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2017.04.09 Sun 友部さんの歌は、70年以後の人生を生き続けなければならなかったわたしの伴走歌でした。友部正人ライブ

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マラソンがゴールに運べるものは
自分が持つささやかな空気だけ
その空気を計りに載せて
代わりに重たいメダルをもらう
友部正人作詞・作曲・歌「ニューヨークシティマラソンに捧げる」

 開演時間になると友部正人は静かに登場し、昨年発表された「ブルックリンからの帰り道」に収録されている、タヒチで2年間暮らしたゴーギャンが結婚していた島の少女・テフラとわかれ、フランスに帰る物語を歌う「マオリの女」を歌い始めました。
 歌い終わった後、彼には珍しく少し長めのMCが入り、植民地の人々と幸せな関係と思い込むフランスの人々と、長年抑圧されてきた植民地の人々との埋められない隔たりについて語りました。
 4月4日、大阪心斎橋のライブハウス「JUNUS」での友部正人のライブはこうして始まりました。最近はしばらく彼のライブに足を運ぶことをせず、毎年5月の「春一番コンサート」のライブしか聴いていませんでしたが、時の隔たりをまったく感じさせず、若い時からずっと変わらない弾き語りのスタイルと、そのだみ声で舌っ足らずの歌声はわたしの心に瑞々しい感覚をよみがえらせました。
ああ、友部さんの旅はまだ終わっていない。そして、わたしの旅もまた…。

 1966年、わたしは高校を卒業後、建築設計事務所に就職したものの半年でやめ、フーテンまがいの暮らしをしていました。時代は学園紛争と70年安保闘争にいたる異議申し立てと政治の季節でした。でも社会に順応できないわたしは、ただただ大人からも大人になることからも社会からも逃げ続ける毎日でした。時代の吹きすさぶ嵐が通り過ぎるまでのただひとつの隠れ家だった吹田の旧国鉄操車場の近くのアパートで息を殺し心を固くし身を潜めていました。
 そんなある日、「オー・ゴー・ゴー」という店を知りました。大阪梅田の歓楽街の細い路地を入ると、その店はまさに隠れ家のように立っていた。船室をイメージしてつくられた細長い店内は薄暗く汚くて、天井には網がめぐらされていました。
 入り口に近いほうにテーブルが並び、真ん中は踊れるようになっていて、その奥にも少しテーブルがありました。ここでも多くの若者たちがたむろしていました。
 雑音の多いスピーカーから、ビートルズやモンキーズ、そしてボブ・ディランがよく流れていました。わたしはその時はじめてボブ・ディランの名曲「時代は変わる」を聞きました。1970年に向かって街はますます騒然としていて御堂筋では学生のデモ隊と機動隊がにらみ合い、機動隊の盾とこん棒で学生たちがたおれる、そんな日々が続いていました。
 同年代の学生たちに心情的にはまったく賛同しながらもどうしてもその運動に参加するところまでは行かなかったのは、一方であの「オー・ゴー・ゴー」にたむろしていた若者たちもまたあの時代をたしかに生きていたのであり、わたしもまたそのひとりだったからなのだと思います。
 ある夜、「みなさん、警察の手入れです。今すぐ逃げてください」という店員の叫び声が聞こえるやいなや若者たちはいっせいに夜の闇に消えていきました。わたしも必死で梅田駅の方に走りました。あくる日にお店の前に行くと、そんなお店など最初からなかったようによそよそしい空き店舗の看板が風に揺れていました。

 1970年、わたしの青春をはげましてくれたビートルズが解散しました。わたしにとってはぼ同じ時に起こったよど号ハイジャック事件よりもショックが大きく、ますます時代の袋小路に迷い込んでしまいました。わたしは生きることに未練が強く死ぬことは考えませんでしたが、ひとが自分の命を絶つ決定的な夜のすぐ隣にいたのかも知れません。
 ともあれ、殺伐とした青い時をへて大人として夫として、そして父親として生きなおす出発点にわたしは立っていました。
 そのころわたしがその日その日を生きていくためにすがりついたものが三上寛と友部正人と寺山修司と山田太一でした。
 わたしはそのころはフォークソングが苦手だったのですが、三上寛の追っかけをしていた時に友部正人もよく出演していて、三上寛とはスタイルがちがうもののその歌は心に深く突き刺さり、そのやさしい痛みがいつまでも心に残ったのでした。
 関西のフォークシーンのようなメッセージソングでもなく、また最近のJポップへとつながる個人の感情をストレートに歌う歌でもなく、日常の心象風景の背後にひそむ時代の闇を淡々と歌う友部さんの歌は、70年以後の人生を生き続けなければならなかったわたしの伴走歌でした。
 ひさしぶりにライブを聴いて、このひとのかたくななまでにすがすがしい歌がわたしの澱んでいた心の水を波立たせ、あの「やさしい痛み」がよみがえりました。
 「それでも人生はつづく」、その長い時間を彩る大長編映画がまだ終わっていないのだとしたら、友部さんの歌は「お前はどんな人生を生き、どんな人生を生き続けるのか」と歌いつづけるテーマソングなのだと思いました。
 そして…、「一本道」。若い頃とはちがう思いがあふれてきました。「ひとつ足を踏み出すごとに 影は後ろに伸びていきます」、思えば友部正人はすでに青春のまっただ中で、はるかに遠く過ぎさった青い時の砂浜に散在する「思い出」という石ころさえも見届けていたのでしょうか。
 新しい歌が旅はまだまだ続くと歌っているように、これまで歌いつづけてきた数々の名曲もまた世代を越えて新しい出会いを続けているのだと思うと、涙が出てきました。心密やかに、自分自身につぶやきました。「さあ、さあ、元気出して」と。
 会場には50人を越える人たちがいました。若い世代もたくさんいて、友部正人さんの歌がどの世代にも受け入れられる「青春」の歌なのだと実感しました。

 この日、3人の友人とライブに行ったのですが、なんとわたしが手配していたチケットを家に忘れてきてしまいました。ダメモトと思いつつ会場で説明したところ、当日は当日券で入場し、主催の「グリーンズ」に返券するとお金を返してもらえるとのことでした。
 とてもありがたく感謝する一方、ほんとうに情けない失敗で、一緒に行った友人が心配してくれました。

友部正人「愛について」

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