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2017.01.19 Thu 島津亜矢の新曲「いのちのバトン」

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島津亜矢がNHKの「うたコン」に出演し、新曲「いのちのバトン」と「皆の衆」を熱唱しました。
 わたしの個人的な感想ですが、紅白の時の緊張しきった表情から一変し、とてもリラックスした明るい表情で、はれやかな赤の着物と相まってキラキラしていました。
 番組の最初に島津亜矢が村田英雄の「皆の衆」を歌ったのですが、島津亜矢は村田英雄の歌が得意と言っていいのではないでしょうか。得意という意味は単にカバー曲としてうまいという意味ではありません。「人生劇場」、「夫婦春秋」、「無法松の一生(度胸千両入り)」、そして「皆の衆」、「王将」と、どの曲を歌っても歌のうまさ以上に、半世紀以上の時を経た今、この時代の空気感をとらえられる稀有の才能だと思います。
 その意味では今回の番組では三橋美智也を特集しましたが、もちろん、三橋美智也も春日八郎も田端義夫も東海林太郎の歌も格段の歌唱力で歌っています。
 1950年代から60年代、若者たちが政治的な行動や労働争議に身を投じた時代の空気は、大衆芸能、特に歌謡曲や大衆演劇に大きな影響力を与えたことでしょう。歌声喫茶がうたごえ運動を通して若者たちの政治的社会的な活動を支えただけでなく、集団就職で都会に出てきた青年の孤独をいやす大切な場所でした。山本周五郎の時代小説は戦後を経て強いものや権力を持つ者たちが復権し、高度経済成長へと足を踏み入れ始めた頃、長屋で助け合う庶民の人情話を通して自分が他者に何ができるのかと問いかけました。
 また、新国劇が好んで上演した長谷川伸の任侠物「瞼の母」や「一本刀土俵入り」は社会のはぐれ者の人情、義理という「もうひとつの正義」によって社会の矛盾や悪をただす物語として、芝居だけにとどまらず映画や歌謡曲の題材となりました。
 わたしは1947年の生まれで戦後民主主義の誕生とともに人生の一歩があったわけですが、歌謡曲や芝居や映画や小説などで描かれた風景は、実は戦前からずっとつながっていたことを知りませんでした。それを教えてくれたのが島津亜矢で、わたしの娘と同年代の彼女によって戦前戦中戦後の時代の流れを学べたのは、まさしく島津亜矢の歌謡曲の力なのだと思います。
 わたしが彼女を特別な歌手と思う理由は本人が体験していないことでも、これらの歌謡曲に通底している時代の空気、薄白色の暗闇に浮かんでは消える戦争でなくなった人々のはかない夢の隠れ場所を探し出し、今の時代にそっと置きに来ることができる稀有の歌手だからで、彼女のこの時代の歌謡曲のカバーはほかの歌い手さんが歌うような「懐メロ」ではなく、今の時代につながる歌として戦前戦中戦後をくぐり抜けた彼女たち彼たちの生きた意味を問いかけるからなのです。それはちょうど、山本周五郎や長谷川伸が時代小説の形を借りてその時代の社会に問いかけたことと通じると思います。
 
 そして、新曲の「いのちのバトン」ですが、「歌路遥かに」とアルバム「悠々~阿久悠さんに褒められたくて」以来の意欲作で、しかも今回はオリジナルとしては初めてだと思うのですが、ドラムスの音が響くロック調の楽曲で、音楽的冒険に打って出たと言えるでしょう。
 作詞・森坂とも、作曲・金田一郎による「いのちのバトン」はロック風の歌謡曲・演歌というところでしょうか。作曲の金田一郎は柳ジョージや頭脳警察、平井賢などのロック・ポップスの歌手に楽曲提供する一方、森進一、前川清、天童よしみなどの演歌歌手にも数多く楽曲提供をしているオールラウンドの作曲家であり、歌手としても活動しています。島津亜矢とはアルバム「悠々」で「三日の宿」を作曲した縁があります。また森坂ともは石原詢子、伍代夏子、氷川きよしなど演歌歌手の楽曲を数多く作詞しています。
 この歌は出自の演歌と共に長い間、ポップスやロックのカバーを歌いつづけてきた島津亜矢だからこそ歌える一曲と言えます。  本来的には演歌のうなりやこぶしはロックやリズム&ブルースとつながっているはずですが、いわゆる演歌歌手がロック調の歌を演歌の歌唱法で絶唱するのとはちがい、ロックそのものの骨太な歌唱法でシャウトし、この歌の大きなメッセージである親から子へと何代もつなぐ「いのちのバトン」のいとおしさが伝わってきます。「瞼の母」で母への想いを叫んだ壮絶なモノローグは、ここでは芝居で獲得したダイアローグによる母の願いとなり、金田一郎の曲をより一層ドラマチックな抒情詩にしています。
 島津亜矢がここ数年、地道に挑戦してきた芝居や、他ジャンルのミュージシャンとのコラボレーション、もっとオリジナルをと言われながらもポップス、ジャズ、リズム&ブルースの膨大な楽曲のカバーを歌いつづけてきたすべての努力は、この一曲のためにあったのかもしれません。

すべてを捨てても 我が子を守りたい
母とは せつないものですね
泣いて泣いて生まれ 泣いて泣いて死別(わか)れる
なみだでつなぐ いのちのバトン

 私事ですが、つい先日妻の母が入院し、重い症状で回復するにしても時間がかかることと、治療が間に合わず腹部にある7センチの動脈瘤が破裂すれば命がないと言われたところです。
 思えば私の母は1997年、脳こうそくでたおれ、2度目の発作の後86歳でこの世を去りました。世間から奇異に見られたシングルマザーとして、大衆食堂を一人で切り盛りしながら貧乏ながらも兄と私を高校に行かせ、片手に小山ができるぐらいの薬を飲みながら必死に毅然と生きた母。その母に充分に報いることができなかったわたし。
 せめて妻の母にはできるだけのことをしたいと思いながらも、90歳になる彼女のいのちがどれだけあるのか心もとなく、島津亜矢の歌そのままに「いのちのバトン」をまだ手渡されたくないという気持ちが正直なところです。
 正直なところヒット曲に恵まれなかった島津亜矢ですから、「いのちのバトン」がヒットしてくれたらうれしいです。しかしながら一方でヒットするとかにかかわりなく、昨年亡くなったレオン・ラッセルの名曲「A Song for You」のように、だれかひとりのために歌われる歌が歌い継がれてたくさんの人の心に届く、そんなもうひとつのヒット曲として「いのちのバトン」がイヤホーンやヘッドホーンではなく、巷に流れていったらと願っています。

島津亜矢「いのちのバトン」



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