファルトに覆われる前の黒い土の路地を、イワシのけむりとともに流れ込んできました。
 それは280円で買った中古のラジオから、母が楽しみにしていた三橋美智也の「赤い夕陽の故郷」と広沢寅蔵の「清水の次郎長」の隙間を縫うようにやってきて、雑音と共に掻き消えたと思うと突然大きな音で鳴り響くのでした。
 歌謡曲しか聴いたことがないわたしには、遠い海をわたってきたその音楽はとても奇妙なものでしたが、それでもジャズは自由と手をつなぎ、暗い部屋をぼんやりと照らす裸電球のような根拠のない明るい未来を用意したのでした。
 
 4月9日、大阪府豊中市岡町のギャラリー「桜の庄兵衛」での小林陽一モンクストリオの演奏を聴きながら、わたしは子ども時代の黒い土の路地といわしのけむりを思い出していました。あれからの長い人生で左に行くか右に行くか立ち止まるか思いまどった時、いつもよみがえる子ども時代の風景は悲しくも切なくもありながら、貧乏と釣り合う夢と希望と青空と自由と民主主義に彩られ、わたしの行く道を照らしてくれました。そしてそこにはいつもジャズがありました。
 ジャズの中でもいろいろあるカテゴリーとかジャンルを知らないわたしですが、チャーリー・パーカーなどのビパップやソニー・ロリンズ、アート・ブレーキーなどのハード・パップの日本における第一人者といわれるドラムスの小林陽一とピアノの太田寛二と、ベースの金森もといの3人が奏でる音は専門的な知識がなくてもストレートに1950年代のわたしに連れ戻してくれたのでした。
 太田寛二のピアノは骨太でアドレッシブで、まるでわたしの心の非常階段を駆け上がるようなリズミカルなメロディで風景を描き、金森もといのベースがその風景にふくやかな色彩を丁寧に塗り、小林陽一のドラムスがその風景に奥行きのある空間を宿し、至高の時を刻むのでした。
 ドラムスが後ろに控えていると、ピアノもベースも本来の役割の一つであるリズムを刻むことからやや解放されてメロディをつくる自由を与えられ、音楽という時の芸術を絵画にしたり物語にしたりできると言いますが、まさに小林陽一のドラムスは正確なリズムを刻みながらピアノとベースをあおり、どこまでも遠くに音楽を連れて行くのでした。

 「桜の庄兵衛」のライブ空間は奇跡ともいえる場所で、古民家に宿る何百年の営みが白い壁や茶色の梁と柱や障子にしみ込んでいて、そこで演奏される音楽や落語とともに先人たちの暮らしから沸き立ち、受け継がれてきた文化もまた、わたしたちに語りかけてきます。
 今回のジャズもまた、奇跡の空間の隅から隅までしみわたり、とてもあたたかい時間をわたしたちに届けてくれました。アメリカの大地で、暗闇しかなかった人々の心から生まれ、麦畑や荒野を経てダウンタウンの路地にたどりつき、やがて海を渡り、日本の戦前から戦後の巷を流れ、60年前のわたしに届いたその音楽・ジャズは小林陽一モンクストリオによってよみがえり、わたしの心に「ただいま」と言ってくれたのでした。
 わたしもまた「お帰り」と言いながら、夕暮れの「桜の庄兵衛」の庭に見事に咲いたしだれ桜を見ていました。

 この日は豊能障害者労働センター製作のカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」のイラストレーター・松井しのぶさんをお誘いしたのですが、亡くなられたお父さんの49日の法要と重なり、無理を押して来てくださったことを知りました。ほんとうに申し訳ないことをしてしまいました。

小林陽一モンクストリオ「ウンポコロポ(バド・パウエル)」

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季節季節で楽しめる桜の庄兵衛さんの庭ですが、この春は可憐なしだれ桜を見ることができました。

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